KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

明治維新ー変化がドラステイックすぎてあまりにも大きな代償、犠牲によって成し遂げられた「革命」

西郷どんー最終回が終わりましたが明治維新150年にあたる今年、結局「明治維新とは日本人にとって何だったのか」について考える機会にしたいと以前述べました。

日本の歴史上「価値観」が大きく変わった時期がいくつかありました。その中で特に大きなものとして

時期 主要人物 概要 カテゴリー
保元の乱から鎌倉時代承久の乱まで 平清盛
源頼朝
北条義時
北条泰時
古代貴族の支配から武士の時代の移行 古代→中世
戦国時代(応仁の乱から大阪夏の陣まで) 織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
中世の争乱の時代から確固とした封建体制の確立 中世→近世
幕末から明治(ペリー来航から西南戦争まで) 坂本龍馬
西郷隆盛
木戸孝允
大久保利通
伊藤博文
封建制度から近代国家の建設 近世→近代
第二次大戦及びそれ以前(満州事変から太平洋戦争終結まで) 吉田茂
ダグラスマッカーサー
専制国家から現代的な民主国家の建設 近代→現代

この中で印の幕末から明治が特にドラステイックな変化が起きた時期で、どれだけ大きな変化が起きたかについては拙ブログの以下の記事に書いてあります

kyojiohno.hatenadiary.com西郷どんは予想通り西南戦争のシーンで終わりましたが、西南戦争は「武士の時代」の終わりを象徴するできごとで、封建制度によって禄と特権を守られていた士族が、明治政府の「四民平等」政策で全ての特権を奪われ、その価値観に取り残された人たちが明治政府の近代化政策に反発して起こしたのが西南戦争だと思います。

明治は身分制度による封建制度から誰しもが平等な近代社会の価値観であまりにもドラステイックに変化しました。司馬遼太郎が「明治維新は革命というしかない」と評していましたが、「革命」であるがゆえに価値観の変化が激しく、当然その変化についていけない層が多かったわけです。しかも大久保利通は日本を一刻も早く欧米社会に肩を並ぶべく急激な近代化を推し進めます。近代化を急げば急ぐほど変化についていけなくなる人が出て行きます。

明治政府が幕末から明治までの士族の価値観の変化に伴い「ソフトランデイング」を試みなかったといえば嘘になります。明治政府は軍隊の創設や警察(ポリス)を創設して闘いの専門家でもある武士をそちらに就職させるように奨励しました。実際それが一番手っ取り早い生活の手段でした。しかし一方では志願したのは武士だけでなく農民等もいました。士農工商封建制度の価値観で育てられた武士の中ではかつて自分たちより下の身分の人間と「同等に」軍隊や警察で仕事をすることに我慢ならなかった士族が大勢いました。西郷下野とともに大勢の武士が下野したのもそうした背景があったからです。

その結果士族の反乱という西南戦争が起きてしまいます。私はあらゆる資料から西郷隆盛は最初から負けるつもりで臨んだと思います。

「内乱は二度と起きもはん。     

  おいが抱いていき申す  」

不平士族の憎しみ、悲しみを自分が一手に引き受け人柱になる、自分が立って敗れれば士族は自分で自分の生き方を選ぶしかなくなる。それで日本の内乱は集結する。

それが西郷の意図だったようです。

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つまり明治維新というのは確かに革命です。上記の拙ブログの記事のように政治制度だけでなく庶民の暮らし(衣食住まで)何もかもが劇的に変わりました。

しかし革命ではあっても変化がドラステイックすぎてあまりにも大きな代償、大きな犠牲によって成し遂げられた「革命」ということができます。西郷隆盛大久保利通もその革命を推進したと同時に犠牲にもなりました。それ以外に久坂玄随に始まり高杉晋作(病死)、坂本龍馬吉田稔麿江藤新平等俘虜の死を遂げなければおそらくは明治の歴史も変わったかもしれない多くの人物の犠牲の上成り立っていることは認識しておくべきことではないかと思います。

明治維新がなかったら現代の日本はなかった。このことに異を唱える人はいないでしょう、現代に住む我々にできることはそれの代償、犠牲となった人たちに敬意を払い感謝をする、ということではないかと思います。

今日本はいろんな意味で厳しい時代に入っています。貧富の格差は広がり賃金その他の実態は実質的に後進国になってきています。

150年前の多大な犠牲を払って成し遂げた革命を無駄にしない意味でも何とかこの厳しい状況を打開したいと考えながら明治維新150周年を締めくくりたいと考えます