KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

西郷どんー幕末二人の巨人 論理と計算の大村益次郎と情に深い西郷隆盛

西郷どん せっかく江戸無血開城が実現したかと思ったら旧幕府軍による彰義隊の集結が始まり上野戦争が始まってしまいます。西郷はやむなく彰義隊を武力鎮圧しようとした時に出てきたのが長州のあの大村益次郎(写真)

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そう、司馬遼太郎原作で大河ドラマ花神」の主人公にもなった人物ですが、実はこの大村益次郎、ある意味で非常に日本人らしくないほどの冷静沈着、徹底的なロジカルな人間のため、情に厚いというイメージのある西郷と違い今一つ人気がありません。

風貌もこの写真を見る限り変わっており「火吹き達磨」のあだ名があります。

司馬遼太郎は小説「花神」の主人公に大村益次郎を選んだ理由に「人間には色々な才能があるがどの国の歴史にも軍事の才能を持ったものが一番少ない。日本においては源義経大村益次郎の2人」という理由を揚げています。

この中で義経判官びいきというのもあって人気がありますが、大村益次郎(旧名:村田蔵六)は元々は町医者ですが卓越した語学力で蘭書の翻訳作業から多くの軍事知識を得ていたようです。

戦いのプロである武士出身ではないことがかえって「型にはまらない」戦略が可能だったということもありますが、やはり元々卓越した軍事の才能があったということでしょう。その軍事的才能によって第二次長州征伐において僅か3000の兵で10万の幕府の大軍を破るという離れ業をやってのけます。

上野戦争では、戦いの全てが事前の構想どおりに進み、敵が退却する時間まで的中させて事前の発言通り僅か一日で終わらせています。
長岡、庄内、会津などの戦いでは、敵が降伏する時期まで的中させています。
さらに大村のすごいところは、銃砲弾の使用数や前線での諸経費まで予測しほぼ的中させていることです。

大村のすごいところは戦略を作る上で驚くべきほど綿密な計算を行い、作戦進行は常に冷静沈着でした。

結果として明治2年(1869年)、函館五稜郭で、榎本武揚らの最後の旧幕府残党軍も降伏し、戊辰戦争は終し、名実ともに明治維新が確立します。新しい明治時代の到来です。

さて戊辰戦争終了後、大村は注目すべき発言を行っています。

「奥羽はいま十年や二十年頭を上げる気遣いはない。今後注意すべきは西である。」と答えたように、西郷らを中心とする薩摩藩の動向が気になっていたようで、既に西南戦争を予想していたといわれます。

実際大村は西郷隆盛を全く評価していなかった一人であり、西郷を建武の新政後に反旗を翻した足利尊氏に見立てていたといわれます。そこまで西郷吉之助を警戒する理由はどこにあるのかわかりませんが、大村は人間のタイプとしては西郷とは真逆のタイプであることは確かでしょう。

日本人はロジカルな思考は決して得意ではない、と考えます。どちらかというと情で動く社会なので、その意味で大村は日本人には珍しい徹底的にロジカルなタイプの人間でした。それがある人たちとは相いれない部分があったと思われます。

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西郷吉之助自身は大村益次郎の能力を評価していたようですが、何にせよ後の西南戦争を予期していたとすれば、大村益次郎の見識はやはり並大抵のものではないといえるかもしれません