KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

10-30代の理想とする「コミュ力」についてー否定や「抵抗」を極端なほど毛嫌いする人たち

実は前々から不思議だった

公文書偽造という犯罪、隠蔽、そして呆れるほどのウソ、まやかしが飛び出しそれでも安倍政権は続きそれどころか支持率まで上がっている。そして前前から気になっているのは野党への支持率が絶望的に低い。特に若者世代ではその傾向が顕著だ。
実際立憲民主党の集会に行っても若い人は殆どみない。

それに関して若者世代が「コミュ力」を重視している事実があるのではないか、というとても興味深い記事があったので紹介する。

gendai.ismedia.jp

内容を読んで大いに納得できたと同時に、正直いってこれが本当だとすると背筋が寒くなった。

この若者たちがいうコミュ力とは簡単にいえば「軋轢、行き違い、齟齬とそれが生み出す気まずい雰囲気を避け、会話を円滑に回すことが理想」とすること

波風を一切立てず、「抵抗」の思想家を毛嫌い、「こだわり」や「情念」を一切出さない。本来なら学生の主体的な学びを重視する「アクティブ・ラーニング」すら周囲や教員の顔色をうかがうことしか考えない。それが「コミュ力」の高い人達であり10-30代の理想とする振る舞いだという

会話がすれ違ったり、お互いの言い分が感情的に対立したりして、それを調整するのに骨が折れるような「面倒臭い」事態を招く、おかしいと思う問題に「こだわり」続ければ、「まだやっているのか」と言われ、不正義に憤って大きな声を出せば、「冷静な議論ができない」と言われ、党内で論争しただけで「内ゲバ」と言われる。

10代ー30代の人たちにいわせればこういう人たちは「コミュ障」というレッテルを貼られ、忌避される。当然のことながら彼らはある特定課題に「こだわり」を持つ人たちや、ある法案に必死に抵抗しようとする勢力を排除する。つまり野党のように与党の法案に疑問を呈したり、あるいはそれをひっくり返したりする振舞いは、「コミュ力」のユートピアでは「コミュ障」とされてしまい徹底的に忌避される。

ではこの10代ー30代が理想とする「コミュ力」を徹底的に推し進め、究極の「コミュ力」を追求するとどうなるか、わかりやすく例を揚げよう

たぶん10代―30代が理想としているのはオウム真理教

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実際10-30代の若者で旧オウムに入信する人間が増えているという

そしてナチスドイツである

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 たぶんこの2つの内容を見て彼らはいうだろう。

「なんという素晴らしいコミュ力の人たちだ!!」

もしかしたら「コミュ力」をすべてに優先する10-30代の若者はそもそも民主主義自体を求めていないのかもしれない。彼らにいわせれば政治の健全性も国民や公の平等性や基本的人権の尊重など、現憲法さえもが現代社会への批判であり、理想論として煙たがっているのかもしれない。それらは全て「コミュ障」の人たちのやりかただと決めつける

カルト宗教であるオウムもそしてナチスドイツも「個」として自らを主張することは一切許されない。個を失った羊の国家こそが彼らの理想なのだ。

だから安倍政権が公文書改竄という犯罪、隠蔽、国会で嘘をどんなについてもそれを追求する野党やそれを支持する一般市民(おじさんかオバサンだ)の方が否定の対象となり徹底的に忌避される。

 

だがたぶん10-30代の若者から「コミュ障」のオヤぢと決めつけられ忌避されるだろう私だがひとことだけいわせてもらう

あなたたちのいう「コミュ力」はそもそもコミュニケーションではない

コミュニケーションとは情報を「伝える側」「受け取る側」の2者に分かれ、そのどちらかまたは一方に目的があって情報の往来があることをいう。つまりそこには「伝える側」「受け取る側」双方の「こだわり」や「情念」の絡みがあることが本来のコミュニケーションである

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10-30代の若者がいう「コミュ力」は「こだわり」や「情念」しいては「自らの意見をいうこと」すらも否定する、ということは「伝える側」になることを事実上放棄するということになる。

周囲と「同調する」ことが何よりも優先され、「同調することが上手い人」が「コミュ力」のある人となる

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10代ー30代にとって周囲と同調することが何よりも優先する

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たぶんこの絵のカザマ君にこういわれることが何よりも嫌なのだろう

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つまり10代―30代の「コミュ力」=同調圧力の奴隷になる

ということに大多数が気づいていないということだろう

勿論10代―30代の人たち全員がそうだとは思いたくないし、私の周囲にはそういう人間があまりいないのでまだ希望は捨てていない

だが少なくとも統計上は10代-30代の半数以上がこの「コミュ力」を理想としているとしたら、本当に日本という国のこれからが心配だ。

「コミュ力」を何よりも優先する人たちはあたかも上記のオウム真理教のように周囲との同調する行為、テクニックを何よりも優先するようにあたかも「マインドコントロール」を受けているのだろう。それこそがコミュニケーションの本来のありかただという大勘違いをしているのだ。それだけに一度この「マインドコントロール」を受けるとそれを解くのは至難の業だ。まるで誰かが周到に準備して今の若い世代の洗脳を気が付かないうちに仕掛けたのでは? とそう思いたくなるくらいに巧妙にこの「コミュ力」のワナで若者の思考、行動ががんじがらめにしている印象がある。

海外で教育を受けた私はアメリカの学校には「デイベートの時間」というものが設けられている。そのことによってどの意見が正しいか間違っているかではなく、違う立場や違う意見の人も尊重する、ということを学校で学ぶ。そうすることによって自らの主張を出しやすくなる。だが今の日本人にはそれをできない。そもそも多様性を甘受していないのが今の日本人だ。

少なくとも欧米社会では「自分の意見をもたない」人間は一人前の人間として認められない。だが日本では「自分を意見を持つ」ことは「コミュ障」と判断されてしまう。殆どが一人前の人間として欧米では認められず、世界から取り残される存在になろう

やはり日本人は劣化した。それも救いがたいレベルに

残念だが