KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

ソーシャルネットで「コンテンツの価値」価格を高める試み

先日こんな記事を目にした

■なぜ? LINEからも逃げ出し始めた若者たち
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180117-OYT8T5001

www.afpbb.com

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若者たちは、新しく「大人があまりいない場所」にいつも心を惹かれるものだ。このため、若者たちにとって、SNSの「流行はやり廃すたり」はとても早い。企業が採用活動やマーケティングで10代にアプローチしたいと考えるのなら、常に若者のSNS利用動向を把握すべく努めることが肝要といえそうだ。

 

この文章で違和感を感じるのはソーシャルネットを「流行り廃り」という観点から論じていることだ。つまり「流行」が終わればそのうちだれもソーシャルネットなど使わなくなるだろう。という意味にも受け取れる

だとしたらITジャーナリストとしてこういう論法はいかがなものか? と思うのである。

ネットは勿論のことSNSといえども単なるツールに過ぎない。またツール以上のものではない。そのツールが自分に合っているのかいないのか、だけの話。使いすぎて嫌気が出るくらいならその人はそもそもSNSを使うのに向いていない人だ。

私は仕事の上でもプライベートの上でもSNSは切り離せない。殆ど依存症の一歩手前かもしれない。だがその一方でそのツールをできるだけ有効なツールとして使うためにどうするかいつも心を砕いている。

SNSは便利なツールだが、ツールなので使い方を間違えると逆に凶器にすらなる場合がある。私自身も特にmixiを使っていた時に苦い経験がある。

ネットの黎明期にはインターネットもその中のSNS「自由放任であるべきだ」という考えで運営する考え方が支配的だった。だがそれが何をもたらしたか、かつて日本国内でダントツのSNSのシェアがあったmixiがその後どうなったかを見れば明らかであろう。自由放任は情報の質を低下させ、SNSの炎上や特定のユーザーへ徹底的なたたき、「荒らし」が日常的に発生。そしてmixiはその対策にはどうみても消極的だった。少なくとも消極的とみられても致し方がないくらい対策が遅かった。そのため大量のユーザー離れが発生した。mixiがその後対策に重い腰を上げたようだが時既に遅し。mixiがかつてのようなSNSに戻ることはあるまい。

また先のアメリカ大統領選でも問題なった偽情報、プラットホームをフェイクニュースやデマに悪用はSNSの存在意義を揺るがしかねない事態になっているし、実際トランプのような政治の素人、人種差別主義者が大統領になるという事態になる。Facebookは「正しく機能している民主主義に対してでさえ、インターネットが悪影響を与えることを認識している」といって誤った情報の拡散の対策に乗り出すことを表明した

www.afpbb.com

具体的にはフェイスブックは先週、偽ニュース対策としてニュースの発信元の信頼性をユーザーがランク付けできるようにすると発表。「悪影響を与えるものに対抗し、フェイスブックのプラットフォームを民主主義に有益な場にする」としたがこれがどのような影響を与えることになるか、注目してみようと思っている

 

今までのインターネットにおいて決定的に欠けていたのは「情報の質」のクオリテイーコントロールという概念だ。

ネット黎明期の「自由放任の原則」固執したネット関係者も多かったが、残念ながらインターネットは現状では、「情報の質」のコントロールを行わないと、質はどんどん下がっていく方向にベクトルは動く。ネット関係者の多くは認めたくないかもしれないが、ネットは放置するとクオリティも価値自身も下がっていく方向にベクトルが動く。これは残念ながらここ20年近いネット上の歴史がそれを証明している。

 

ネット経由のビジネス、ECもそうだ。

価格が下がることのみがよいこととされ、コストが上がる=企業努力が足りない、などという短絡的な見解が広がり、これが昨今の企業のビジネスのありかたも著しく影響を与えるにいたった。少なくても現状ではネットの中のコンテンツ、情報が付加価値をつけるということは事実上不可能になっている

だがネット情報のクオリテイーコントロールという概念がそういう風潮にストップをかけられるか、ちょっと試してみようと思っている。

私はSNSはLineもtwitterもやっているがメインで使っているのはFacebookだ。それはFacebookが私の業務の面でも最も有効なツールになっている(無論、細かい所をあげるとかなり不都合な面も正直いってあるが)ためである。あくまで私にとってそうだというだけでLineの方が使いやすい人はLineにすればいいし、Twitterの方がいい人はそうすればいい。それだけのことだ。

私はFacebookにて音楽と映画関係のプロフェッショナル参加を対象とする「音楽&映像関係者キャステイング」というグループの管理人をしている。

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オーデイションや仕事の募集案件の投稿を主に行うグループとして始めたのだが正直始めたときは今考えると非常に緩いグループだった。募集投稿も今思うと実にいい加減だった。

だがそれではグループ自体が機能しないことに気づき、現在ではグループ参加のハードルも上げ確実にプロかプロに相当する活動をしていないと承認しないことにしており、募集投稿もかなり厳選した内容に絞っている。現在では映画映像コンテンツのグローバル化の流れに乗ってこのグループでないとなかなか得ることができないような募集投稿も掲載している。

またここだけの話、参加者のクオリテイーコントロールも行った。初期に参加した明らかにプロでない参加者、音楽にも映像にも無関係と思われる人間は全て削除させてもらったし、また該当する参加者でも「イベント招待」が一年以上未読のままでなおかつグループでコメントはおろかイイネすら一度もしていない人は、「グループに参加する意思がない人」とみなし退会していただいた。これは現在Facebookのイベントで「招待数制限」というのがあるため、イベントのお知らせを「最初から見ない」とわかっている人に招待が行くのを防ぐ意味もある。貴重な招待数枠はできるだけ有効に使いたいからだ。

ここで行っているのは徹底した情報のクオリテイーコントロールだ。このことによってとかくコンテンツの価値を下げる方向にしかベクトルが働かない現在のネットの状況と真逆の方向に事態を動かすことができるのでは、と期待している。

勿論これはかなり手間とエネルギーを投入しないとできない。だがFacebookのネットツールとしての効果を上げることを考えるとこういう方法が有効ではないかと思ってやっている。この方針に変えて一年余だが今のところうまく機能しているように見える。

今あるインターネットにある「コストを下げる」「価値を下げる」ベクトルの例とは真逆な例を作ってみたいと思っている次第である。