KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

西郷どん(せごどん)-なぜ薩摩藩の人々は貧乏だったか

西郷どん(せごどん)-今日は先週かいたお由良騒動についての話しでした。薩摩藩内の斉彬派の粛清が始まり、これで父斉興と斉彬の関係はもはや修復しがたいものになりました。斉彬はこれによって窮地に陥りますが、来週今日初登場の藤木直人扮する老中阿部正弘に助けられ、父の斉興は強制的に隠居させられます。

お由良騒動についての詳しい話はこちら

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さて、ドラマでは下級武士である西郷家を始め、薩摩の農民の貧窮ぶりが描かれていますが、なぜ農民や下級武士までが食うや食わずの生活に追い込まれているのか、薩摩藩の取り立てがなぜあそこまで過酷なのか、について説明しようと思います。

薩摩藩は表石高(一般に発表されている米の収穫高)は72万石という加賀百万石に継ぐ大藩です。江戸時代には無数の小藩がありましたからそれに比べるとかなり豊かにみえますが、実は大名の表石高と実際に収穫される米の石高は一致しないことが多いのです。

大名の領地の「石高」は詳しく書くとややこしくなりますが、江戸時代の土地の評価単位で土地の等級に従って決められた1反 (991.736m2) あたりの公定収量をを耕地,屋敷の面積に乗じて計算し,1村分の石高の合計を決定しているので、たいてい土地の広さに比例するわけですが、田畑にするのに適した土地か、その他気候、条件等を入れていたわけではありません。そのため表石高と実際の収穫高には土地によって大きな違いが生じるわけです。

例えば伊達氏の仙台藩は表石高62万石ですが、実際の米の収穫高は120万石はあったといわれ、越後長岡藩にいたっては表石高30万石が実際には100万石近い収穫があったといわれています。どちらも現代でも米どころとして有名なのは周知のとおり。

しかし薩摩藩は表石高72万石(琉球支配下に置いて実際は90万石ともいわれますが)ですが藩内の土壌の多くは水持ちが悪く稲作には適さないシラス台地であったため土地が貧しく、実際には半分の35万石くらいしか収穫できなかったようです。

もうわかりますね? 表石高の半分しか米が取れない。江戸時代は実質的に米本位制といってもいいくらいに米の先物市場の取引で実際の金銭の収入がきまりますので米の収穫高の薩摩藩の収入は極めて少なかったわけです。

薩摩藩の斉興の時代はその少ない石高の収入を可能な限り徴収して薩摩藩の財政をたてなおしているため、農民や下級武士は当然ながら困窮状態に陥るわけです。それが西郷や大久保が斉興派に対して反感を持つきっかけになったことは間違いありません。

薩摩藩は石高の収入不足を奄美大島の砂糖(「ブラタモリ」ご覧の方はおわかりですが、これも恐ろしいほど過酷な取り立てを薩摩藩は行ってました)や琉球での貿易で補っていました。琉球の貿易はかなり薩摩藩を潤わせたようですが、何せ鎖国の時代、それを大っぴらにすることは勿論できませんでした。

しかし琉球王国は日本と違い鎖国をしていませんでしたから、清国や欧米列強の情報を他の藩よりも早く収集することができ、それが明治維新への原動力になったのは事実だろうと思います。

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薩摩藩の洋式軍備や藩営工場があった集成館

琉球のルート、そして幕末に行う薩英戦争で逆に薩摩独自のルートで武器の調達を可能にしました。勿論米不足は深刻でした、

そこに目をつけて本来は犬猿の仲だった長州藩を結び付けたのがご存じ坂本龍馬です

長州藩は薩摩と違い米が豊富にとれた藩でした。そして激しい尊王攘夷運動から倒幕運動に傾倒したため、幕府軍による長州征伐が行われますが、最新鋭の武器が欲しい長州と米が欲しい薩摩、お互いの足りないものを補って同盟関係を構築したことが世の中を大きく動かすことになりました。

このあたりは後程描かれるでしょう。長州藩の登場人物(桂小五郎伊藤俊輔、井上問多、そして勿論高杉晋作)と坂本龍馬 全員後程出ると期待しますが、誰が誰を演じるのか楽しみですね。

米がロクに取れない食うや食わずの西郷だったからこそ時代を動かすハングリー精神が生まれたのかもしれません

 

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