KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

終戦記念日ー都議選で自民大敗も国政で受け皿になりうる政党いまだできず

こちらの個人ブログを新urlに移動してから、業務で多忙なためこちらのブログをなかなか更新できない。お盆期間にいくつかできるかもしれないがお盆明けからまた業務多忙になるため、おそらく滅多にこれからも更新できないだろう

 

そして終戦記念日、安倍政権の支持率は内閣改造も少なくとも安部政権が期待したほどは上がらなかったようだが、「安倍一強」は若干揺らいだもののまだ完全に安部政権を退陣させるまでには至っていない

 

終戦記念日の今日、96歳の洋画家 野見山暁治さんが昨今の日本の状況を見て「あのなに時代と似た雰囲気」と述べているのが現在の状況を表している

 

■嫌な流れ止めねば あの時代と似た空気 満州に出征、96歳・洋画家 野見山さん

  https://mainichi.jp/articles/20170815/ddm/041/040/127000c

そのとおり、平成の治安維持法である「共謀罪」政権にとって「都合の悪い情報」を隠蔽できる国家機密法、そして集団自衛権で戦争可能な安保法案。そして「安倍政権親衛隊」となっている日本会議ネトウヨ在特会 まさに戦争突入直前の史実に酷似している

今全世界的に右翼、人種差別主義、偏狭なナショナリズムが台頭している。不幸なことに先日もアメリカ、バージニア州シャーロッツビルでの白人至上主義者の暴動が起きてしまった。マコーリフバージニア州の知事は強い口調で白人至上主義者、ネオナチ、人種差別主義者を非難した。

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この言葉はネットその他でヘイトスピーチをまきちらす日本会議関係者、ネトウヨ在特会にも投げかけたいと思う。なぜなら本質は全く同じだからだ

日本のネトウヨ在特会そして日本会議の関係者は多様性を否定し、戦前戦時体制を絶対視し、日本をその当時の体制に戻そうと安部政権を利用した結果、日本の民主主義をこわしてきた。彼らは愛国者面しているが愛国者でもなんでもない。日本をかつて72年前に滅亡に向かわせたことと同じことをしようとしている。

差別やヘイトスピーチをするような輩は日本人ではない、だからそういう人たちは日本からもネットからも出て行け。そして二度と戻ってくるな

トランプ政権はシャーロッツビルの暴動で人種差別主義者を明確に避難するコメントを出さずに、今避難され釈明に追われている。仮に日本で同じようなことがおきても安倍政権は曖昧な態度に終始するだろう 。理由は簡単 自らの支持母体でもあるからだ。

 

さてここまで日本の民主主義体制がズタズタにされたというのも「安倍一強」の体制がいまだ実質的に万全な状態になっているためでその理由は他でもない野党が弱すぎるからだ。

 

先日「都民ファースト」なる小池ユリ子知事の政党とはいえ、都議選で自民党を大敗に追い込んだのは、自民党に代わる「受け皿」さえあれば「安倍一強」の体制を崩せることが証明されたのだが、これに対する最大野党の民進党は何ともその好機を生かせることができずにいる。それどころか党が分裂か一つ間違えれば消滅する危険性すらある。

特に9月1日に民進党の代表選挙が枝野氏と前原氏で争うが、下馬評では前原氏優勢が伝わっている。民進党のリベラル派と右派との対決になるが、この選挙で民進党の今後の運命が決まるといっても過言ではない

枝野のリベラル派は共産党との共闘に前向きであり、必ずしも今や保守勢力と化した連合に左右されない。一方の前原氏は日本新党系の右派で共産党との共闘には否定的、体勢的に連合べったりである。枝野が勝てばリベラル政党としての脱皮が測れるが、前原が勝てば民進党は「第二自民党」になるのは目に見えている

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むろんまだ結果がわからないのでどうなるのか流動的ではあるが、残念ながら現段階では後者の単なる「第二自民党」が生まれる可能性の方が高い。
となると枝野を始めとするリベラル勢力は大きな決断を迫られる。そのまま民進党に留まるか、小澤一郎の自由党と合流し共産党を含む「野党共闘」を受け入れるか。

前者であれば日本の野党は何も変わらない。後者になれば案外面白い。野党結集にはならないが私はそれでもいいのではないか、と思っている。

都民ファーストの都議選の圧勝も必ずしも野党共闘で大勝したわけではない。共産党を含むリベラル勢力を選ぶか、第二自民党勢力を選ぶか国民に選ばさせてもいい、個人的には第二自民党などいらないと思っている

とにかく声を大にしていいたいことは一つ

野党は自公政権に変わる「受け皿」を早く作れ

ということ

それは民進党である必要は必ずしもない