KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

真田丸最終回ー史実を変えてもドラマは脚本が善し悪しを左右する

先週の日曜日、一年間楽しませてくれた真田丸が最終回を迎えました。
既に「真田ロス」という言葉があちこちから聞こえるほど、真田丸が終了して寂しいという声が強かったですね。
実際ここしばらくの大河ドラマの中でも一番面白かったといっていいでしょう。

実は真田丸はとりわけ終盤にかけてかなり史実を変えています。とりわけ「千姫」の救出できりちゃんが実質的に救出させたことになっていますが、史実では宇喜田秀家の従弟である坂崎直盛が救出ということになっています。(もっとも実際には千姫は豊臣方の武将である堀内氏久に護衛されて直盛の陣まで届けられた後、直盛が秀忠の元へ送り届けた、とする説が有力)

千姫

千姫は秀頼の正室ですが、絶世の美女だったといわれており、坂崎直盛が救出したのはその後千姫を自らの正室に迎えるという「口約束」を鵜呑みにしたといわれ、実際には千姫は突然姫路新田藩主本多忠刻との縁組が決まったため、面目を潰された直盛が千姫奪回計画を立てたという記録が残っています。(坂崎直盛は家臣に殺され、その後坂崎家は改易)

実はこの「真田丸」と同様、史上最悪といわれるできばえの「天地人」も千姫救出の場面、なんと直江兼続が救出などというありえないストーリーにしたのですが、こちらの方は非難轟轟でした。

同じ史実を変えたドラマでも三谷幸喜のドラマは「真田ロス」ということば飛び交うほどにドラマが終わったことを惜しむ声が多く、史実云々などという人は殆どいません。

この両者の違いはなんなのか。といいますといわなくてもわかると思いますが、脚本のクオリティの違い、ということになるのでしょうね、

既に数多くの実績を作り日本の脚本家の第一人者といっていい三谷幸喜とつうしょう「お粗末恵理子」などといわれる小松恵理子氏とは同じテーブルで論じること自体が(三谷氏に)失礼かもしれません。

まあ所詮歴史ドラマは実在の人物をいれているとはいえ、フィクションなわけですから史実云々について重箱の隅をつつく行為は確かに野暮です。問題はドラマとして面白いか、面白くないか、という点でその差はやはり脚本の違い、やはりいい脚本でなければいいドラマにはならない、という当たり前の結論になるわけです。

ですから信繁(幸村)の最後も実際には松平忠直の鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、「儂の首を手柄にされよ」との最後の言葉を残して討ち取られたと記録にのこされてますが。ドラマでは信繁が忠直の家臣を討ち取ってから自害することになっています。なぜならその討ち取り方が父昌幸のと同じやりかたで、三谷氏は最後にこれを見せたかったのでしょう。

三谷氏のドラマは部分、部分があとのドラマの1シーンとつながっているところがあり、それが三谷幸喜ドラマの1つの特徴でもあるのですが、最後の最後まで三谷ドラマの手法で終わらせた、ということでしょう

一年間楽しませてもらいました。関係者の皆さん お疲れ様でした
そしてありがとうございました。