KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

「投票しない権利」は「選挙で選択の失敗する」より遙かに危険な理由

日曜日の参議院選

私は本日夜より東京を離れるので、既に期日前投票を済ませました。

今度の選挙はマスコミでも報道されていますが、「(安部政権に都合のよい)改憲をする勢力」が3分の2になるかどうか、という点が焦点であると報道しており、事実上、日本が「戦争放棄をした平和憲法を守る」か「日本が九条を改正(事実上廃止して普通に戦争できる国にするか」の選択をする選挙である、といっても過言ではありません。

マスコミの世論調査殆どが固定電話向けのRDD方式、についてはここ数日の記事で書きましたのでここは触れません。とにかく選挙結果が世論調査と限りなく離れたものになるには、焦点は無党派層(殆どRDDの対象外)がどれだけ選挙に行くか、

つまり投票率が全ての結果を左右する、 といっても過言ではありません。

さて20代ー30代の投票率の低さがいつもいわれ実質3人に1人しか投票所に行っていないという現実、これを何とかならないものかと思っていますが SEALDs の動きや三宅洋平に対するムーブメントが実際どのくらい投票率を上げることができるのか、大きく期待したいところです。

ところで前回の衆議院選挙の時に「投票しない権利がある」などと主張していた人間がいました。

そしていまだにこういう見解が根強く残っているようです

選挙前の最後に「投票しない権利」という考え方ほど危険なものはない、という点だけ強調しておきたいのです

「投票しない権利」とググるとこんな記事が出てきました。
■選挙権は権利であって義務ではない
http://blog.asens.jp/archives/1182

この文章を書いているのがどういう人物かわかりません。とある会社で営業をやっている人のようです。確かに選挙は権利であって義務ではない、というのはその通りですが、やはりこの記事の主は根本的な勘違いをしています。

世界には義務投票制を採用している国もありますが、日本の選挙権は権利です。義務ではありません。
つまり、投票しない自由を認められているのです。



投票しようがしまいが当人の自由なのですから、それを批判するのはどうかと思います。

まず、権利というものをこの投稿主は根本的に勘違いしています。

権利というのは人間の尊厳を保つために憲法で保障されているものです。これは権力の暴走を止めるために歴史上民衆が勝ち取ったものであり、それを捨てるのは自らの尊厳を捨てるというのと同じことです。
投票する、というのは一般民衆が政治権力に対して、物を云うか、いわないか、私たちがもっている殆ど唯一のチャンスであります。そのチャンスを自ら棄てることは言ってみれば営業でいえば自分で自分のビジネスチャンスを捨てる事ーいわば自殺行為ー、と同じことなのです

もっと極端にいえば投票しない権利がある=自分の権利を捨てる権利がある、ということは自分の人権をも自ら棄てる権利がある、といっているのと同じこと

あなたは自分で自分の人権を捨てられますか? 権力に何をされようが煮て食われようがかまいませんか? そして何よりもあなた自身のビジネスチャンスを放棄する「権利」とやらに固執しますか?

また、批判するということは、当然投票に行った方だと思います。投票しなかった人はその責任をとり、投票した人はその結果の責任を負うべきだと思います。



知名度だけで当選したり、先の選挙なんて民主党って言えば誰でも当選するみたいな、そんないい加減な選挙を見ていると、投票する意識も低くなるっちゅうもんです。

この文章を素直にとりますと、「投票したこと」に対する責任を負いたくないから投票しない。という風に受け取れます。
本来権利と義務というのは実は表裏一体のものであり、そこには必ず「責任」というものが発生します、

要は自分は責任はとりたくない。もっといえば無責任な人間でいたい
無責任であることを正当化している

のと同じことですね。

こういう態度は社会人として、人間としていかがなものでしょうか?

つまり投票率50%程度にも関わらず、その多くの人が候補の政策のチェックをしているか怪しいとボクは思っています。いい加減な判断で投票する方がよっぽど危険だとボクは思います。

まあ私は必ずチェックをしていますし、実際各政策に関してチェックできるページなどいくらでも今はネット時代ですから簡単にみつけることができます
http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2016/asahitodai/

自分は見ていないから投票しない、というのは単なる言い訳に過ぎません。これも「無責任の正当化」の一環でしょうか

また自分が100%同意できない候補に投票するのは危険だ、などと考える人がいますが、ビジネスでいえば諸条件を100%合意できなければ契約しない、などといえますでしょうか?
そんなスタンスだったらまず間違いなく契約なんか取れないでしょう。世の中そんな甘くはありません

何よりもこの投稿主は根本的なことを理解していません。

それは「投票しない」「責任を持たない」とか「今の政治がダメだから投票しない」というのは結局いまの政治体制を追認、承認している、ということと同じだ、というこどです

ですから政治批判しているから投票しない、ということはその行為自体が根本的に矛盾する行為だということです。

どうも上記のブログ記事でよい印象を持てないのはそういった民主主義社会での社会人としての責任放棄を正当化しよう、という態度がみえるからです。

それは人間のやることですから、投票で間違った選択をする場合があります。私も「この候補に投票しなければよかった」と思ったことが何度もあります

しかしその間違った投票、投票の失敗は次の選挙で取り返せばいいのです。

失敗は失敗したことではなく、失敗から何を学ぶか、そして同じ失敗を繰り返さないようにするか、そちらの方が重要です。なぜなら失敗しない人間などこの世に存在しないからです。

投票しないことでは何も変わりません。それどころか結果的には暴走する安部政権を信任することと結果的に同じです。
白票や無効票を投票するのも棄権することと同じ

結果的には今の政治の悪態を容認していることと同じ

http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2016/asahitodai/

「投票しない権利」の主張は「選挙で投票で失敗する」より遙かに危険である、ということをご理解していただければ幸いです