KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

高市総務相の究極の報道圧力にみる「報道の公正さ」とは?

既に何度も報道されているように高市総務相が「放送局が「政治的に公平であること」と定めた放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性」について言及した。高市総務相はこの発言を一度ならず他の委員会等でも繰り返し発言しているようにこれは確実に確信犯的な発言であることは火を見るよりも明らかである。

そもそも「政治的に公平」とは何か?

本当に「政治的に公平」」とは政府の政策とも距離を置くはずである。なぜなら政府だけでなくあらゆる政党(当然ながら右、左関係なく)の主張をに傾倒するものではない立場のことをいう「はず」である、

だがこの高市総務相の主旨は明らかに違う。

ひとことでいえば

政治的に公平=政府にとって都合のいい報道

という意味に他ならない

そもそも放送法第四条は「政治的に公平なくてはならない」と記しているもののそれに関する罰則規定の記述などどこにも書いていない。放送局を管轄する総務大臣のこの発言は明確に放送局への圧力であって言論統制を意図したファシズム的発言であるといわざるを得ない。

要はここでいう「政治的に公平」とは誰にとって「公平」なのか?という点である。これは断じて政府ではない。

そもそも言論や報道は記者が書くものでありこれには主観が必ずといっていいほど入る。主観を完全に排した記事などこの世に存在しないし、おそらくそんな記事は読んで極めてつまらないものであろう。
人にはそれぞれの立場、思想、背景がありそれによって観点も大きく違うはずである。当然ながらその人にとっての「政治的に公平」の内容は大きく変わるし、変わるのが当然なのである。

その意味では特定の立場、思想の背景のない報道などありえない、といってもいいだろう

だから政府や閣僚の人間が「政治的に公平」という言葉を使う場合はこれは自然に「政府にとって都合のいい発言」という意味に自然になるし、そのような意図で発言したと思われても仕方がない。

だがこの発言に明らかに民放各社は腰砕けになっている。

今や民放各社もサラリーマン社長で、サラリーマン社長というのは「自分の任期だけつつがなく務める」ということしか考えていない人間が殆どだ。根底にあるのは自らの保身であり、ちょっとした「外部からの圧力」に対しては本当に脆い、脆すぎる。

その結果。民放各社は沈黙を守っているが辛うじて民放連が「公開質問状」を出して「抵抗」の意思を示している。民放各社でなく「集団」でないと怖くて発言できない、ということか

高市氏停波発言、民放労連が公開質問状 根拠求める
http://www.asahi.com/articles/ASJ2J5CJ3J2JUCVL01C.html

2月末までの回答を要求しているが高市がどんな回答するか見ものである。そもそもきちんと回答するかどうか疑問だが。
(回答しなければこの発言にはかなりやましい意図がある、と思われても仕方がない)

■☆日本ジャーナリスト会議公式ブログ 【声明】高市総務大臣の「電波停止」発言に厳重に抗議し、大臣の辞任を要求する=放送を語る会、日本ジャーナリスト会議
http://jcj-daily.seesaa.net/article/433733323.html

安倍ファシスト政権の暴走は続く