KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

大河ドラマではなく「奥様劇場」となった「花燃ゆ」

大河ドラマの「花燃ゆ」

後半に長州藩の奥御殿が主要舞台ときいて何となく嫌な予感はしていたんだけどその嫌な予感が当たってしまったというのが後半を何回か見ての感想

ひとことでいってこれはもはや歴史の大河ドラマではない
昨日なんか特にそうだったが、まさに韓流ドラマよろしく奥の女性、特に正室銀姫と結果的に最後の藩主となる毛利元徳とのメロドラマ

この作り方はいわゆるアメリカでいう「ソープドラマ」(主婦向けの昼の安っぽい恋愛ドラマ)の作り、日本でいえば花王奥様劇場」のノリだ。

この時長州藩は幕府による第一次長州征伐で藩の存亡がかかっていた時期
椋梨を中心とする幕府恭順派の粛清で高杉、桂及び松下村塾の人間が最も危機的な状況にあった時だ。

のんびりおはぎ、とか羊羹とか作っている場合じゃなかろう 

藩主だった元徳も内心それどころではないはずだ。

何か本当に奥御殿の女性の安っぽい人間模様を描き、歴史の動きなど完全に「二の次」にされている印象。

声を大にしていいたいのは

大河ドラマでそんなものみたいか?
ということだ。

幕末という日本史でももっともドラステイックに歴史や価値観が変わった時期に歴史を動かした、久坂、高杉、西郷、桂(木戸孝允)、そして坂本龍馬がどのように描かれるか、

この日本の歴史でももっともワクワクする時代に歴史に残った人物がどのように描かれるのか、それを見て楽しむのが大河歴史ドラマのはずなのに

なぜこうなってしまうのだ? やはり主人公が平凡すぎるからか?
日曜の八時に午後の奥様ドラマなど一体誰が見たいと思うのだ?

まだ伊勢谷祐介の吉田松陰松下村塾の時はまだ見れた。実質的には伊勢谷が主役のドラマとして見ることができた

ただお昼の奥様劇場になってしまったらさすがに見る気が萎える

キリのいいところ、そうだな、高杉が椋梨派をやっつけるクーデターくらいはみようかな? ただあまりきっちり描かれそうにないが

司馬遼太郎「花紳」が懐かしい。

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