KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

花燃ゆー自己矛盾だらけの井伊直弼、歴史の評価は?

久々「花燃ゆ」の記事です。

とうとう今回で吉田寅次郎こと松陰が安政の大獄で処刑されてしまい、来週からは新展開になります。私も予想していなかったんですが坂本龍馬が出るんですね。伊原剛志坂本龍馬ですが果たしてどんな龍馬を見せてくれますか。

そしてその安政の大獄を実行した大老井伊直弼

井伊直弼 1815-1860
吉田松陰を初め数々の有能な人物を粛清したため、歴史上は悪役としての扱いを受けることが多い人物ですが、一方では近江彦根藩で名君として記憶されており、また当時の情勢からして日米修好通商条約調印はやむを得なかったという評価もあり、その意味では歴史の評価が分かれている人物でもあります。

実はこの人物について調べれば調べるほど、この井伊直弼は矛盾だらけの人物であることが見えてきます。

1.藩政改革では大きな実績を残し名君と謳われた反面、安政の大獄では開国を主張しながら、そのための勝海舟大村益次郎等の開明派の若手人材登用を柱とした開国のための計画を意識的に中断・縮小するなど、支離滅裂な行動も起こした。

2.元々鎖国維持派だったが、開国派にあっさり持論を変え、幕府が国政の実権を回復した後に攘夷も考える等、論拠に矛盾が多い司馬遼太郎は「攘夷派を弾圧したが開明論者でもなく西洋嫌いであった」と批判しています)

3.強権的な手腕による攘夷派への過剰な粛清を初め、強権的な手腕で開国を推し進めた開明派官僚まで大量に追放し、結果として回復しかけていた幕府権威を衰退させるきっかけとなった点

要は人間としてかなり自己矛盾を多く抱えていた人物ではないか、とも思うのです。

勿論ペリー来航は江戸幕府250年の泰平を覆す事件であり、これをきっかけに価値観が大きく変動するきっかけになったことは事実であり、そのため自らの論拠がこの急速に変動する時代背景に伴い大きく変わる、ということは理解できます。

井伊直弼が一番こだわったのは江戸幕府の威信の回復。
          
その威信回復のために幕府を批判する人間を強権的に粛清、排除、追放する、という基本方針にこだわった
          
これが本来は名君だったはずの井伊直弼を強権的な独裁者にしてしまい結果
          
       安政の大獄という虐殺

という図式になりますが、もう少し他人の意見に耳を貸す、という度量はなかったんでしょうかねえ

彦根では名君と謳われているかもしれませんが、人間の度量はやはり小さかったともいえます。幕閣の政治駆け引きには長けていたようですが

安政の大獄吉田松陰のみならず、松平春嶽の腹心であった橋本佐内、梅田雲浜頼三樹三郎といった開明的な学者を処刑し、幕末の人材に打撃を与えました。この件だけでも井伊直弼歴史的評価が下がるのはやむを得ないでしょう。

ちなみに井伊暗殺後、その安政の大獄の非を問われて彦根藩は10万石減封されてしまいます。井伊直弼に対する怨嗟が大きかったことを示す背景ですが、そのことが彦根藩江戸幕府に対する忠誠心を大きく揺るがせることになります。

戊申戦争の時薩長軍が「錦の御旗」を掲げて官軍になったことを示すと徳川譜代で真っ先に戦場を撤退し官軍についたのは彦根藩でした。

なんだが江戸幕府の崩壊は井伊直弼桜田門外の変の時に始まったようなきがします。