KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

花燃ゆー初回感想と保守派も多かった長州と薩摩

NHK大河ドラマ 「花燃ゆ」、初回放送見ました。

勿論初回のみを見て全体の感想をいうのは時期尚早ですが初回を見た限りではそんなに違和感なく、じっくりドラマを見ることができました。伊勢谷友介吉田松陰なかなかいいですね。後主人公の文の夫となる、小田村伊之助(後の楫取素彦{かとり もとひこ})もよかったですが、幕末ものに大沢たかおが出るとどうしてもJin 仁の仁先生に見えてしまいます(笑)いずれにせよ初回のできをみた限りでは結構期待できそうな感じですね。八重の桜のようなクオリティの高いドラマになることを期待します。

さて、ドラマでは非常に怖い叔父(よく見ないと奥田英二だと気が付かないww)が出てきましたが、この玉木文之進なる人物が実は実質的に松下村塾創立者になります。但し、ドラマで描かれていたように元々は従来の伝統的な朱子学に傾倒し、西洋学問を忌み嫌っていましたが次第に松陰の影響を受け尊王攘夷派に傾いていきます。

これは明治維新の中核を成した長州藩のイメージとは程遠いですが、長州藩薩摩藩も最初から進歩的な考え方が主流になっていたわけではありません。寧ろ長州藩はややもすれば保守派の方が強かった時期もありました。長州藩でその保守派(幕府の恭順派といってもいいでしょう)の急先鋒が内藤剛志演じる椋梨藤太(むくなしとうた)です。長州藩が本格的に倒幕に傾倒するのは高杉晋作のクーデターによって椋梨が処刑された後の話です。

一方、薩摩藩琉球を通じて海外の情報を得ており最新式の銃や西洋文明の情報をかなり得ていましたが、長州藩は他の藩同様に西洋の先端文明の情報など入っておらず、叔父の玉木文之進が今日のドラマでも発言したように、内容を読みもせず「野蛮」「邪な文書」と決めつける雰囲気がありました。また禁門の変で戦死した来島又兵衛のように戦国時代そのままのメンタリテイを持った人間も少なくありませんでした。長州藩が明治の原動力になるためには藩の方針が何度も大きく揺れ動いていた後になります。その激動ぶりには藩主毛利敬親も殆ど無力でした。

長州藩最後の藩主:毛利敬親

薩摩藩とて西郷や大久保のような人間が絶えず主導権を握っていたわけではないことは、西郷が何回も薩摩藩内で下野せざるを得なかったことでもわかります。
進歩的で幕末の名君の代表でもある島津斉彬から佐幕派でややもしれば保守派といっていい島津久光が実権を握ったことでもわかります。
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島津斉彬               島津久光
何よりも西南戦争薩摩藩内の保守派が中心で明治政府との戦争に発展しました。

激動の幕末、私たちがイメージしている長州藩薩摩藩も想像を絶するほどの紆余曲折、藩論が二転三転したというのが実態だと思います。それほどまでに江戸時代から明治までドラステイックに価値観が根底から変わった日本歴史の中でも稀有な時期が幕末、といっていいと思います。

いずれにせよ今回の杉 文、後の楫取美和子ですが、私も正直よく知らないのでしばらく見て行こうと思います。こうした無名の人物(しかも実在の人物)を主人公にするドラマというのも面白いかもしれません。

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