KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

憲法9条ノーベル賞受賞ならず、だがこれは始まりに過ぎない

既に報道でご存じの通り2014年のノーベル平和賞パキスタンで昨年10月、女子が教育を受ける権利を訴えて武装勢力に頭を撃たれたマララ・ユスフザイさん(16)が受賞した。

憲法9条が受賞できなかったのは残念ではあるものの、私は昨年のニューヨークの国連本部での彼女のスピーチを聴いて大変な感銘を受けたので、彼女の受賞は心から祝福したいと考えている。

銃撃されて生死の境をさまよったにもかかわらず信念を曲げず、教育を受けられない子どものための活動を続けると世界にアピールした姿はまさに称賛に値する。

やはり昨今の「イスラム国」が行うテロや残虐な殺戮行為等に対し、世界は狂信的な宗教テロリズムは許さないペンは剣よりも強し ということを世界に示したということができよう。

さて、日本国憲法の9条も有力候補と伝えられながら受賞できなかったわけだが、ここで声を大にしていいたいのは確かに受賞できなかったが

落胆するのはまだ早い

ということ

なぜならこれで日本国憲法第9条が未来永劫ノーベル賞受賞のチャンスがなくなったわけではないからである。

ちなみにマララ・ユスフザイさんは昨年もノーベル平和賞候補だったことを忘れてはならない

また仮に
安倍がどんなに強引に憲法9条日本国憲法からの条文削除 などという暴挙を強行しようとしても

現行の憲法国民投票で国民の過半数憲法9条削除に賛成しない限りは、9条の廃止はない。

しかし今回少なくともノーベル賞の有力候補になったことで、国民の大多数が9条削除に賛成する可能性は殆どない、といっていいだろう。

つまり今回日本国憲法第九条が少なくともノーベル平和賞の有力候補であると伝えられただけで、これは以下の点で大きな意味があるといっていい。

1.世界中の人に「戦争放棄」を謳った憲法の条文の存在を知らしめたこと。

2.日本国憲法第九条が海外の人にも評価されていることを我々日本人も実感できたこと。日本国憲法に対する見解に変化がおきたこと

3.少なくとも安部政権は憲法9条に関して強引な改憲行為がやり辛くなったこと。

この3つの点で意味がある。
例え日本国憲法第九条を安部がどんなに「みっともない憲法だ」などと公言したところで安倍晋三といえどもロコツな行動はこれによって起しにくくなったであろう。

それに何度もいうが引き続き運動することによって来年の平和賞の候補にもなる可能性はある。少なくとも有力候補であり続ける可能性は高い。

だからまだチャンスはある。諦めるのは早い

大事なことは  運動を続けることだ。
私自身も微力ではあるが、  協力する用意はある。