KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

軍師官兵衛ー「小田原の落日」−秀吉の「一夜城」

軍師官兵衛、本日は秀吉の小田原攻めの模様ーそう第一回の「軍師官兵衛」の時に最初に岡田准一扮する官兵衛が出てきたあのシーンです。

第四十回目でようやく出てきたわけですが、まさか北条氏政が「天地人」の時と同じ伊吹吾郎とは、  これって何か意味があるんですかね?
まあ「軍師官兵衛」は「天地人」と比べるのが失礼なくらいはるかにドラマとしてはよくできてはいますが..

まあ竹中直人の秀吉も二回目ですが、NHKというのは同じ役者に別ドラマで同じ役をやるということをよくやるんでしょうか?

そこで今日も出てきましたが小田原の通称「一夜城」
これに関しては「トンデモ系」の話であるかのように受け止められている感がありますので、ここで詳しく述べたいと思います。

小田原「一夜城」、正式名称は「石垣山城」といい、実は立派に史実です。

神奈川県の史跡にもなっています。

実際にはあたかも「一夜」でできたような云ってみれば秀吉の「イリュージョン」的な仕掛けがしてありましたが、詳しく見ると以下のような種明かしができます。

1 石垣山一夜城は総石垣の城で実際には築城に80日間かかっている。
2.石垣の周囲の木を伐採せず、木で覆い隠されていたためそこに築城していることがわからなかった。天正18年6月26日の前日に周囲の木を伐採して初めて見えるようにした)
3.城の城壁は実際には「紙」でできていた。(要は見かけが城に見えればいい)
4.このため「内装」等はほとんどなく、組み立て式の天守閣だけ用意され、小田原城を上から見下ろすような形にした。
5.見せかけ(視覚効果)を狙った城であるにも関わらず、石垣山城から鉄砲や大砲を小田原城に向けて撃っている。

石垣山城と小田原城の位置関係は以下のとおりといわれ

石垣山城の天守台と井戸曲輪を結ぶ線上の、ほぼ同軸延長に小田原城本丸が置かれています。

小田原城天守より石垣山城を望む。
これによる北条氏への心理的効果は絶大で、このような「イリュージョン」を『北条記(関白勢囲小田原事)』には「かの関白は天狗か神か、かやうに一夜の中に見事な屋形出来るぞや」と驚いていることからも、そして秀吉が6月26日に石垣山城に入城して僅か数日、北条氏直が7月1日に降伏を決断していることからも、かなり北条氏内で動揺が起きたことが推察されます。

以前、戦国大名は建築技術に長けた人物が多かったと書きましたが
高松城水攻めー戦国大名は土木建築の専門家
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20140706
秀吉はその中でも飛び抜けて土木建築技術に長けていたことがわかります。

石垣の土台を木に覆い隠した状態で作り、天守閣も組み立て式にしてあたかも一夜で城ができる「イリュージョン」の石垣城は、しかしかなり計算しつくして作られたことがわかります。

石垣山城公園入り口からの登城口


本丸展望台より小田原城を望みます。

秀吉はこのように類まれな知略と作戦で天下を取ったわけですが、しかし既に大きな亀裂が起き始めていました。
そして今日の官兵衛でも弟の秀長が案じていた様子がうかがえましたが、その亀裂を何とか抑えていた豊臣秀長ももうすぐ他界してしまい、とうとう秀吉の暴走を抑える人間がいなくなってしまいます。

官兵衛も秀吉の北条への処分の内容でいよいよ秀吉から心が離れてしまいます。

先日の記事にも書きましたが、豊臣家の滅亡の種は既にこの時に芽生えていたわけですね。
■豊臣家の滅亡は既に秀吉時代に始まっていたー有力家臣を失った秀吉
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20140921

■参考サイト

石垣山一夜城
http://www.scn-net.ne.jp/~yanya/ishigakiyama.html