KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

伯母の成年後見に関する怒涛の二週間

事の起こりはもう二週間前になる、Com Cafe 音倉におけるセプテンバーコンサート

http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2014/09/com-cafe-8b37.html

Kyoji09141

このリハ中に最初は伯母の施設から、そのあとに収容された病院から私の携帯にとてつもない数の着信履歴が入っていた。しかしリハ中や打ち合わせ中、電話など取れるわけがない。この着信履歴を見てただ事ではないことが起きたことを察する

・9月14日  
その電話は伯母の緊急入院、手術しないと命にかかわるがどうするか、というものだった。93歳という高齢だがそれしか救う道がないということであればそれで進めてくれ、と医師に話す。

しかし今とても現場を離れられる状態ではない。コンサートが終わってからかけつけるしかない。

しかし医師には私のそういう行動が理解できなかったらしい。何とそのあと私の自宅や携帯にひっきりなしに電話してきた。いわく

医師;「あなたは状況の深刻さが分かっていない、今すぐに病院に来い!!」
自分;「今現場は到底離れられない、それに私は新潟にいるわけではない、東京から新潟までどんなに早くても4時間はかかる

それでも医師は納得せず一時は口論になる。取りあえず可能な限り早く病院にかけつける、ということで決着したが、その後手術を行い一応成功したらしいが、その後も病院からひっきりしなしに「まだ来れませんか?」という電話がかかってくる。(!) 私が普段東京にいるということが現場に伝わっていないようである。東京から新潟まで数分で行くことができるとでも思っているのだろうか?

取りあえずステージは無事こなし、コンサート終わってから帰宅。明日の始発で家を出る準備をする。

・9月15日  
朝の始発で出発、大宮から新幹線に乗るが新幹線も始発に乗る。午前8時に新潟到着、前日深夜に予約したレンタカーで病院までかけつけて、ICU(集中治療室)に行く。入院に関するさまざまな書類と昨日電話で口論までした医師に病状の説明を受ける。伯母は四年前にイレウス(腸閉塞)の手術でこの時は一命を取り留めているが今回は全く別の大腸が破裂→腹膜炎を起し取りあえず手術は成功したものの、病状の深刻さが4年前とは桁が違う旨の説明を受ける。
この後、伯母の施設と病院を往復し、伯母は意識があり私の受け応えにも反応したので、小康状態のままでいることを確認して急遽予約したホテルに帰り、殆ど睡眠をとっていなかったため倒れるように寝込む

・9月16日  
朝から病院入り、昨日に引き続き小康状態のように見えたので、しばらくは何とかなるだろう、とその時は思えた。そのため一旦東京に戻るために帰りの新幹線
(一回目の往復)

しかし  それは起きた...

新幹線が熊谷を過ぎたあたりに病院から電話

伯母が心筋梗塞を起こした...

93歳の高齢者が開腹手術をした状態での心筋梗塞

まず助かる見込みはない。
大宮に到着して再度、宿とレンタカーを電話で手配し、すぐにトンボ返り
新潟に向かう途中、心臓停止の報が来る。
これは臨終に立ち会いに戻ることを意味する
午後6時20分 心臓停止
午後8時20分 病院ICU到着、
医師から自力での生命維持は不可能な旨を告げられる

私の判断で呼吸器を取り外すことを決断。 

午後8時25分  永眠

病院には親戚も来ていた。

しかし悲しむひまなどない。
やることが山ほどあり、それは全部私がやるしかないのだ。
葬儀屋の手配(遺体の安置場所)

伯母は身寄りがなく、親戚も高齢化、葬儀に出席可能な人も少ないことも考えての葬儀の手配。
結局出棺、火葬を新潟で行い、遺骨を東京の私の家の寺に納骨する(法要もその時行う)という変則的な形を取らざるを得なかった。その判断も成年後見人であり肉親代表である私がやらざるを得なかった。全てが終わった時午後11時を回っていた
・9月17日  
まず市役所や施設等の関係各所を回る、葬儀屋では「お浄め」の儀式に立ち会い午後ようやく帰京
(二回目の往復)

・9月18日  
今回は本葬を東京でやるため、出棺火葬を母親のみ立ち会わせる、そのため家から5時間、高速をすっとばして車で東京から新潟へ移動。これでも圏央道が中央高速と関越をつなげてくれているので、以前よりははるかに早くなった

・9月19日  
無事、出棺、火葬、親戚関係と出席のもととりおこなわれる。遺骨を採集して遺骨や母親とともに車で東京に戻る。(三回目の往復)
23日に本葬

・9月20日ー23日  
通常の業務に一時的に戻ったが本葬の準備、その他成年後見や相続に関する準備に追われる

・9月24日  
本葬及び、納骨 近親者のみで全て無事終わる
ホッとする

・9月25-26日 
再び新潟いり、病院、施設その他の後処理
ならびに相続関係に必要な書類(古い戸籍等)の手配に終わる
特に成年後見人になった時よりはるかに詳しい資料が必要なことがわかる
(@_@)

・9月27日  
先程無事帰宅
ここ二週間で(四回目の往復)

いやーこの二週間、本当に怒涛の二週間だ。
父親の葬儀の時でもこんなに大変な思いをしたことはない。

これから成年後見人としての業務を終了するための作業を行わないといけない。これがまた大変だ。

成年後見人というのは「成年後見人になる時」と「成年後見をやめる時」が一番大変であることに気づく。

特に財産相続というのはとてつもない大変な作業だ。
うちはまだ簡単だが、相続人が多くいるところは大変だろうな。
だから成年後見人を弁護士や司法書士がやることも少なくないという

とにかくやることが多過ぎるために、肉親の死を悲しむどころの話ではない。
次は何をやらなければならないか、そんなことばかり考えていた記憶がある

しかし今回寂しいなと思うのは伯母の逝去で新潟という街で縁が切れてしまうこと。4年間成年後見人をやってきて結構愛着もわいてきたのでそれが正直残念ではある。

新潟市のシンボルの万代橋 遠くに見えるのは朱鷺メッセ