KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

面倒見もよく情に厚かった「軍師」黒田官兵衛

久々「軍師官兵衛」の記事です。

今日は上月城を見捨てろという信長の非情の命令で、このブログの記事でも紹介した山中鹿助が毛利に殺害される模様を描いていました。それを悔やむ官兵衛に「軍師たるもの、事態を冷静にみて情に流されてはいけない」竹中半兵衛(重治)に諭されます。

もっともそういう半兵衛が後に機転を利かせ、松寿丸(後の黒田長政)を救うのですが..

一方で宇喜多直家の動きを警戒した毛利軍も撤退し、官兵衛の妻 光(てる)さんの実兄櫛橋左京進(櫛橋政伊)が籠る志方城も見捨てられ、左京進は自刃します。

戦国の世では一族同志ー時には親子でさえも戦うという痛ましいことがよくあったのですがー多くの場合戦いの後負けた方が一族全員城を枕に自刃というパターンが普通でした。

しかし官兵衛は左京進の子供も、そして先々週は光(てる)さんの姉で上月景貞の正室だった力(りき)さんの子供も引き取ります。

官兵衛は実子は松寿丸(後に熊之介という次男が生まれますが事故で夭折)一人ですが、子供の多い大家族になります。
特にドラマでは櫛橋左京進(櫛橋政伊)は昔から官兵衛と折り合いが悪いかのように描かれていましたが、官兵衛はそういうこだわりも捨て左京進の遺児たちの面倒をみます。後にこの子たちは福岡藩黒田家の家臣として櫛橋家を残します。

来週はいよいよ荒木村重が信長に叛旗を翻しますが、それに呼応して官兵衛の主筋の小寺政職片岡鶴太郎)も毛利側につき、それが結果的に官兵衛を一年近く幽閉させ膝に一生治らぬ傷を残してしまうのですが、そんな酷い目に遭わせた主筋の小寺家の嫡男氏職を大名としての小寺氏が滅亡した後も官兵衛は保護し、のちに福岡藩士として続きます。自分を裏切った主君との約束は結果的に守ったわけです。


黒田官兵衛孝高

黒田官兵衛こと孝高(よしたか)は秀吉軍の軍師として多くの作戦をたて、あまりの頭のキレに秀吉そして家康にも警戒されるわけですが、官兵衛自身は戦国大名の中では情にあつく筋を通した人物だったようです。

官兵衛も秀吉も「可能な限り人を殺めずに天下を平定する」という方針では共通していました。その発想から兵糧攻め、水攻めなどを考案しました。最もこの攻撃方法は別の意味で残忍な方法ではあるのですがそれは別の時期に書きましょう。