KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

靖国神社は神社でも神道の神社ではないし、「戦没者の慰霊」の場所ではない

昨日の安倍首相の参拝を「普通の神社に参拝」とか「戦没者の慰霊」で何が悪いの? といった勘違いしている人が多いようなので、それは間違いだとだけ書いておきましょう。

そもそも靖国神社って神道ですらないことをご存じですか? 
この神社は戦前の国家主義軍国主義と密接な関係がある神社その辺の街の神社に参拝するのとは全く違います。

札幌琴似工業高校の社会科教諭、 川原茂雄さんのわかりやすい説明がありますのでこちらをご覧ください

靖国神社はいわゆる普通の「神社神道」の神社ではなく、伊勢神宮を頂点とする神社本庁の組織にも属していません。もともとは明治2年に、戊辰戦争の戦死者を祀るために創設された「東京招魂社」が、明治12年に靖国神社と改称されたもので、近代以降に成立したという意味では、新興宗教」のひとつと言えるものです。この神社を、「戦争犠牲者を悼むための場所」と勘違いしている人も多いようですが、そうではありません。正しくは天皇を守るために戦死した軍人を、神として祀る」ことが、この神社の目的なのです。

ふつうの神社が、アマテラスオオミカミとか、オオクニヌシノミコトというような、日本古来のカミを祀るのに対して、もともと人であった軍人の戦死者を、カミとして祀るという、宗教としても神道としても、きわめて異例なものなのです。それも、たんに軍人の戦死者ではなく、あくまでも天皇を守るために戦って死んだ軍人」というのが、カミとして祀られる大前提となっているのです。したがって、「国を守るために戦って死んだ方々」を悼むという言い方は正確ではないのです。

では、なんのためにこのような特殊な宗教(神道)が作られたのでしょうか?それは、徴兵制によって軍人となった者に、積極的に「国のため(正確には天皇のため)に命を捧げて戦わせるため」なのです。江戸時代までは、「殿様のために命を捧げて戦う」という考え方だったわけですが、明治になってからは徴兵制によって国民(成人男子)が軍人として徴用され、「国(天皇)のために戦って」もらわなければならなくなりました。そこで明治政府は、この靖国神社を利用して、「国(天皇)のために命を捧げて戦死」したならば、必ずや「カミ」となって、この靖国神社に祀られ、天皇や首相をはじめとする国家の権力者が、頭を下げて参拝してくれるはずだ、だから安心して、しっかりと戦って死んでくれという、国家的な「しくみ」を創ったのでした。

したがって、靖国神社は、「兵士の士気を高め、国家による戦争を推進すること」が目的の神社なのであり、国家の権力者が、その神社に参拝するということは、「国の平和を願うために」というよりは、国民に対して「国(天皇)のために死んでくれ」というメッセージを発信することになるのです。

ですから安部首相が昨日靖国神社に参拝するのは本質的に国家主義軍国主義を礼賛する意思を表明しているのと同じなのです。

繰り返しますが靖国神社を参拝するのは、「戦争犠牲者を悼むため」の行為ではありません。そして決して「戦没者の慰霊」ではありません。政治家がそういう表明をしていてもそれはあくまで建前、というか嘘といってもいいです