八重の桜ー再び戦を学ばず 現代日本には山本覚馬が必要だ
八重の桜 いよいよあと二回です。
先日政府与党の「数の暴力」により特定機密法案が国民の反対する中強行採決された今、この世相に今回の「再び戦を学ばず」はまさにぴったりの内容でした。
今回は八重の人生に大きな影響を与えた、兄の覚馬がついに天に召されます。
しかしその熱い思いは衰えることはありませんでした。「教育の名のもとに国民を縛ってはならない」と教育勅語を批判し、当時の好戦的な世相(現代の日本もまさにそのとおり、だが)をも批判していました。
しかし何よりも新島襄亡きあと、同志社大学の総長を勤めていた山本覚馬の卒業生への言葉には感動しました。
まさに今の日本の世相にあまりにぴったりの言葉
諸君はこれから学業を終えそれぞれの仕事につかれる
どうか弱きものを守る盾となってください
かつて私は会津藩士として戦い、京の町を焼き、故郷の会津を失いました。
その償いの道は半ばです。今、世界が力を競い合い、日本は戦に向げて動き出した。
どうか 聖書の一節を心に深く刻んでくださいその剣を打ち変えて鋤となし
その槍を打ち変えて鎌となし
国は国に向いて剣をあげず二度と再び戦うことを学ばない
諸君は一国の…、いや、世界の良心であって下さい。
いかなる力にもその知恵で贖い
道を切り開いてください
それが身をもって戦を知る 私の願いです
素晴らしい!!
思わず卒業生といっしょに拍手をしてしまった私でした。(笑)
山本覚馬 1828-1892
「管見」という日本の歴史上、類を見ない政策提言を書いた山本覚馬、禁門の変で焼け野原になった京都を再興させ、近代都市に生まれ変わらせる大きな力になる等、今回の大河ドラマで山本覚馬の歴史的評価が上がることを大きく期待します。本当に現代こそこういう政治家が必要とされているように思います。
さて、山本覚馬の願いにも関わらずとうとう日清戦争が始まってしまいました。最後に八重と大山捨松が日本赤十字社で戦傷者の看護にあたる様子、その時に後に大山巌が日本軍に対して行った有名な訓示の元となる言葉が出てきます。
「敵国民であろうとも、仁愛をもって接すべし」
おそらくこの言葉は大山巌の最愛の妻、捨松の影響があったということは想像に堅くありません。
さて、捨松さん、当ブログでもものすごい高い関心を呼んでいますのでの日清戦争での活躍について触れておきましょう。
捨松さんは八重さんとともに日本赤十字社でで戦傷者の看護もこなしながら、政府高官夫人たちを動員して包帯作りを行うなどの活動も行っています。そして赤十字のための寄付金集めや婦人会活動に時間を割く等のチャリテイー運動も積極的に行いました。
大山捨松 1860-1919
まさに近代日本におけるチャリティー企画やボランティア活動の先駆者。明治の偉大な女性としてもっと評価されて然るべき人ですね。
大山巌もこのような女性だったからこそ捨松さんを深く愛したのだと思います。
来週はいよいよ最終回、期待しましょう。