レッドソックスWS優勝と田澤上原の活躍と日本の「ムラ社会」
僕がメジャーリーグが大好きなのはワケがある。単に活躍している日本人が多いからではない。また子供の頃メジャーリーグの球場でNYメッツを応援していたから、だけでもない。
そして僕は昨日のレッドソックスのワールドシリーズ制覇を心から喜んでいる。ボストンには何回も行ったことがあるし本当にいい街だ。アメリカにしては食べ物もおいしいし、治安も基本的にはいいところだ。
だが何よりも二人の日本人選手の活躍、それも日本を訳あって飛び出した田澤と上原がワールドシリーズ制覇に大きく貢献したこと。はっきりいってこの二人なしにレッドソックスの優勝はなかった。それはレッドソックスファンが一番わかっている。レッドソックスのファンの反応を見れば明らかである。
意外に知られていないが今メジャーリーガーの半分以上がアメリカ人ではないのだ。ドミニカやベネズエラの中南米出身の選手、日本人ももちろんいるが韓国や台湾出身の選手もいる。そしてそのことに対してアメリカ国内で懸念の声は全くといっていいほどない。寧ろ「メジャーリーグは世界中から最高のプレーヤーが集まるリーグだ」ということを誇りにしている。
だからメジャーリーグは見ていて面白い。ピッチャーでは160キロ近く投げる選手はザラにいるし、パワーやスピードも桁違いだ。世界中から最高の野球アスリートが集まっているのである。
ファンもその選手がどこの国の出身の選手なのか、ということは全く気にしていない。重要なのはその選手がファンが応援するチームの勝利に貢献するかどうか、だ。上原のように日本人でも今回のワールドシリーズ優勝の立役者になればたちまち街のヒーローになる。それがメジャーリーグである。
上原は一見巨人→メジャーリーグと他人が羨む「エリートコース」をたどっているようにみえるがアマチュア時代は「野球エリート」とは到底呼べないような悲惨な環境でプレーしていた。「雑草」のようなたくましさがあったからこそ今日メジャーリーグで成功できたのである。
■メジャーリーグでMVP級の大活躍――上原浩治はなぜ自らを「雑草」と呼ぶのか?
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1310/03/news012.html
そして上原の影に隠れがちだが、今や不動のセットアッパーとなった田澤である。田澤が日本の球界を飛び越えてメジャーに入団した時に激怒したプロ野球界はいわゆる「田澤ルール」なるものを作った。日本球界にいわせれば「空洞化を防止する対策」らしいが、日本のプロ野球をより魅力的なものにする対策は全く取られていなかった。はっきりいうがこういうのこそ「既得権益を保持するため」の対策といっていいだろう。
■メジャー飛び級で日本野球界への退路を断たれた男の天国と地獄――田澤純一
http://news.livedoor.com/article/detail/8210089/
はっきりいわせてもらうが実にケツの穴の小さいことをやるなと思う。
今日本が20年にわたる長い閉塞期間から脱しきれずにいるが、その原因の1つとしてこういう「ムラ社会的」な「既得権益保持」の行動を日本社会がやめようとしない点も大きな原因である。
もし日本のプロ野球界が事実日本のプロ野球を魅力的なプロリーグにしたいと考えるのならやることが逆だと思う。「田澤ルール」を決めるなどというケツの穴の小さいことをせずに、逆に国際的に全面開放すればいい。それによって世界中から優秀な野球アスリートを育てるなり集めるなりして、パワーとスピードを堪能できるプロ野球に作り変えるのだ。その方がよほどお客さんを呼べるし、テレビでも見たいと思う視聴者も増えるであろう。そうすれば日本のプロ野球がメジャーリーグに匹敵する魅力的なプロリーグに作り変えることも不可能ではない。日本のプロ野球をメジャーリーグなみに魅力的なプロリーグにすればお客さんも増えるし、放映権料も上がるだろう。
ちなみにワールドシリーズは全世界105ヵ国に中継され1試合だけで放映権料が1試合あたり総額100億円は下らないという。今年は6試合あったからワールドシリーズは放映権料だけで総額600億円くらい、これをMLBの手数料を引き各球団に分配してもこれだけで百億円単位収入が球団に入る。そのくらいメジャーリーグは世界中から魅力的に映っているのである。
全面開放したら日本人の野球で活躍する場がなくなる、などという人がいるが私はそうは思わない。なんといっても日本の「侍ジャパン」はWBCで連覇した実績がある。今回も走塁ミスさえなければ決勝までは行けたかもしれない。そのくらいの実力があるのだから心配には及ばない。ちなみにメジャーリーグ関係者は日本の野球を見て"Fundamentally Sound (基本がしっかりしている)"と賞賛しているのだ。全面開放したところで日本人の個々の能力は全く遜色ないから何の心配の必要があろう?
日本社会を閉塞させているのは日本のプロ野球界が田澤に対して行った「ムラ社会」的な体質である。
「グローバリズム」とかいうものを誤解している日本人は本当に多い。いわゆる「ローカリゼーションを一切廃したのがグローバリズムだ」などという勘違いする人間が後を絶たないがそれは違う。
「グローバリズム」というのはまず文化を違いを認識することから始まる。そしてそれを認識し尊重した上で重要なことは「排他的な観点」を排除することである。
つまり「グローバリズム」というのは「ムラ社会」を廃することである。「日本のプロ野球界ムラ」だけではない。音楽業界の「業界ムラ」霞ヶ関にしか通用しない「霞ヶ関ムラ」そして原子力の既得権益を死守しようとする「原子力ムラ」等々、これらすべてを排除できないとこの日本という国に真の「グローバリズム」などというものは到底定着しない。
中には「グローバリズム」を新自由主義と同一視する人がいる。だが「グローバリズム」と新自由主義は無関係である。新自由主義というのは一言で言えば弱肉強食を正当化した理論で背景には「市場原理主義」というすべてを市場に委ねればすべてうまくいく、という概念である。それはリーマンショックによって誤りであることが既に証明されている。
だが「グローバリズム」というのは「文化の違い」を認識し「ローカライズ」に対する配慮を行うことから始める。つまりローカリゼーションなしの「グローバリズム」などありえないのである。それは決して世界中が金太郎飴のように同質になるということではない。その課程で社会的弱者に対する配慮を怠らないように心がければいいのである。私がTPPに反対するのはこの観点が完全に抜けているからである。
日本人は体質的に「ムラ社会」を無意識に作ってしまうところがある。それは国民性なのかもしれない。しかしやはりそこを克服しないとこの国には未来がないかもしれない。
上原も田澤もそうした「ムラ社会」に背を向けて素晴らしい偉業を達成した。この二人にできたのなら日本社会もそれを克服できないはずはないと思う。