KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

高齢化社会と介護に関して自分の実感

今更いうまでもないけど日本は世界でもトップの長寿国。そして既に国民の1/4が65歳の高齢者である。

しかし長寿国、高齢化社会、ということは自慢できることなのか、決してそんなことはない。はっきりいうとこれは実態は悲惨な状況であることは明らかである。

そして私自身はそうした世相に大きく影響を受けている。

もう10年近く前だが父親脳梗塞で倒れた後、本人の強い希望もあって自宅介護をさせた。しかし脳梗塞のダメージはもはやどうしようもない状態で、自力で食物を取ることができず(誤飲性肺炎を繰り返す)最後は寝たきりの状態だった。

自宅介護というのは家族にとって大変な負担だ。この大変さ辛さは経験した人間でないとわからない。いくら自分を育ててくれた親とはいえ精神的、そして日常の面でも大変つらい思いをする。よく介護疲れで親子心中とか介護の親を殺したなどという悲劇が報道されるが、父親の自宅介護の時は決して他人事には思えなかった。寝たきりになってから1年もしないうちに父親は他界した。

結果として家族に大変な負担をかけてしまったのである。

そして現在新潟に身寄りのない伯母の成年後見人をして今また年老いた母親の面倒も見ている。伯母の場合は有料老人ホームにいるので定期的な訪問ですむが、母親はいっしょに生活していて普段はデイサービスと排尿障害があるためカテーテルをしている関係で訪問看護が週一回ある。

もろに高齢化社会の影響を受けている。

今やこれが自分の運命とも思っているが、介護といっても実はやさしさとか親身とかいったキレイごとばかりではない。

実は時には心を鬼にしなければならないこともある。

父親が医師より、もはや点滴のみでしか生命を維持できず、もはや回復の見込みがないことを告げられてから、本人が希望していた自宅介護ではなく「介護治療院」という病院施設に入れることにした。「介護治療院」という名前だが実際には死を待つのみの施設である。

もはや自宅介護でも手におえない状況であること、そして既に十分すぎるほど家族に負担をかけてしまったことが理由である。その時は心を鬼にして決断した。

そして自分の母親に関してもそうした決断をしなければならない時期がそう遠くないかもしれない、と感じている。辛い決断である。

私が冒頭に書いた高齢化社会=悲惨な実態、というのはまさにこういう意味である。
介護制度も成年後見制度も必要だ。
だがそれは被介護もしくは被後見人も本来は辛いはずだし、家族もかなりの精神的負担を負う。

はっきりいって世界一の長寿国といってもいいことなんか何一つない、 といっていい

そしてこの状況は今後間違いなく顕著になる、総務省が発表した日本の2050年の予想年齢の人口構成である(予測)

このままいけばこの国はもはや国家の体をなさなくなるのは明らかである。

しかしこの流れを変える方法は今の所ない。

私にできることは自分の娘にそうした負担を負わせることがないように、今から自分がその状況になった時に自ら決断するように心がけることである。何十年後かわからないが自分にもそういう時期はほぼ間違いなく来るのだ。

特に80過ぎれば五体満足でいることの方が寧ろ例外である。その時に自分の子供に自分がした負担はかけないようにしたい。間違いなく辛い決断をいつかは強いることになる。

自宅介護と成年後見人両方を経験したものとしてそう感じる次第である。