高度情報化社会は情報の「質の低下社会」
情報化が進むにつれて「高度情報化社会はすばらしいんだ」「これで革命が起きるんだ」といった類のことを信じる人間がいまだに多い。
しかし残念ながら私は全く別のことを感じている。とりわけネット中心に情報が過度になっていくこの現象は本当に人類にとってよいことなのか、実は私は最近甚だ疑問に思い始めている。
2年半前の東日本大震災と特に福島原発の爆発事故の折にはtwitterもfacebookにもかなりのデマが拡散したのは周知のとおり。
そしていまだ収束する気配のない福島原発の状況だが、これに関してもいろんな情報が飛びかっている。放射能の測定値が上がったとかいって大騒ぎするかと思えば、そういう情報に対して「その程度なら人体に影響がない」と発言したため「御用学者」呼ばわりされ、それ以来マスコミの取材に応じなくなった専門家も少なくないという。
確かに情報に関するいろんなツールはそろった。しかし私たちは実際にそのツールを使いこなしているつもりで実は全く使いこなしていないのではないか。と思うようになった。
情報化社会に関して私が強く感じてきている点が二点ある。それは
1.情報が多い社会は同時に「情報の平均的な質が低下する社会」でもあるということ。
2.どれが正しい情報なのかが非常にわかり辛い
この2点である。
情報が多くなると情報の質が低下する、というのは熱力学(情報理論でもそうだが)のエントロピーの法則、という理論で説明できる。残念ながら情報が多い=人間が賢くなる、のではなく実際には全くその逆である。 認めたくない人もいるかもしれないがそれが現実である。
大事な点なのはマスコミの情報は勿論、その辺りの情報の大半はゴミ情報の可能性があるということを認識すべき。何か情報を流すにしても必ず複数の情報源で調べてその情報の裏を取る。これは平均的なマスコミ関係者が入社するときに必ずそのように教えられるし、我々一般市民もこれからそう心がけるべきだろう。
情報化社会で気を付けないといけないこと。それは
・他人の情報を鵜呑みにしてすぐにtwitterその他のSNSで「拡散」してはいけない
東日本大震災でもこの行為に走る人間が多数見受けられた。その中の多くは良心的な意図で「拡散」したが多くの場合はデマを拡散してしまったわけで、本人の意思に関係なく「加害者」になってしまうのである。
・他人に知らせる前に「この情報は人に伝えていい情報なのか」確認する癖をつける
例の冷蔵庫やアイスボックスに入った写真をSNSで公開するおバカさんが一向に後を絶たないようだが、後先考えずに投稿や拡散をする人間が今ネットで多すぎる。
・一刻も早く他人に伝えなくては、という考えを捨てる
別に早く伝えたから賞金をもらえるわけじゃない。早くアップすれば検索上位に入るかも、なんて考える人もいるようだが多くの場合逆である。投稿数が増えていけばそれだけ検索の順位がだんだん下がっていくことの方が多い。
すぐには難しいかもしれないが世の中のかなりの割合の人がこれを実行するとネットや情報社会の質も格段に上がっていくように思うのだが..
今、残念ながら「情報の平均的質が落ちている」のは否定できない。このままでは「ネット社会はデマばかりだ、これだったらネットが廃れて情報共有はテレビと新聞に任せたほうがマシだ」なんて意見があってもおかしくない状況である。そういう事態にならないためにも我々一人一人が情報に対する心がけを変えることが重要ではないのだろうか?