KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

平忠度(薩摩守)登場

久々の大河ドラマ関係の記事です。

本日清盛の50歳の祝のシーンが描かれていましたが(実際にはこの時代は「数え」で年齢をいうのが普通なので本来なら一年前の太政大臣時代の行われなければならないんですが)そこで本来なら平氏でもっと「スター」的な存在になってもいいはずの、平忠度が登場しました。

忠度は清盛の父忠盛の六男であり清盛の末弟ということになりますが、清盛の兄弟が忠度を知らなかったことを驚いた人多かったでしょう。

実は平安時代は一般的には男性が女性の館に出かけることになっており、男性の館に住むのは正室のみというのが一般的でした。そのため側室の子供はそれぞれ別の家で育つことが多いため異母弟同士があまり顔見知りでない、ということも珍しいことではありませんでした。そういう場合仮に父親が同じであっても「兄弟」といわれても実感がわかない場合も多く、かくして源義朝も実際に異母兄弟を殺害していますし、頼朝もご存じのように義経をはじめとする多くの兄弟を殺していきます。

ですから今日の忠度の出現のように清盛と忠度が壮年期になって初対面なんてことも実は当時では珍しいことではありませんでした。

さて、この平忠度は熊野育ちとはいえ、歌を藤原俊成に師事する等歌人としても有名で、しかも武芸にも秀でた人間で平家に対し徹底的に批判的だった平家物語ですら、一の谷の合戦時のこの平忠度の討ち死にの時に「文武に優れた人物を…と敵味方に惜しまれた。」と書いてあります。人物の器としても父忠盛ゆずりに大きくこの忠度がもっと平家の中で重要な地位を占めていたら平家もまた違った展開になっていたのではないでしょうか?

ちなみに忠度の歌は千載和歌集以降の勅撰和歌集に11首が入集、(当時は「朝敵」だったため「読み人知らず」となっています)そして新勅撰和歌集以後は晴れて薩摩守忠度として掲載されているそうです。

それにしても藤原摂関家との忠度の歌合戦、なかなか見事でしたね。最後には捨て台詞まで吐かせた腕前、見事です。前例以外は認めない、新しいことを極端に忌み嫌う九条兼実や基房を見ますとなんか現代の日本の政治家、官僚、そして経団連をはじめとした財界連中と藤原摂関家が重ねあって見えるのは私だけでしょうか? ここで描かれている藤原摂関家のメンタリテイーを見ると現代の日本の政財界の人間と全く同じですね。日本を閉塞させているのは間違いなくこの連中です。

この忠度が今後大河ドラマ平清盛」でどう描かれるか楽しみですが、まだ4か月もあることを考えると壇ノ浦まで描くんでしょうかね?

広告を非表示にする