KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

平清盛ー源頼朝ははたしてイケ面だったのか?

平清盛ロンドンオリンピックの影にすっかり隠れてしまいましたが(笑)明日の放送はないそうなのでしばらく平清盛関係の記事を書くこともなさそうです。

ドラマでは岡田将生源頼朝を演じていますが、伊豆に配流された日々に伊東佑親の娘の八重姫との悲恋物語が始まろうとするシーンでした。この八重姫に関しては伊東佑親の娘で源頼朝の最初の妻とされます。頼朝の初子・千鶴御前(千鶴丸)の母といわれますがこれ以外のことは殆どわかっていません。またこの八重姫との悲恋物語の記述も虚構の多い曽我物語のみで、頼朝の流人時代を記した史料はなく、伝承の域を出ないそうです。

この八重姫との間に生まれた鶴丸も伊東佑親に殺されたという説とのがれて甲斐源氏逸見氏に預けられ、島津忠久となり九州の大名島津氏の祖となったという伝承もありますが傍証はありません。

いずれにせよ八重姫は頼朝との熱愛関係になり、別離後まもなく北条政子と出会い北条政子も駆け落ち同然で頼朝の妻になったといわれています。

となるとこの頼朝、若いころは相当のイケ面だったのか? と想像してしまいますが一方ではそれを否定する人もいるようです。しかし平治物語「年齢より大人びている」、『源平盛衰記』は「顔が大きく容貌は美しい」と記しています。同様に寿永2年(1183年)8月に鎌倉で頼朝と対面した中原泰定の言葉として『平家物語』に「顔大きに、背低きかりけり。容貌優美にして言語文明なり」(「顔が大きく容貌は美しい」)とあり、五摂家九条兼実の日記『玉葉』には「頼朝の体たる、威勢厳粛、その性強烈、成敗文明、理非断決」(10月9日条)と書いています。身長は大山祇神社に奉納された甲冑を元に推測すると165センチ前後はあったとされ、当時の平均よりは長身だったようです。


有名な頼朝坐像(といわれているもの)ですが

これらを見るとやはりかなり当時としてはイケ面だったのかな、という風に思いますね。やはり女性は今も昔もなんだかんだ言いながらイケ面男性が好みだったのかな、というのはモテない男の僻みでしょうかね(笑)

尚、余談ですが上記の一般的に云われている頼朝像、最近は異論が出ていまして実は足利直義像」(室町幕府初代将軍足利尊氏の弟)ではないかという説の方が有力になっています。その根拠はこの肖像画が書かれた年代が室町時代初期であることが確実、という理由からです。

というわけで岡田将生源頼朝、最終回までどのような描かれ方をするんでしょうか?

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