KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

レビュー 姜 尚中ーナショナリズム (思考のフロンティア)

なぜ今このような本を突然読み出したかというと昨今のグローバリズムというものと対比し、インターネットを通じて世界がつながっているという現実と同時に今水面下で特に若い世代の間で勃興している「ナショナリズム」に関してある種の危機意識のようなものがあったかもしれない。

特にネットは勿論、マスコミや財界で論じられているグローバリズムというものが意識的にせよ無意識であるにせよ、結果的には「アメリカ的価値観」に迎合するというものであり(私にいわせれば「エセグローバリズム)、TPPに至っては日本人の生活様式や風土まで一つ間違えればグローバリズムによって破壊されかねない可能性があり、その反動として戦前のような国粋主義的で偏狭なナショナリズムの方向にこの国が動いてしまう可能性も感じたからである。

ナショナリズム (思考のフロンティア)

著者自身は在日韓国人でもあり、いわゆる日本的ナショナリズムに対して批判的であることは知られているが、本書はそのような感情に流されず本居宣長から平田篤胤丸山真男の主張を冷静に分析し分類している。著者の背景からこの本は主に日本の中の水戸学を初めとする日本のナショナリズムの背景に関して克明に分析をしている。

そして後半は「国体」というキーワードで日本のナショナリズムを論じているが結局読み終えても「国体」とは何ぞや、ということを説明することができなかった。というのもそもそも日本のナショナリズムは恣意的にそこの部分を曖昧にしてきたためで、明治憲法を例に揚げて天皇を「神」的な存在に押し上げた一方、立憲君主としてのありかたを同居させる等、そもそも矛盾した定義で進めていたからである。(その点では現行の憲法天皇制を「象徴」というよくわからない形で温存している点では同じである)

分析がかなり抽象的で哲学等の知識も必要なので読み辛い部分もあるが、日本の「曖昧な」ナショナリズムの背景がよくわかる本である。

この本が書かれたのはちょうど小泉政権が国民から絶大な人気を量ったときだが著者は最後の項で当時の小泉首相新自由主義的政策と靖国参拝に見るナショナリズムの背景が日本のわざと「曖昧にした」「国体」の体裁でセーフテイーネットその他をはずしてしまう面を見事に指摘している。

愕然とするのは今の日本はこの本が書かれた10年前とたいして進歩していない、と感じる点である。新自由主義はいまだにマスコミや経済学者によって主要な論調になっており、果ては大阪の橋下も政策を冷静に見れば単なる「ミニ小泉」に過ぎないのに、かつて小泉が「日本をぶっこわす(実際悪くぶっこわしたのだが)といった時と同じように拍手喝采を送っている。

それを考えると姜氏の「曖昧のまま」の「国体」が日本国民を騙す絶妙な政治家のツールになっていることに気づき愕然とする。
もし橋下の「維新の会」が議会で多数派を得るなどという事態になれば、日本国民は結果として小泉政権で「ひどい目」にあったのにそこから何の教訓も学んでいないことになる。(既に原発問題で底の浅さを露呈しているのだが、いまだに橋下の人気は絶大だーこの国の人間はいつになったら教訓を学ぶのか)

そんな背景もあってナショナリズム「国体」について読み、考えるにはいい機会の本だと思う。