KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

悪源太登場!! 源氏のつわものたち

平清盛ー前半の佳境となる保元の乱が近づいてきます。鳥羽法皇崩御することでいよいよ始まります。

そんな中でついに出てきました。義朝の長男の悪源太こと源義平波岡一喜が演じますが先日も書きますが史上最強の武士といわれる悪源太をどのように演じてくれますか。

先週はこれまた悪源太に勝るとも劣らぬ豪傑、鎮西八郎こと源為朝と役者は揃ってきました。

保元の乱の顛末を描いた軍記物語保元物語では源為朝が事実上主人公になり、同じく平治の乱の顛末を書いた平治物語では悪源太こと源義平が主人公になります。

この他今日はまだ幼いとはいえ、源頼朝とまだ「牛若」と名乗っていた義経が出ていました。

考えてみれば清和源氏の歴史の中でもこれほどのつわものが同時代に生きていたことは後にも先にもないかもしれません。

鎮西八郎 源為朝ー 伝説の弓の名手。鎧や剣を打ち砕くほどのものすごい弓の威力があったといわれる。身長2m20の大男だという。後、琉球に流れ琉球の王になったという伝説がある。

悪源太 源義平ー 弱冠二十歳ながら伝説の豪傑。後に「左近の桜、右近の橘」義平と坂東武者たった17騎で重盛の500騎にど真ん中に飛び込んでこれを蹴散らしてしまったという伝説がある。その剛勇ぶりは後世に語り継がれ史上最強の武士といわれる。最後にはつかまり僅か二十歳で斬首される。

源頼朝ー ご存じ鎌倉幕府初代将軍。政治家としては一流だったが、人を信じない性格が禍いし、結果的に兄弟を初め一族を次々と滅ぼし源氏は弱体化してしまう。軍略も義経と比べると見劣りする。

源義経ー 日本史上でも屈指の軍略の天才。源平合戦勝利の最高の立役者。しかしながら軍事には天才的な才能を発揮しても政治感覚は0でそこを後白河法皇につけこまれる。合戦での独断先行や「ボタンの掛け違い」で頼朝と対立し、最後は奥州の藤原氏の本拠で非業の最後を遂げる。

惜しいかな保元の乱では源氏は一族分裂ー骨肉の争いをしてしまうわけですが、もし源氏が一致団結すれば史上最強の軍団になったことでしょう。後に室町幕府を興す同じ源氏の足利氏の軍隊は寧ろ弱体といっていいほどでしたし、真偽はともかく新田親氏の末裔と称する徳川家康もこれほど強力ではありません。

何にせよ、彼らは乱世の時代に生まれてきて幸福だったかもしれません。もし太平の世でしたら為朝も義平もただの「暴れん坊」にしかならないでしょうから..

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