KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

平清盛第九回義清散るー西行

平清盛、今回は待賢門院と佐藤義清「よしきよ」ではなく「のりきよ」と読みます。人の名前って難しいね)の禁断の愛がついに発覚してしまい、世を捨て出家する姿が描かれますが、清盛と義清との友情の深さが描かれています。

余談ですが、義清が待賢門院に会うとき出くわしてしまう、りょう扮する堀河局の顔が恐いと思ったのは私だけでしょうか?(笑+汗)

さて、この佐藤義清は清盛と同じ年ですがこの二人は実際生涯仲が良かったのも確かなようで、手紙も残っているようです。

佐藤義清は今回の件で出家し始めは円位、のちに西行と名乗ります。百人一首を始め『千載集』、『新古今集』等に入撰する等、歌人として後世に大きな影響を与えます。佐藤義清という名前は知らなくとも西行といえば名前くらいは聞いたことがあるのではないかと思います。

この佐藤義清がなぜ出家して西行になったかは諸説ありよくわかっていません。考えられる原因として
1.失恋、禁断の恋原因説
今回の大河ドラマの設定である待賢門院との不倫ー禁断の恋一つの説として上がっていますが、他に待賢門院ではなく美福門院説(瀬戸内寂聴尼の説)やその他の高貴な女性との失恋が原因という説もあります。

2.友人の急死説
実はこちらの方が現在歴史家の中では主流になっているようです。西行物語絵巻」(作者不明、二巻現存。徳川美術館収蔵)では親しい友の死を理由に北面を辞したと記されています。

ただ西行物語絵巻」がどこまで信頼できるのかはわかりませんし、藤原秀郷流で武士でも高い地位で裕福だった佐藤義清、武勇にも歌詠みにも優れ出世は確実といわれた男が地位も家族も全てを捨てて出家をしなければならない理由に「友人の急死」というのはいくら親しい友人だったとしても少し納得がいかないというのが正直なところですね。やはり捨てた、というより何らかの原因で「捨てざるを得なかった」事情ができた、と考える方が自然な気がしますが皆さんはどうでしょうか?
ちなみに西行になる前の佐藤義清は実際本当にイケ面だったようです。(だいたい「北面武士」は家柄も良くイケ面だけをそろえていたらしいですからね。只、清盛がイケ面だったという記録は残ってませんが(汗))

まあ和歌に関してはちょっと私自身は不得意な分野なので割愛しますが、イケ面であると同時に感受性が強い人物であったことは確かでしょうね。

ちなみに佐藤義清が家族を捨ててしまうわけですが、その家族がその後どうなってしまうのか気がかりな人もいると思います。ですが大丈夫!! 。義清はちゃんと弟の佐藤仲清に家族を託しています。詳細は不明ですが結果としては弟が佐藤の家督を継ぎ、義清の家族を面倒見ることで佐藤家は続いたようです。ちなみに義清が家を出るときにけ落とされた西行の娘は後に尼僧となり、仏門で父親と再会すると西行物語』には書いてあります。

今回で佐藤仲清は一旦退場しますが、西行として再登場します。今後ドラマではどのような役回りで出てくるかこれも楽しみです、