KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

織田信長と平清盛

はい、入院中でも平清盛はちゃんと見ました。某兵庫県知事のいちゃもん等がありましたが二回目もかなりクォリティーの高いドラマだったと思います。

平清盛といえば後に武家政権を確立した源氏を迫害したこともあり、何となく歴史の中では「悪役」的なイメージがありますが実際の清盛を見るとやはり「革命児」というのがふさわしいといえます。

特に「平安時代」というのは単に政治の中心が平安京にあったから便宜上そう言っているのに過ぎず実際は天皇や藤原摂関家 白河上皇院政と経て最後は初めての武家政権となった平氏政権とその滅亡で終る等権力者が凄まじく変わります。

清盛が行ったことは古代から中世への橋渡しでありその意味でもかなり画期的だったといえるわけでこれはちょうど中世から近世への橋渡しを行った織田信長と対比できます。

さてこの両者共通点はいろいろありますが最も幸運な共通点は「最大の理解者」が父親だったことかもしれません。

うつけものといわれ家中でも嫌われることの多かった信長の父の信忠は信長の恐ろしい程の頭の切れに気づいていました(もうひとり信長の義理の父の斎藤道三も信長の類稀な素質に気づいていました。)

同じように清盛の父(育ての父?)も清盛の底知れない可能性に気づいていました。ドラマでも白河上皇御前の舞の席で「俺は父上のようには生きない。俺は世を変えるために生きていく」と忠盛にいう清盛。

返ってきた答えは

「好きにせい」

この言葉に父忠盛の思いが全て集約されていると思います。

そして清盛がなにげに「武士」と言った時の忠盛の嬉しそうな顔は清盛に対する期待が既に並々ならぬものであることがわかります。

時代の革命児である信長も清盛も一番身近な父親に最大の理解者がいたという幸運に恵まれと言っていいでしょう。

さて番組の最後にも出ましたがいよいよ来週は清盛最大のライバル、源義朝が出てきます。どんなドラマになるか楽しみです

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