KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

ネット万能論、IT革命論に固執する人たち

まだインターネットが社会に普及していない時代に、マスコミを始め多くのいわゆる知識人は「インターネットにより情報革命が起きる」とか「インターネットで社会のありかた、人々の生活が革命的に変わる」といった類の言質をばらまいていた。

それから15年近い年月が流れていった。それらまことしやかに流れていた情報が真実だったかどうかは今ここで改めて述べるまでもないだろう。泰山鳴動したがせいぜいねずみ一匹程度は辛うじて出たかな(一応ネットという便利なツールは定着したので)、という感じ。マスコミ、IT起業家、ITジャーナリストがさんざん煽ったIT革命とやらは結局何も起きずに終わったといっていい。

にもかかわらず相も変わらずネットではこの手の言質があとを絶たない、もう今時そんなものを鵜呑みにする奴なんていねえよ、と思うのだがしかしそこに今の日本の問題が隠れている。

u-streamとかYou tubeとかネットで新たなツールが出現するたびに「これで社会が劇的に変わる」といった類の言質が飛び交い、先のエジプトやリビアの革命にしてもfacebooktwitterが活躍するのを見て「これでネットがマスメデイアを凌駕した」といった類の言質が飛び交う。

個人的にはいい加減こういう書き込みをうざったく感じている。いい加減もっと現実を見ろよともいいたくなるが、一体こういう「ネット万能論」「IT革命論」にいまだに固執している人たちってどういう人たちなのだろうか?

私は仕事関係でIT企業と仕事することも時々ある。少なくとも私が知っている範囲では彼らの中で「ネット万能論」「IT革命論」等を日常的に唱えている人間はいない。彼らは毎日サーバーのトラブルとか、システムの管理の問題への対応等の業務に明け暮れておりITが事実本当に万能ならばそもそもそんな問題など発生するはずがないからだ。IT企業でも現場で働いている人間は私が知っている範囲では結構まともな人が多い。

しかしIT企業の人間で時折そうでないことを日常的に唱えている人間もいる。たいていの場合はIT企業の経営者ーいわゆるITベンチャー系ーの起業家である。

1.「ネット万能論」を主張する人たち その1ーIT起業家

勿論全てのIT起業家がこれにあてはまるわけではない。いや、大半のまじめにITやっている企業はこれにあてはまらないだろう。実態はIT企業全体のほんの一部に過ぎない。

「ネット万能論」「IT革命論」をいまだに唱えている彼らは確かにITを扱っているが、実は現場でITをやっている人間は驚くほど少ない。実態は寧ろIT株を扱う投機屋である。ホリエモンなどがまさにその典型であるが、著名なIT起業家は多かれ少なかれそういった投機屋的な側面があることも事実。

なぜ彼らは「ネット万能論」を飽きもせず主張するか? 理由は簡単である。投機屋である以上自分が保有するIT株の価格を可能な限りつり上げたいと考えているからだ。だから嘘だとわかっていても飽きもせずこういった言質をばらまく。彼らに飼われている御用ITジャーナリストも同様な言質をばらまくという構図である。彼らはメデイアに露出するとほぼ例外なくかなり「目立つ」パフォーマンスをやったり意図的に暴論を流したりする。IT株を上げることにつながることなら彼らは手段を選ばないといっていい。

その典型がホリエモンだが困ったことにこういうパフォーマンスに騙される人間が少なくない。twitterにはなんと75万人(!)もフォロワーがいて(必ずしも全員が支持者とは限らないが)ネットの論調に対していまだ多大な影響を保持し続けている。日本人の場合特にそうだが、「何をいったか」ではなく「誰がいったか」の方が影響力を発揮しやすい。ホリエモンがどんな暴論を吐こうが、それを鵜呑みにする輩が少なくないのはそのためである。「ネット万能論」「IT革命論」がいまだに定着している原因の1つといっていい。(但し例の裁判に関して公平さを欠くという観点には一理あると思っている)

2.「ネット万能論」「IT革命論」を鵜呑みにする人たちーいわゆるB層中心

そして問題はこういう「ネット万能論」「IT革命論」を鵜呑みにする人たちがいまだ少なくないという実態である。一体どういう人たちか、私の経験でいうとこういう「ネット万能論」に傾倒する人たちは同時に「自己責任厨」だったり小泉や竹中の新自由主義政策の熱心な支持者とかなりの割合でオーバーラップしている人たちであるように感じる。(少なくとも過去に一度は熱烈に支持した経験を持っている人たち)

彼らは要は新自由主義とか「IT革命」によって社会が劇的に替わり彼ら自身も裕福になる、などという幻想をいだいている人たちである。多くはいわゆる「勝ち組」の人たちではないと思う。精神構造は以前このブログに書いた下の記事と全く同じである。

■「新自由主義の幻想」の分析ー勝ち組でもない若者たちの小泉支持メカニズム
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20080715

かつて小泉新自由主義に幻想を抱いていたように「ネット万能論」「IT革命論」にある種の幻想をいだいているように思う。

だからいまだに「ネット万能論」「IT革命論」を思わせるような言質の方がネットの中で圧倒的に受ける、という構図がある。いまだに既存のメデイアよりネットの方が優れている、とかネットを中心とした新たなシステムは既存のメデイアやシステムを凌駕するといった類の言質でないと納得しない人間が少なくないのだ。

しかし小泉新自由主義がそうであったように「ネット万能論」「IT革命論」でもそんな夢のようなことなど起きるはずなどない。現実におきていない

我々はインターネットという新たなメデイア、ツールは得たがいい加減わけのわかならない幻想はこの辺りでやめた方がいいのではないか。インターネットで得意なことと得意でないことがある。効果的な場合と効果的でない場合がある。

それでいいではないかと思うのだ。

<追記>
いろいろと書いているが要は
ネット万能論の言質に固執する人は、要するにこの人たちにはネットしかないからである。

インターネットでしか自分を表現できないし、ネットで人を攻撃したり炎上させたりすることでしか自分の心の平安を保てない。

ネットがなければ自ら出された魚のように無力。
だからインターネットには何でもできる、ネットでしか自分の力を誇示できない、と思い込んでいるのだ

リアルな行動を起そうとしてもできない、一種の行動障害の人たちである。

だが気の毒だがもはやリア従だ、リア従でない、などと言っている時代はとっくに終わったのだ

ネットで世界が変わる、革命できる。
そんな妄想はそろそろ捨ててもっと現実を見ることをお勧めする

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