KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

「想定外」を魔法の言葉にさせるな 原発事故について

その昔、企業のリストラとか派遣社員の切捨て、また海外でジャーナリストやNGO職員がテロリストに誘拐されたニュース等が伝わるとネットには魔法の言葉が飛び交った。

その言葉は「自己責任」

これは小泉、竹中を始めとする自称新自由主義者(あとで書くが実はこいつらは新自由主義者ですらないのだ)に洗脳されたおバカなネット小僧連中がバッシングの武器として使った魔法の言葉である。

この魔法の言葉で全ての弱者切捨てが正当化され、またおバカなネットウヨやネット小僧がこの言葉によって「強い立場に立てる」(などとこのバカ連中は本気でそう考えたようだ)自らの劣等感を覆い隠す都合のよい言葉だった。こいつらは結果的には小泉、竹中の手先になったわけである。

そしてそれと同じような魔法な言葉が今使われようとしている。

それは「想定外」

今回の震災は「想定外」地震津波によって引き起こされたもので東電には責任はない、


という論法。 そしてすでにネット内での原発推進論ネットウヨ連中もかなり加わっているようだ、このおバカな連中はまた同じ過ちを繰り返そうとしている)によってかなり使われ始めている。

だが今回の福島第一原発事故は明らかに人災である。なんといっても国会で専門家によって津波対策、震災対策が不充分であることを共産党の吉崎議員が指摘したにも関わらず何の対策もしなかった。そして今回は「空白の29時間」の問題がある、この「空白の29時間」の間にやるべきことをやっていれば事態がここまで深刻にならなかったのは明らかである。

福島第一原発事故は人災である
安全より資産を優先した東京電力経営陣
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5711

既に何回も使っているが東電の清水社長はこの新しい魔法の言葉「想定外」
でなんとか逃げようとしているだろう。だがそれをさせてはならない。

今回の東電の一連の行動を見ると東電既得権益や既存の原発路線を何とか存続させようという思惑を持っていると疑われても仕方のない点がある。

私自身はこの人は嫌いだが時々いいデータは提供するので今回はリンクをはる。池田信夫氏のこの記事
■電力の卸売市場はなぜ閉まっているのか
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51707812.html

日本卸電力取引所(JEPX) から、日産などPPS(特定規模電気事業者)の脱退が相次いでいる。3月14日にJEPXの東京市場が閉鎖されて以来、市場が再開される見通しが立たないためだ。その理由は「需給バランスの崩れにより、東京市場の託送が不可能になったため」と説明されているが、これは技術的に不可能になったからではない。東電が使わせないためだ。

JEPXの取引は電力会社の送電網を使って行なわれるので、東電がその利用を拒否すると開くことができない。今回もPPSから「電力が足りないのなら、東電はJEPXで調達すべきだ」という批判があったが、東電は「スポット市場を開くと単価が暴騰する」とこれを拒否し、市場を経由しないで特定のPPSから東電の決めた「適正価格」で調達している。

JEPXは、発送電の分離を求める経産省と抵抗する電事連の妥協策として2003年に設立されたが、インフラを買い手の電力会社に依存しているため、市場の独立性が担保されていない。電力会社の産業用電気料金は非常に安い(高い家庭用電気料金でそれを補填している)ので、今の価格体系ではPPSは電力会社と競争できない。このため、JEPXで取引される電力は、全電力量の1%程度にとどまる。

今回の震災はPPSの商機だったが、東電は市場からの調達を拒否して計画停電を選んだ。業界には「訴訟も辞さない」との声があり、今回の脱退もこうした不公正な取引への抗議だと思われるが、大部分のPPSは沈黙を守っている。圧倒的な市場支配力をもつ東電に逆らうと、つぶされるからだ。そして電力会社を大スポンサーとするマスコミも、東電の反競争的な行動を報じない。このままでは、日本の電力自由化は有名無実になってしまう。

また信憑性がなんともいえないので東京新聞の記事の提示だけにとどめるが
■【神新聞】 「計画停電」はヤラセだったことが判明 東電経産省が情報操作 民主議員と東京新聞が暴露
http://alfalfalfa.com/archives/3301753.html

こういう記事がりアリテイを感じさせるほど東電及び政府に対する不信感が国民の間に強くあるということだ。

権力はすでに思い通りのことをやって国民、とりわけ福島県民の生活を台無しにしてしまった。国民の生活や多くの職員を犠牲にして東電の権益を守ろうとしたのだ。 そう思われても仕方がない。東電清水社長は果たして良心のかけらでももっているのか、といいたい。