KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

Jin 仁を見てーまたまた坂本龍馬

久々に歴史関係の話題です。
まあ私が地上波、しかも民放で見る数少ない番組である「Jin 仁」ですが、こちらもー昨年のNHK大河ドラマ龍馬伝ではないですがー坂本龍馬が出てきます。

この実はこの内野聖陽演じる坂本龍馬の方が実際の坂本龍馬の姿に近いような気がします。あの明るさ、ずうずうしさ、そして熱意などは武士でありながら商人の心を持った坂本龍馬ならではという気がしますね。福山の龍馬はどことなく品があり過ぎた感がありましたけど、内野の龍馬は泥臭くて逆に好きですね。

NHK大河ドラマ龍馬伝がおわってもう半年たちますが、やはり坂本龍馬熱はまだ下がっていません。(笑)

今回は亀山社中設立から薩長同盟の成約、そして寺田屋事件と一気に動きました。実際我々が良く知っている竜馬の実績で亀山社中海援隊薩長同盟船中八策、いずれも晩年の4年の間にやってしまいます。作曲家でも絵描きでも代表作といわれる作品はそのクリエーターの人生の短い一時期に集中して創られることが多いですから、そういうものかもしれません。

私は以前坂本龍馬には現代人の匂いがする」
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20101205/1291522021

と書いたことがあります。実際この坂本龍馬本当に19世紀の人間なのか?と思うことがあります、

例えば
・他人の意見を尊重し、違って意見を持つものに対してもそれなりの敬意を払っていること。
船中八策には「意見の違う人間も参議に参加すべし」と書いてある。それを話し合いで解決する(議会を作る)のが八策のうちの一策。

・江戸時代の人間には珍しく近代的自我を持ち、たえず自己変革をくりかえしていること
有名な話である人物が龍馬と会った時に龍馬が「これからは剣でなくてピストルだ」などといっているのを聞きました。そして次に会った時は「これからはピストルでなく万国公法だ」などと話していて周囲はついていけなかった。という話がありますが、今日の坂本龍馬は昨日の坂本龍馬ではありませんでした。龍馬にとって、明日になれば今日は即昨日に変わったつまり、龍馬は、日々新たなりの言葉通り、自己を果てしなく変革ー脱皮につぐ脱皮を繰り返したのです。こんな人物は当時の日本に龍馬しかいません。

・特筆すべき点だが当時の日本人には珍しく女性を常に一個の人格として能力者として尊重

当時は男尊女卑が当たり前だった時代にこれは驚くべきことだと思います。許婚だった千葉佐奈は「鬼小町」といわれる剣豪だったし、妻のおりょうはとても気が強い女性でした。しかし龍馬は彼女たちのそうした性格を寧ろ愛し、とてつもない大きな包容力と明るさで彼女たちを包みました。だから特にイケ面でもないのに非常に女性にはもてました。
作家の童門冬二氏はこの江戸時代の人間とは思えないこの龍馬の女性感を次のように書いています。

いずれにしても、龍馬の女性に対する態度を見ていると、その職業の貴賤を問うことはおろか、知能の程度や容貌の美醜その他に対して一切差別していないことがわかる。女性を常に一個の人格として、能力者として尊重している。自分の行為の一部をともにしてもらおうという気持ちがはっきり現れている。彼が単なるフェミニストでなく、行動者として、同志として女性を認識していたことがよくわかる。そういう気持ちを持つことは、当時の社会にあっては、まれな事であったろう。それだからこそ、平井かをもあるいは千葉佐奈子も、あるいは後のおりょう寺田屋お登勢もすべて龍馬に渾身の協力を惜しまなかったのである。それは龍馬の人間性から発した、女性尊重の精神にうたれたからだ。

千葉佐奈子はそんな龍馬を慕い龍馬の死後も一生結婚しませんでした。おりょうも生涯「龍馬の妻」を名乗りました。

要は当時の日本人には珍しい個人主義だったといえるでしょう。そして絶え間なく自己変革を繰り返し「現代的」ともいえる自我を確立しました。

だから坂本龍馬にはやはり現代人の匂いがする」 だからこそ我々は彼に親近感がわくのであり、それが坂本龍馬という人間の魅力かもしれません。

「Jin 仁」では原作でもこの坂本龍馬がキーパーソンとなる。海援隊から船中八策の龍馬がどう描かれるか楽しみではあります。

それにしてもちょっといろいろあって気分的に萎えていたんですが、坂本龍馬の話をすると何か元気になります。プラス志向をもたらしてくれる人物かもしれません。