KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

「正義」の戦争、「正義」の殺人の危うさ

ニュースでも報道されたようにオバマ米大統領は1日夜(日本時間2日午後)、テレビで緊急演説し国際テロ組織「アルカイダ」の最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者(54)を殺害し、遺体を収容したと発表した。

ビンラディン容疑者:殺害、遺体収容…米大統領が緊急演説
http://mainichi.jp/select/world/news/20110502k0000e030043000c.html

勿論例の2001年9月11日の同時多発テロの首謀者であるわけだが、ここで問題にしたいのはビンラディン容疑者殺害をまさに「正義」の殺人であるように宣伝していること。(云うまでもないがビンラディン容疑者を擁護する意図など全くない、私はテロリストを擁護するほどバカではない

もともとアメリカの警察やFBIは凶悪犯を追跡する場合、警察官の身に危険が及ぶ可能性が高いので必ずしも捕縛にこだわらずに射殺してもいいというのが不文律としてある。特に警察官同僚がその凶悪犯に殺された場合はなおさらである。それが暴力社会アメリカの実態であり、それらの行動に法的根拠など何もない。

問題はその不文律をアメリカという国は世界中で適用している点である。そして世界中の国に「アメリカの論理」を押し付けている点。

そして果たせるかな、ワシントンポスト「正義はなされた」という見出しでビンラディン容疑者殺害を報じた。

http://www.washingtonpost.com/

■Osama bin Laden is killed by U.S. forces in Pakistan
http://wapo.st/mmmb5K

殆どのアメリカ人は2001年から続いている「テロとの戦い」は「正義の戦い」であることを信じて疑っていない。だがそれは本当に「正義」なのだろうか?テロリストであるビンラディン容疑者=悪、アメリカ人=善、などという図式はあまりに単純すぎやしないか?

グラウンドゼロでは熱狂した若者が結集しているが、どうも私にはヒステリカルな反応に見える。断っておくが私はニューヨークに長年在住した経験を持っており、911事件に対する思いは少なくとも平均的な日本人よりは強いと自負している人間である。

■若者ら数百人、興奮の「USA」=グラウンド・ゼロに結集
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011050200450

こうした中で毎日の記事で最近のマスコミには珍しく的を得た社説を書いているので紹介しておく。
ビンラディン容疑者殺害:悪の権化、英雄…反米でカリスマ
http://mainichi.jp/select/world/news/20110502k0000e030060000c.html

この春日記者の最後の言葉はかなり当たっていると思うので引用させていただく

同容疑者の用心深さはともかく、偵察衛星などハイテク機器を駆使して追跡していた米国がどうしてかくも長く捕捉できなかったのか。米国は世界での覇権を強めるため、「正義の米国」と対決する「悪の権化」を必要とし、追跡に真剣でなかったとの見方もある。米国をテロ国家と見る向きにも一理ありとすれば、両者の関係はコインの裏表だったのかもしれない。