KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

龍馬伝が「嘘」と騒ぐ人たち

今月始めの記事 http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20101011
でも述べましたが相変わらず龍馬伝には嘘がある 云々」といった類の記事やコメントが相変わらず多いですね。

そもそも歴史とはいえ、ドラマですからフィクションなので多少、脚色その他の関係で史実ではない部分が出てくるのは当たり前の話なんですが、それにしてもこうした議論がいっこうに減らないのは不思議ですね。何度もこのブログで書いてあるように歴史ドラマは歴史的題材や実在の人物を扱っているとはいえ「歴史のシミュレーション」ではありません。司馬遼太郎ほどの歴史作家でも『十一番目の志士』で架空の人物を登場させており、そういうことは珍しいことではないんですね。世の中の人ってそんなにフィクションとそうでないものの区別ができない人が多いんでしょうか?

いろいろ調べてみてわかったのはどうも龍馬伝=嘘」と騒いでいる人にいくつかのパターンがあるという点です。

1.いわゆるネットウヨ系の人が多い、という点
彼らは大河ドラマが日本に関して少しでもネガテイブな描き方をすると過剰に反応する傾向があるように思います。そのことによって自分たちのアイデンテイテイが損なわれると感じているようです。
ただ、どんな国の歴史もネガテイブな面とポジテイブな面両方があるのは当たり前の話しであって、ネガテイブな面はネガテイブな面として受け入れそこから教訓を学び同じ過ちをしないためにはどうするか、を考えるのが賢い人間のすることだと思うのですがどうも日本の国家主義的な思想を持っている人たちは頑ななまでに日本の歴史のネガテイブな面の存在を認めようとしない傾向があります。これではまた同じ過ちを繰り返してしまう可能性が大です。

2.司馬遼の「竜馬が行く」のストーリーと違うから「嘘だ」と騒ぐ人たち。
作家が違うのだから脚色、ストーリーが違うのは当たり前です。
そもそもたかが150年前のできごとといえど、一部の写真と手紙くらいしか残っておらずどこまでが本当に史実か、などというのは歴史研究家すら確証が持てているわけではありません。まして司馬遼の「竜馬が行く」を絶対的史実であるかのように考えるのはナンセンスですね。司馬遼太郎ほどの作家でもそこまでの確証は持てていないはずです。

3.坂本龍馬の行なった歴史的な「根本事実」を嘘と断じている人たち
これがもっとも理解に苦しむんですが、そういう主張をしている記事を見ると多くの場合そのように断定する資料やその根拠に関するリンク等が一切示されていないケースが多いという点。一般的に知られている事実に対しても異議を唱えている割には、資料や根拠等を全く示していないので、これは単なる思い込みかな、と思われても仕方ないですね。まあ記事を書くのは自由ですがそれなりの明確な根拠、資料等を提示しないと信頼性は薄れてしまいますね。それでもそういった記事を鵜呑みにする人も少なくないようなので困ったもんです。

最近見えてきたのはインターネットの特質の1つとしてノイジーマイノリテイーーいわゆる中川淳一郎さんのいうバカと暇人の主張がネットでは非常に目立ってしまうという点です。困ったことにこういうノイジーマイノリテイーの人たちの方が得てして一般の人よりもネットに貼り付いているケースが多いために、こういうノイジーマイノリテイーの意見があたかも多数派であるかのように見えてしまうというのがネットの情報の信頼性、質の低下をもたらしているように思います。この件に関してはいずれじっくり論じたいと思います。