KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

池田屋事件

久々龍馬伝にちなんだ話をしますが、今回はいよいよ池田屋事件の話です。

ご存じ新撰組長州藩士を中心とする尊皇攘夷の志士を襲撃、捕縛する事件で、幕末の大きな事件の1つとなっています。この池田屋で「祇園祭の前の風の強い日を狙って京都御所に火を放ちその混乱に乗じて中川宮朝彦親王(後の久邇宮朝彦親王)を幽閉し、一橋慶喜徳川慶喜)・会津松平容保らを暗殺し孝明天皇を長州へ連れ去る」という計画を練っていたといわれています。

襲撃によって尊皇攘夷志士、十数名が落命したわけですがその中には松下村塾で久坂、高杉と並ぶ松陰門下の三秀といわれた吉田稔麿がいました。またドラマにもあったように土佐藩士の望月亀弥太も自刃しましたが、これが後々に海軍操練所が閉鎖されるきっかけになってしまいます。

幕末は池田屋事件を始め、龍馬も負傷することになる寺田屋事件、そして幕末から明治にかけて龍馬を始め重要な人物がテロに倒れてしまう等、混乱の中で多くの優秀な人材を失ってしまうことになりました。先ほどの松陰門下の三秀の中で生きて明治を迎えた者は1人もいませんでした。(久坂は禁門の変で自刃、高杉は病死)

以前、井沢元彦さんが「逆説の日本史」にて「幕末期の知識階級を「歴史オンチ」にした朱子学の大罪」という記事をご紹介しましたが、
詳細は拙記事 http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20100131

幕末当時の殆どの日本人、(それこそ勝海舟ほどの知識人ですらも)「徳川家康キリスト教は禁じたものの海外との貿易には熱心で寧ろ「開国主義者」だった」ことを知らなかったらしく、もし当時の日本人が家康の「開国主義者」を知っていて「攘夷」という行為は無駄な行為だとあらかじめ知っていれば、明治が始まる以前にあれほどの犠牲者(坂本龍馬も勿論含む)は出なかったのではないか、という話でした。その知識を阻んだのが朱子学である、と朱子学のありかたを批判していましたが、実に面白い話です。

確かにもし朱子学が過激で危険なほどの尊皇攘夷運動を生み出したというのもわかりますし、そのために多くの優秀な人材が失われてしまったという面はあるように思います。実際、久坂玄随池田屋事件で落命した吉田稔麿が維新以降も存命で、そして坂本龍馬大村益次郎といった人物がテロに倒れなければ明治はまた全く違った歩みをしたことは想像にかたくありません。

幕末から江戸時代は吉田松陰、龍馬の終生の師の勝海舟、そして緒方洪庵といった優秀な人材を多く育てた人物がいましたが、その中の半数位が明治維新の産声を聞かずに若い命を散らしたのは本当に損失だったと思います。

池田屋事件明治維新を遅らせたとか、明治政府の人材の質が落としたともいわれますが、しかし一方では司馬遼太郎さんは「この事件がなかったら薩長主力の明治維新は永遠にこなかったであろう」と解釈しています。皆さんはどちらの説が真実に近いとお考えでしょうか?

ちなみに三条小橋近くにあるこの幕末の大事件の池田屋の跡地は今は小さな石碑があるだけで、雑居ビルで現在居酒屋が入っています。数年前この近くを通った時はパチンコ屋でしたが..

ちなみに龍馬が後々重傷を負う寺田屋は今も健在ですが、龍馬時代の建物は焼失して現在は別の建物です。但し龍馬が襲撃された部屋とかは現在再現されているそうです。

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