KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

龍馬伝ー尊王攘夷の挫折

さて、久々龍馬伝の話ですがいよいよ山内容堂による土佐勤皇党の弾圧が始まりました。それにしてもこの龍馬伝山内容堂をかなり悪役的に描いていますね。確かにしたたかさもあったし、半分アル中で酔うと何をするかわからないところはあるんですが、それにしても想像以上に醜く描いています。

まあ歴史ドラマというのは脚本や原作者の書き方によって同じ人物でもまったく違うように描かれるということはよくあるんですが、(石田三成がいい例ですけどね)歴史小説家の浅田次郎さんは「歴史といっても小説家なんだから所詮はうそを書く」とおっしゃっています。まあ前にも書きましたが歴史小説大河ドラマ「歴史のシミュレーション」ではなくフィクションだ、といって割り切る必要があるでしょう。

ちなみにこれまで描いている様子だと、後に最後の将軍となる一橋慶喜も何だか醜く姑息な人物として描かれていますし(なぜか眉がない、なんかこれはなあ、公家じゃあるまいし後藤象二郎も嫉み深い、小心者として描かれています。これはこの後の物語の展開のポイントになる可能性があります。(特にまあ「俗説」といわれればそれまでですが、後藤象二郎は龍馬暗殺の黒幕の「候補」として一部の歴史家が揚げていますので..)

さて、武市半平太が龍馬の懸命な説得にも関わらず攘夷決行ができないまま土佐に帰る決断をして、実質的にはこの世の別れのシーンとなってしまうのですが、同じく長州藩もいわゆる下関戦争にてイギリス軍にコテンパンにやっつけられます。
これによって精神主義的な攘夷運動ではなく、勝海舟のように外国技術を学んで外国に匹敵する力を育てる方法が正しいことが証明されるのですが、イギリス外交官のアーネストサトウも「私たちはかえって長州人が好きになった」と書いているように、この下関戦争で寧ろイギリスと長州の結びつきがかえって強くなります。(薩英戦争のあとの薩摩とイギリスも同様)実はこの攘夷の挫折がかえって明治という次の時代の息吹になるんですね。実際このあと薩長をイギリスがバックアップし、幕府をフランスがバックアップするようになります。

余談ですがアーネストサトウ(Earnest Satow)は別に日本人ではなく、祖先はスラブ系のドイツ人だったようですが,この後実際「佐藤」と本当に日本人に対して名乗るようになります。本人も日本人に親しみやすい名前だったのが役に立ったといっていたようです。『一外交官の見た明治維新―A diplomat in Japan』という有名な著書を後々記し、イギリスの中の「日本学」の祖となります。幕末から明治にかけての歴史史料としても重要なものですね。幕末には面白いことに日本と生涯にかけて関わったヨーロッパ人が大勢います。みんな日本の近代化に多大な貢献をしているのが面白いですね。
ちなみにこのアーネストサトウもそうですし、おそらく龍馬伝に出ると思われますトーマスグラバー氏もいずれも日本人女性との間に子供をもうけ、その子孫は現在も健在です。

攘夷運動は特に土佐藩の場合顕著ですが、下級武士(土佐藩では「下士」)の反乱の一形態という形で始まったわけですが、結果的にこの攘夷の挫折がかえって「明治」という時代の息吹を育てる下地になったという気がします。そして明治政府は結果的に薩摩,長州,土佐,肥後の下級武士を中心とした政権になっていきます。

何でもそうですが挫折の時に実は本当の飛躍のチャンスがめぐってくるのかもしれません。何か今の日本に必要な気がしますね。

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