KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

勝海舟と坂本龍馬

龍馬伝の話です。
今日の話は勝海舟との運命的な出会いを描いていますが、先日のNHKの鈴木CPも公式サイトで語っていましたように、あえて史実と違う出会いの仕方でドラマでは描かれています。http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/

史実は千葉重太郎と龍馬が松平春嶽(慶永)の推挙で勝海舟に会い、勝海舟が地球儀を片手に世界情勢と海軍の必要性を説かれて龍馬は大いに感服し、その場で弟子になることを懇願、海舟が快諾した。ということらしいです。
ただ攘夷派の龍馬が「開国派」の勝海舟を殺しに行くために会ったとされていますが、実はこれをいっているのは勝海舟本人だけで、本当の目的は実はわかっていません。そもそも本当に勝海舟暗殺が目的なら、幕府の中での勝の庇護者であった春嶽が推挙するというのも不自然な話なので、たぶんそれは違うと思います。

また当時幕府の政事総裁職にあった松平春嶽の越前藩は徳川家康次男結城秀康」の直径の家柄で家格も御三家の次という高い家柄でもあり、本来なら一介の素浪人、それも脱藩した人間などがあえるはずがないのですが、剣の指南役の千葉定吉の推挙と、攘夷と開国という幕府の前代未聞の時代において人材を捜していた折に龍馬に会った、ということも考えられます。あくまでも推論に過ぎませんが、

いずれにせよ龍馬は本来なら会えるはずのない人物に会い、そしてその人物の推挙を受けるという意味でとてもラッキーだったと思います。尚、史料にはありませんし、龍馬伝にも出ていませんが、もう1人推挙した可能性として松平春嶽の側近の横井小楠もいた可能性があります。横井小楠松平春嶽の藩政改革に辣腕を奮った人物です。

さて、なぜあえて史実と違う風に描いたかですが、本日見ましたがおそらく史実通りだと勝海舟があっさり弟子入りを認めてしまうので、それではドラマとしては面白くない、そこで両者の出会いをより劇的に描くためにわざと紆余曲折のある展開にしたのかな、という風に推察しますが、さてこれに関する評価は賛否両論かもしれませんね。

脱藩したあとの龍馬はおそらく何らかの形で武市半平太とも連絡を取っていたかもしれませんが、やはり武市のやりかたに違和感を覚えていたと考えるのが自然でしょうね。そして勝海舟の考えを聞いて、これこそが自分が求めていたものだと直感したに違いありません。

この後龍馬は海軍操練所設立のために勝海舟の手足となって奔走します。しかし八月十八日の政変をきっかけに勝海舟軍艦奉行を罷免されてしまい、せっかく設立した海軍操練所もその価値を理解しない幕府の守旧派によって閉鎖されてしまいます。龍馬が勝海舟の元にいたのは僅か二年半あまり、しかしその時に龍馬が学んだものはとてつもない大きなものであったことは確かでしょう。

実際海軍操練所の伝習生は当時の日本にとって貴重な航海術の専門知識を有しており、勝海舟が塾生の後事を心配して薩摩藩家老の小松帯刀に彼らを託した時、逆に薩英戦争で既に痛い目にあっていたためにその専門知識の価値を理解していた薩摩藩にとっては寧ろ渡りに船の話だったと思います。薩摩藩が欲しかった航海術の専門知識の集団に出資して生まれたのがご存じ亀山社中。龍馬がいよいよ歴史の表舞台に出てくるわけです。

坂本龍馬はおそらく誰よりも勝海舟の志を理解し、それを実践した人物だったといえます。龍馬は生涯勝海舟を心から敬服していました。まあその運命の出会いは、単に龍馬と勝海舟だけでなくある意味日本の歴史にとっても大きなものだったかもしれません。

さて、今週三条実美天皇の勅使となり、その警護役として江戸城までいった武市半平太ですが、来週からいよいよ土佐勤皇党の弾圧が山内容堂によって始まり、半平太は入牢、悲劇の最期のシーンが始まります。もっとも山内容堂は後程半平太切腹させたことをものすごく悔やむことにはなりますが...

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