KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

歴史ドラマの「捏造」はどこまで許されるか

さて、龍馬伝今日も見ましたがドラマとしてなかなか感動的なシーンがありました。
少なくともここまではドラマとして脚本がよくできていると思いますね。

とはいえ、この龍馬伝も他のブログでいくつかの部分で「歴史事実と違う、捏造だ」といった指摘をする記述もありました。確かに前回のように吉田松陰が弟子の金子とアントニオ猪木よろしく「気合を入れる」なんてことはしていないとは思いますが(笑)ここで歴史ドラマはどこまで「捏造」が許されるのか、私なりに考えを述べたいと思います。

まず基本線として歴史小説、歴史ドラマは歴史や実在の人物を題材にはしていますが所詮はフィクションである。ということを抑えておかなければなりません。

以前浅田次郎さんの講演会で歴史学者は歴史事実を見るが歴史小説家は歴史の中の人間を見る」と云っておられました。その「歴史の中の人間」をベースにストーリー、ドラマを作るのが歴史小説家であります。つまり大河ドラマを始めとする歴史ドラマは「歴史のシミュレーション」ではなく「歴史を背景としたドラマ」であるわけです。

龍馬伝は戦国物と比べれば比較的時代が現代に近いですがそれでも150年以上前の話、吉田松陰坂本龍馬に実際に会った人がJin-仁のようにタイムスリップでもしない限りは現代に生きているはずもありません。(笑) 坂の上の雲日露戦争の時に生まれたって現代ではゆうに100歳を超えています。つまり当時の人物が本当にどういう人だったか今では知る人もいないですし、資料等でみたところでその資料の信憑性の問題もあります。だから想像力を働かせるしかありません。その想像力の手助けをしてくれるのが歴史小説なわけです。

そのドラマの作り方が司馬遼太郎大仏次郎、そして先ほどの浅田次郎も上手だったんですね。しかもこの人たちは歴史学者なみ、いやある意味ではそれ以上に歴史を研究をしていると思います。

要はそこが重要です。つまり歴史ドラマを作る場合に
1.描いている歴史の歴史的背景、社会情勢や事情をよく読み取っているか

Jin仁などは現代の医者がタイムスリップするという「ありえない」設定ですが、ドラマでは当時の解剖(腑分け)の事情や現代では当たり前になっている外科手術を理解させるのがいかに大変かということも描かれています。
龍馬伝にしても260年戦をしなかった武士がよろいを処分していた、といった事情や黒船のインパクト等をかなり正確に描いていると思います。
こういう歴史的背景、社会事情をドラマに反映させることによってドラマのリアリテイを感じさせることができるのです。

2.歴史の根本的事実は抑えているか

いくらドラマがフィクションといっても歴史の根本を変えてはいけません。
天地人のように直江兼続真田幸村と結託して千姫を救った、なんていう歴史的にありえない話を作る、というのはいくら演出のためとはいえこれは反則です。
あと年号を変えてもいけません。方広寺鐘銘事件は1614年であって1608年ではないですし... いくらフィクションでも基本的な歴史の間違いはしてはいけません。

但し、これは私見ですがどうしても歴史とは違う話にしてみたい、という場合もあります。それはもはや歴史小説というよりは完全に別のフィクションになります。どうせメチャクチャな歴史にするのならこんなのはどうでしょうか?

古いドラマの例ですみませんが、昔『仮面の忍者 赤影』(1967 - 1968年)というのがありました。(故横山光輝原作)忍者時代劇ですが、なぜか怪獣が出てくるわ、宇宙船が出てくるわ(笑) 同じハチャメチャでもそこまで徹底してくれると逆に面白くなります。最近ここまでハチャメチャなドラマや映画はないですが、こういうのだったら面白いですけどね。

話はそれましたが、最後に一番大事なのは
・ドラマとして面白いこと。登場人物の心理描写を始めよい脚本であること。そして何よりも映像がきれいなこと。

これが基本でしょう。「坂の上の雲」も「龍馬伝」もここまでのところはそこをよく抑えていると思います。反対に「天地人」はそういった心理描写、大名同士の心理描写、駆け引き等は全くといっていいほど描いてなく、人物描写も非常に薄っぺらで何よりもドラマとしてはっきりいって駄作以外の何者でもない。あんなにつまらないドラマがあんなに視聴率がよかった、というのがいまだに私は理解できません。

まあ龍馬伝がそういう方向に行かないことを祈るばかりです。