KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

新年コラムー神道とヤマト王権について

 謹 賀 新 年 

本年もよろしくお願いします


さて、皆さんはもう初詣は行かれたましか?

私は毎年近くの東京府中市の大国魂神社と日野市の高幡不動に行きます。日本人はお寺にも神社にも同時に初詣しますが、外国の人にはこれがとても奇異にうつるようです。
これというのもキリスト教イスラム教などの一神教の世界では異教徒のチャペル(モスク)にいくだけで自分たちの神への冒涜に近いと考える人たちが多いためですが、もともと多神教の風土が強い日本では何の不自然さも感じません。私は個人的には一神教よる多神教の方が心地よいためにこうした風土が逆に安心できます。

キリスト教イスラム教も仏教などに比べれば比較的新しい宗教といえますが、いずれも民衆の中にあった原始宗教(西洋ならローマ時代のミトラス教etc)と「融合」して現在の宗教の形となりました。ところが仏教神道「共存」という形で発展してきました。

そもそも神道には他の宗教と比べ明確な教典などなく、古事記などの神話時代から存在した「原始宗教」に限りなく近いものといえます。それが7世紀頃からの仏教の伝来の時代ではその神道仏教が凌駕するのではなく、「共存」という形がとられました。だから寺社の境内に神社が存在するという形も珍しくないわけですが、要は仏教の布教が奈良飛鳥時代大和朝廷が中心になって進めていたという背景もあるようです。

で、その神道大和朝廷、もしくはヤマト王権について考えてみたいと思います。

邪馬台国ヤマト王権


以前でも卑弥呼天照大神の話をしましたが、http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20090106
現在奈良の箸墓古墳卑弥呼の墓ではないか、という説があります。卑弥呼は248年ごろに死亡したとされる。研究グループの春成秀爾同館名誉教授(考古学)は「時期が一致し、卑弥呼の墓の可能性が極めて高くなった」と指摘されており、発掘による調査でどんな調査内容が出てくるか非常に興味があります。

もしこれが本当に卑弥呼の墓だとしますと卑弥呼からヤマト王権に移った過程にも注目が集まります。もし邪馬台国畿内説が有力になると、ここから比較的短期間にヤマト王権に移ったことになります。ここで問題になるのは天皇の存在になります。日本書記や古事記は7世紀以降に編纂なれたものなので真実性は薄いとされていますが、しかし100%フィクションと考えるのも無理があるように思います。かなり歪曲はされているにせよ、少なくとも何らかの形で真実の歴史が反映されていると考えるほうが自然です。

初代の神武天皇天照大神から5代目に当たる人物とされ、天照大神卑弥呼として考えるとだいたい3世紀後半から4世紀初め頃にかけてヤマト王権、もしくはその前進が出現した、と考えればつじつまがあいます。そもそも神武天皇に当たる人物が本当に実現したのか、大いに疑問ですが神武天皇崇神天皇、もしくは応神天皇と同一視する説があります。いずれにせよ二代天皇である綏靖(すいぜい)天皇から九代天皇の孝元(高原)天皇古事記』にも『日本書紀』にも何の記述もないことから欠史八代と呼ばれ「架空の天皇の可能性が高いと思われます。この天皇の中で神武、崇神、応神はいずれも「神」の文字が入っていることから、ヤマト王権に関して何らかの意味を示唆するものと考えられています。

いわゆる万世一系

天皇家を支持する人たちはいまでにこれを信じて疑わない人が多いようですが(ちょっとカルト宗教的で恐い(笑)) 卑弥呼の流れによる王権とヤマト王権は本当につながっているのが疑問視する人もいます。そしてこれも以前書きましたが、例の継体天皇がもう1つのポイントですね。継体天皇の前の武烈天皇に後嗣がなかったため、「応神天皇5世の孫」である継体天皇が大王家を継いだということですが、やはり不自然さは否めないですね。

ちなみにヨーロッパの王室を見ればわかりますが殆どの王室は何代か遡れば何らかの形で繋がっており、王室が変わる時期には必ずこの「血縁の濃さ」というのがポイントになります。イギリスもフランスも王朝が交代するときにはこの「血縁の濃さ」を口実に王権を簒奪するのが当たり前になっており、それを考えれば古代のヤマト王権に同じようなことがあっても別に不思議はありません。継体天皇は五代遡ればならないほどヤマト王権とは血縁がうすい人物であり、しかも天皇になってから大和の国に入るまで20年かかっていることを考えると、かなり激しい権力闘争が行なわれたと考えた方が自然だと思います。つまり継体天皇王朝交代が行なわれたと考えるのが自然だと思います。

いずれにせよ現在の天皇から確実に血縁的に遡れるのは継体天皇であることは間違いないようです。つまり今の天皇家の本当の先祖は継体天皇である、ということです。

それにしてもこういう古代の天皇家についてさまざまな説が出てなかなか決着がつかないのはやはり「天皇の御陵」と呼ばれるところになかなか学術的な調査が入れない、という点が問題でしょう。そもそも現在天皇の古墳と呼ばれているものは「日本書紀」等の記述から「比定」(ここがそうだろう、と推測された)されたものでありきちんとした学術調査が行なわれた上で我々がそう呼んでいるわけではありません。だから大阪府の境市の「仁徳天皇陵」にしても発掘作業で仁徳天皇だと確定したわけではありません。

宮内庁天皇家「神秘のベール」で覆い隠したい、と考えているためそうした発掘調査に対して極めて非協力的なことは有名です。また自民党を中心に国家主義的なイデオロギーを持っている政治家も天皇の古墳の発掘調査には否定的な人物が多い。科学のメスが入ることによって天皇家の権威を政治利用できなくなるという思惑があるわけで、そういう国家主義的な勢力からすれば天皇家「神秘のベール」で覆われていた方が都合がいい。という面もあるように思います。

しかしこれはやはり異常なことです。エジプトも中国も二千年ー三千年以上の遺跡の発掘作業を行なっているのに日本は二千年にも満たない遺跡を発掘調査すらできない、させない、これはやはり海外からみて異常な国、と見られないでしょうかね。

とにかく正しい歴史を知りたい、知ることができる環境が欲しい。考古学ファンはみんなそう思っているんじゃないでしょうか?