KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

幕末ー明治ブームと司馬遼太郎

さて、本日坂の上の雲いよいよ日清戦争の話に入っていきますが、その後の「Jin-仁」もあり、来年の大河ドラマ龍馬伝と私の中でちょっとした「幕末ー明治ブーム」になっています。

そんな中本屋を覗いたら司馬遼太郎表紙の文芸春秋の増刊号が出ていたのでついつい買ってしまいました。

文藝春秋増刊 「坂の上の雲」と司馬遼太郎 [雑誌]

まあ文芸春秋自体は左寄りの方からはあまり評判のよくない雑誌ですが、それは置いておいてやはり司馬遼太郎が「坂の上の雲」に書いた講演があったので日曜日ということもあり思わず読みふけってしまいました。

この坂の上の雲日清戦争から日露戦争が物語りの中心にありますが、司馬遼の講演で語っているのをみますと実に的確に、そして細かく歴史を検証した上で執筆しているのがわかります。だから読み応えがあるんですね。結論からいって物語のもっとも佳境にあたる日露戦争終了後に日本がどんどん駄目な国になっていく背景が物語を読んでいるとどんどん明確になってきます。

司馬遼太郎自身は戦争に動員され、終戦を迎えたときに「日本はなんてバカな戦争をしたのだ。いつから日本人はこんなにバカになったのだ」と考えることが歴史小説を書き始めたきっかけだそうですが、太平洋戦争時代は「鬼畜英米が叫ばれ、敵国の人間を人間と思わない風土が強かったです。ところが日清戦争日露戦争は全く違いました。例えば今日の「坂の上の雲」に登場した清国の艦隊司令長官の丁汝昌は日本の海軍の間でも尊敬を集めていた人物で、伊東祐亨連合艦隊司令長官は伊東祐亨連合艦隊司令長官は清国の艦隊を撃滅した後、助命すべく乞降書を送りました。丁長官は日本軍の丁寧な対応に感謝の意を伝えて「部下たちを頼む」といって服毒自殺を図ります。そして伊東司令長官は丁の部下たちを丁重に扱い清の本国まで送り返しています。これは太平洋戦争当時の日本では考えられないことです。また勝海舟は丁の死後、丁の死を悼む内容の記事を新聞に投稿しています。敵国の人間にもきちんとした儀礼を果たしていました。これは誰に指導されたのではなく、江戸時代から続いている儀礼だったんですね。同じように日露戦争でも旅順を陥落させたあと、ロシアの敵将のステッセルに対しも待遇もきちんとしてヨーロッパにおける騎士道に匹敵する儀礼だったと賞賛されました。日露戦争までは日本の軍隊は戦術は勿論、人格的にも立派な人間が多かったんですね。

ところが司馬遼太郎も指摘しているように「勝ちっぱなしの国はやはりおかしくなる」ということでこのあと日本はどんどんおかしな方向に行ってしまいます。結果的に日露戦争に勝ったことがその後の日本に大きなマイナスだったんですね。今日の坂の上の雲でも陸軍士官の横暴ぶりがそれを暗示するかのように描かれていましたが、この後陸軍の体質はだんだんひどいものになっています。その後安価な精神主義、情報軽視の体質が台頭し太平洋戦争のような無謀な戦争に突入してしまいます。

勿論当時の明治政府の国力からすれば清国やロシアと闘うなんていうことは客観的にいって無謀ではありました。しかしだからこそ精一杯知恵を発揮してギリギリのところで切り抜け、結果的には勝利します。しかしその勝利の部分だけが結果的に一人歩きしてしまいます。

余談ですが、清国との戦争を回避しようとした伊東博文は当時の国際情勢をかなりの面で見通し切れていませんでした。まあ今日登場した山縣有朋とともに吉田松陰松下村塾出身ですが、実は山縣も伊東も松下村塾では寧ろ劣等生といっていい存在でした。今日「Jin-仁」でも登場した久坂玄瑞とともに高杉晋作吉田稔麿松陰門下の三秀といわれた人物ですが、この三秀の中で生きて明治維新を迎えた人間はいませんでした。もし三秀の中で明治維新後も活躍できた人物がいたなら明治の歴史もまた大きく変わったかもしれません。