KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

豊臣秀長

久々「天地人」の話です。(笑)

今回は千利休切腹の話から始まりましたが、今回あたりから秀吉の行動がおかしくなりはじめる頃です。
実は秀吉がおかしくなり始めるのはある原因があります。

今回の「天地人」には結局出てきませんでしたが秀吉には弟の豊臣秀長(存命中に豊臣を名乗っていなかった可能性もあり羽柴秀長のほうが正確かもしれません)がいました。この人物は「天地人」の主人公の直江兼続、そして伊達家の片倉小十郎に匹敵する戦国の名参謀といわれた人物です。

この羽柴秀長、秀吉の異母弟とも実弟ともいわれますが、秀吉が織田家の家臣時代から秀吉についてきた人物で、徹底的にナンバーツーに徹した人物で人望もあり、知略に富んだ人物で本当に秀吉の片腕といってよい人物でした。秀吉に対しては率直に意見し、時には諫言も行なっていた人物で秀吉は全幅の信頼を置いていた人物です。温厚な人柄で秀吉の片腕として辣腕を奮い、文武両面での活躍を見せた人物で諸大名からも相当頼りにされていたようです。まさに秀長あってこそ秀吉はあそこまで出世したといっても過言ではないでしょう。

出世して大和郡山117万石の領主となりましたが、秀吉の小田原攻めの前から体調を崩し翌年郡山城で死去。

このあとから秀吉は次々とおかしな行動に走ります。今回の千利休切腹などはまだ序の口、朝鮮出兵(慶長、文禄の役)、甥の秀次切腹ならびに一族の処刑、戦時で疲弊している時の醍醐の花見等 正気の沙汰とは思えない行動を次々に起こします。諫言する人間もいなくなったためただ暴走するしかなくなったんでしょうね。

 秀長はその人格と手腕で織田家臣の時代より内政や折衝に特に大きな力を発揮し、不協和音の多い豊臣政権の要石の役割を果たした人物だっただけにもし、秀長が長生きしていれば少なくとも、秀次の切腹ならびに処刑もたぶんなかったでしょうし、千利休切腹もたぶんなかったでしょう。石田三成加藤清正福島正則との対立もうまく取り直した可能性が高く、秀長が生きていればそもそも関が原すらなかったかもしれません。

歴史に「たら、れば」は禁物ですが、秀長の死によって豊臣氏の周落は始まったといっていいでしょう。結果的に朝鮮出兵も秀次切腹豊臣氏を弱体化させるだけでした。

いずれにせよこれから「天地人」では秀吉がらみでいろいろ悲劇がおきる展開になるでしょう。

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