KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

直江兼続と前田慶次

さて、本日の天地人では上杉景勝が上洛の際の過密スケジュールに疲労困憊しついには倒れるというお話ですが、資料を見る限りこの記述はなくおそらくは創作と思われます。

そこで宇津井建扮する前田利家が出てきますが、この時にひょっとしたら出てくるかなというある期待がありましたが、今回は裏切られてしまいました。

期待というのはご存じ花の慶次で最近はパチンコでも人気の前田慶次郎利益です。そう「かぶき者」として有名な人物で、隆敬一郎の小説で一躍有名になった人物です。確かこの時期は前田家家臣として「神妙に」仕えていた時期といわれているのですが、この前田慶次郎は兼続とも懇意になり関が原では後々語り草になる闘いぶりで、敵将にあたる家康も「敵ながら天晴れ」と言わしめる働きをします。関が原、特に最上勢との戦いではなくてはならない人物のはずなんですが、果たして天地人では出てくるんでしょうか?

この前田慶次郎、実際は記録も乏しいため謎にみちた人物なのですが、実際は母親が再婚した関係で前田利家の兄の前田利久の養子になるため前田の姓を名乗っているという関係なので、利家とは直接血はつながっていません。隆慶一郎作 画:原哲夫の両氏による「花の慶次〜雲のかなたに〜」では青年のように描かれていますが実際の前田慶次は一番若くても1541年生まれ(他に1533年、1534年生まれ説あり)、つまり一番若かったとしても徳川家康と同じ年に生まれたことになり、いわゆる「かぶき者」としての行動は割りと壮年期になってからだといわれます。

愛馬で名馬松風に乗り「気の向くまま、思うがまま」の行動を取る前田慶次郎は1587年に前田利家を水風呂に入れるというイタズラをし、前田家を出奔という前代未聞の事件を起こします。「かぶき者前田慶次郎」はここからスタートしたといわれています。そして慶次郎は京都に仮の住居を求め、この時に貴賎墨客と交わりを結び、諸大名の邸宅にも遊びに出入りしたと言われています。そこで文武の道に己を凌ぐ人物として直江山城守兼続に接して交わりを深めたようです。そして慶長三年(1598年)、兼続と共に上杉景勝に仕えます。
だかた基本的に天地人で出てきて欲しいキャラクターなんですね。 そしてもし出てくるにしても誰が演じるのか、というのも気にかかりますが..

ちなみに上杉家では一千石で召し抱えられ、組外御扶持方という自由な立場にあったようです。慶次郎の仕官にあたっての条件は「録高は問わない。只自由に勤めさせてもらえばよい」というものだったと伝えれられています。いかにも前田慶次らしい条件ですね。

そして関が原で山形の最上勢と後世から語り継がれる見事な戦いぶりを行い、家康に「兼続は何をするかわからぬ」と恐れさせたようです。ちなみに私はこういうことは詳しくありませんが、この時の慶次の働きぶりは旧日本軍参謀本部の「日本戦史」で取り上げられるほどのものだったそうです、

晩年は上杉領の米沢の堂森山北東のほとりに庵(無苦庵)を結んで、風花吟月を友として悠々自適の生涯を終わったといわれています。没年は慶長十七年(1612年)六月四日に亡くなったとし、その亡骸は堂森善光寺に葬られたとされていますが、「加賀藩史料」では前田利長によって大和刈布に蟄居させられ、慶長十年(1605年)十一月九日に七十三歳で没したとされており、どちらが正しいのかわからないようです。

いずれにせよ小説にも取り上げられるような強烈なキャラクターの人物であることは確かで、直江兼続とも親しかった前田慶次天地人に出てこない、となると私はかなりがっかりするでしょうね。果たして登場人物の中に出てくるでしょうか?

前田慶次郎利益について資料を含め詳しく研究しているホームページがありますのでご興味がある方はご覧になってみてはいかがでしょうか?

傾奇御免
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