KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

裁判員制度

さて、裁判員制度についてこのブログ、そして私のもう1つのブログでも再三にわたって述べてきましたが、とりあえず第一回の裁判員の通知はもう今の時点で全て到着しているはずなので、今回は裁判員にならずに済んだようです。

勿論、裁判員になることによって日常生活への影響については重大な問題でありますし、懸念すべきは私のような自営業に関する影響は勿論、例えばサラリーマンが「裁判員になったことへの業務への影響」が会社のリストラの口実になってしまうのではないか、という懸念も考えられます。特に来年は経済環境が非常に厳しい年になることは避けられないことから、その可能性を非常に憂慮します。この制度がどうも経済界の人たちがきちんと理解しているような印象がないもので...

それに何よりも何度もいいますが、これだけ国民生活に直接影響を与える制度が国民に対してのコンセンサス等を得るというプロセスを経ずに相も変わらず密室の中で議論され決定された印象がぬぐえないことです。これは日本の民主主義の成熟していない部分を露呈しているといえないでしょうか?

特に日本の裁判員制度、私は法律の専門家ではありませんが、端から見てもきちんとした議論が行われているとはとうてい思えない部分があります。

まず第一にアメリカの陪審員制度と比べて、日本の裁判員は判決、それもかなり重大な刑事事件の裁判の判決に加わる可能性があり、アメリカの陪審員制度と比べてなぜそこまで踏み込んだ役割を日本の裁判員に要求する必要があるのか甚だ疑問であります。

そして第二にアメリカのような社会(多民族国家、基本的に性悪説で動いている社会)と日本社会(殆ど単一民族、法律も含めて性善説と動く)では根本的に裁判の進め方も違うし、そもそも弁護士の数からして違います(アメリカは弁護士1人あたりの国民数は約300人、日本は、弁護士一人あたり約7200人です)それにそもそも歴史的背景から陪審員制度を導入せざるを得なかった点があります。 それらを考慮して日本にこの制度を導入する狙い、目的は何なのか、いまひとつ見えない部分があります

おりしもこの制度が決定されたのは小泉政権時代、国民の熱烈な支持の状況下で殆どたいした審議も行われないまま決定された、という背景があります。それにどうもこの決定の背景にはアメリカの影が見え隠れします。

まあアメリカが日本の陪審員制度と同じものを作れ、とは云ってはいないようですが少なくともネオコンブッシュ政権時代には殆ど内政干渉といってもいいほど日本の制度のあらゆる部分に対して圧力があったのは確かなようです。オバマ政権になってそういったものが緩むのを期待しますが果たしてどうでしょうか?

あともう一つ引っかかるのは日本人の何事に対しても無関心のクセです。選挙にもろくに行かない、情報も自分から調べようとしない、当然そもそも裁判のシステム自体も知らない人が多い、つまり民主主義社会における自らの権利と義務に対しての認識が非常に薄い人が多いのは否めないのが現在の日本です。そういう社会に裁判員制度を導入して果たして公正な裁判が望めるのか、甚だ疑問です。特に重大な犯罪に関しての判決に関るということであれば尚更です。

いずれにせよ現状のまま導入しても混乱は間違いなく起きるでしょう。そしてさまざまな問題点や見直すべき部分も出てくると思います。あと重大犯罪の判決に参加したことで被告人や被告人の関係者から「逆恨み」されて、別の悲劇が起きる、などということも考えられます。悲劇が起きる事態だけは起きて欲しくないものです。

広告を非表示にする