KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

若者よ!! 小泉の「新自由主義の幻想」に騙されていることに気づけ!!

昨日のブログの書き込みでやたらリンクばかり貼りしかも長文だったのでわかり辛かった人が多かったようなのでそういう方のために改めて昨日の記事を噛み砕いて説明することにする。

昨日の「新自由主義の幻想」の分析を可能な限り短くわかりやすくまとめると以下のようになる。

 格差が大きくなっているにもかかわらず、若年層を中心に(あとワイドショー視聴者の主婦層にも)いまだに小泉自民党を支持している層が多い。しかしその中の大半は小泉路線で犠牲にされるはずの若者たち(しかもその中には、ニートやフリーターなど、いわゆる「負け組」も多かった)が多く、彼らは小泉改革で絞られ、排除されるはずの非エリートの若者たちが、小泉自民党に幻想を抱き「自分にチャンスが与えられた」「自分も金持ち、成功者になれる」という錯覚に陥っているからである。なぜこれほど多くの人がそのような錯覚、幻想にとらわれてしまったのか?


 元はといえばバブル崩壊以降にマスコミにかまびすしく落合信彦田原総一郎大前研一といった人たちから新自由主義への幻想が振りまかれたことに始まる。それははそれまでバブル経済の恩恵を受けなかった層……すなわち、一般の勤労者・サラリーマンや学生・若者たちの一部がそれに飛びついた。その時の心境はおそらく以下のようなものだったのではないか?


「ほうら見ろ! あんな奴らだけがいい思いをして、俺(私)がくすぶっている時代はやはり間違いだったんだ。これからは、俺(私)にも、飛躍のチャンスがくる!」
 要するに、勝手に「自分も勝ち組になって、世の注目を浴び、いい思いができるようになる(かもしれない)」と、多くの人たち(特に若者たち)が幻想を抱いてしまった……というか、幻想を抱かされてしまったのだ。実際、バブルの恩恵からあぶれた人々や、まだ自分の可能性を信じられる若者たちにとって、その幻想は素晴らしく魅力的なものだった。アメリカ型資本主義、新自由主義への幻想を喧伝する人たちも、アメリカの資本主義がいかに自由かつ公正で素晴らしいものかを説き、日本の経済・社会を批判する時も、「アメリカではどうか」というのを基準に持ち出した。つまりこの時期から何でも「アメリカ」のまねをする風潮が広まったということができる。今から思えばこの時期が、「新自由主義的(小泉的)なるもの」を受け入れさせるための、準備(世論誘導)期間で我々日本人はそれに見事にはめられてしまったようである。


 ではなぜ特に若年層が自由主義への幻想に惑わされてしまったのか? 何故、それを見抜けなかったのか?」


ひとつは「社会と自分自身に対する無知」。

 ふたつ目は「自分を見つめられない弱さ」。

 3つ目は「他者と社会に対する想像力の欠落」である。

それは、詐欺やマルチまがい商法、怪しげなカルト集団や危ない思想などに、多くの若者がはまってしまう心理と根本的に同じである。

まず第一点の「自分自身に対する無知」とは何か?それは「社会と自分自身に対する無知」である。社会そのものを知らないというか、「その社会の中で自分はどういう存在で、どういう立場にいるか」ということを想像できない。平たく言えばそれは、「世間知らず」「身の程知らず」でもある。


小泉構造改革新自由主義路線の果てにあるもの。それはごく一部のエリートや勝ち組だけが、圧倒的多数の負け組の犠牲の上においしい思いをし続けるという社会であり、そのような社会で勝ち組やエリートに上がることができるのは(勝ち組やエリートの家庭に生まれたのでなければ)、ずば抜けた実力だけでなく、(コネなども含む)非常な幸運に恵まれたごくひと握りの人だけである。実態を知れば、そのことが理解できるはずのだが、できない。「自分も、エリートや勝ち組になれる(かもしれない)」という根拠のない幻想を勝手に抱いて、簡単に騙されてしまう。これこそが「自分自身に対する無知」である。


次に第二点の「自分を見つめられない弱さ」。
小泉政権や、自分の利益のために支持する人たちがばらまく幻想に惑わされないためには、まずこの「社会と自分自身に対する無知」を克服しなければならない。だが、少なくない人たちは、この時点で心理的な壁にぶち当たる。それは「社会の中の自分自身を見つめることの辛さ」という壁である。
 考えてもみてほしい。弱肉強食の小泉新自由主義路線の中で、「社会の中における自分自身を見つめる」ということは、ほとんどの人にとっては「自分が惨めな敗者・弱者である」ことを認めることでもある。それは、本人にとって惨めで辛いことである。

 特に、一度でも小泉政権新自由主義の支持者たちが行った幻想刷り込みにはまってしまった人にとっては、それは更に難しいこととなる。何故なら、小泉路線(=新自由主義)の論理によれば、「敗者・弱者とは、自分の能力と努力の不足ゆえ競争に負けたダメな奴」となるからだ。それに異論を唱えようものならば、「自分のせいで負けたのに、勝者に嫉妬し、社会に責任転嫁しているだけの甘ったれた奴」という烙印を押され、批判や嘲笑の対象にもされかねない。

 これは、単に「知力(IQ、教養や学歴など)が高いかどうか」だけの問題ではない。むしろ、なまじ教養や学歴を持っている人の方が、かえって危ない。特に危ないのが、「昔は優等生でエリート・コースを歩むかと思われていたけど、途中で挫折した」というタイプだ。また「今までずっと優等生で、まだ大きな挫折を経験していない」というタイプも、将来このような落とし穴にはまる危険がある。


それはものすごく辛いことだ。おそらく大多数の人はそれを認識・理解できない。あるいは、何となくわかっていても、それを認める辛さと惨めさに耐えられない。だから、気づかない振りをする。そのうちのある人たちは、「日本人であること」に心の支えを求め、危ないナショナリズムや排外主義に走る。別の人たちは、ささやかな自己満足と優越感で傷ついた自分のプライドを何とか支えるために、差別や弱い者いじめに走る。また別の人たちは、社会と関わることから逃げて、ニートや引きこもりとなる。またまた別の人たちは、与えられた幻想に更にしがみつく。こうしてみると最近のネットウヨやフリーター、ニート、全てがこの問題でつながっていることがわかる。


だがどんなに惨めで辛いことであっても、自分と、この社会の中で自分が置かれている現実を直視しなければならない。今、日本人(特に若年層)に最も必要な勇気とは、異質な他者を叩く勇気でも、どこか他の国と戦争しようという勇気でもない。自分の限界と弱さに向き合う勇気である。
 まずはそうすることによってのみ、甘い幻想から解放され、本当の問題解決のための道が見えてくるのだ。


そして第三は「他者と社会に対する想像力の欠落」

ー特に社会の中における自分の位置や、社会に対する理解や問題意識。そして犠牲になるであろう弱者や敗者になるであろう他者に対する想像力である。

「小泉さんが首相になってから、いろんなことが変わった。仮にそれがまやかしだったとしてもそれでもいいじゃないか。それが悪い結果でも、とにかく変化を起こしたってことを評価すべきだ」こんな発言をした若者がいたという。

そもそも、現在の新自由主義市場原理主義)下の企業社会では、人の首を切った方がより手っ取り早く経営者や株主の利益。それは、斬られた人の能力や人間性、会社の長期的な利益、社会全体の利益などとは必ずしも一致しない。この若者には、「そんなことはは自分に関係ない」という感じで、勝ち組やエリートでもないのに小泉自民党新自由主義市場原理主義)路線を支持する人たちには、そうしたことに対する想像力がないのではないか


  自分……社会の中における自分の位置や、社会に対する理解や問題意識。そして犠牲になるであろう弱者や敗者になるであろう他者に対する想像力。それらを欠いた夢(そんなものは、幻想とか妄想と言ってもいいと思うが)に踊らされたら、自分自身が墓穴を掘って最後に泣かされるだけでなく、他者や社会全体にまで不利益をもたらすことになりかねないのだ。そのことに対する想像力の欠如、これが今回の新自由主義信仰の根幹にある。


 
「小泉構造改革」、つまり「新自由主義」「市場原理主義」と言えば、次のようなイメージでとらえる人も多いのではないか? 特に、小泉政権とそれが推進する路線を支持している人たちには。
 「完全実力主義。能力のある人は上がる(勝ち組になる)チャンスがあるが、ない人は(負け組として)底辺に押しやられるしかない。厳しい時代だが、これは誰のせいにもできない、全て自助努力・自己責任の世界だ」 さらに、その先に現れる「新階級(階層)社会」というと、次のようなイメージでとらえている人も多いのではないか?

 「もう戦後の平等主義は終わった。それは、日本社会を現在の閉塞状況に追いやった、甘っちょろい偽善・欺瞞に満ちたものである。この閉塞を打破し、日本を国際競争力ある国にするためには、階級社会化は必要な選択である。それで(負け組として)底辺に追いやられる人もいるだろうが、やむをえない。それも自己責任だから」

だが……そのような見方には、大きな落とし穴がある。
 本当に「実力主義」とか「自由競争」とか言うのであれば、その前提条件として「公平・公正」が、特に「機会」と「評価」でなければならない。だが今の日本現実、及びこれから日本社会が迎えようとしている社会は、必ずしもそうではない。 まず、機会からして不公平・不公正がある。


 一生懸命真面目にコツコツと働いている人たちが居る一方で、大した努力もせずに、真面目に働いている人たちの努力の上にあぐらをかき、威張り散らし、自分たちだけがおいしい思いをしているという、自称セレブ、自称エリートや自称勝ち組たちが、ごろごろいる。

世間では「実力主義だ、自由競争だ」というけれど、本当にそうだろうか? むしろ実態は、江戸時代のような世襲制身分社会に近づきつつあるのではないか? 我々はもしかして、「子々孫々まで庶民の犠牲の上に特権的地位を持ち続けたい」と願う人々に騙され、踊らされていたのではないか?

もう一度詳細に読みたい人は
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20080715



非常に長くなってしまったが以上が概要である。非常に的確な分析であり久々に参考になるブログをみつけた。このブログの著者に感謝する。


注目すべきはこの「自由主義信仰」を分析すると最近のニート、フリーターそしてネットウヨの部分の背景まで見えてくることである。

またこの新自由主義信仰の基本コンセプトは一応廃止になった例の「ゆとり教育」の考え方にも大いに共通する。「ゆとり教育」自体はもともと中曽根政権時代に種がまかれた物だが、中曽根・レーガンの基本政治姿勢も新自由主義ネオコンの原形であることを考えると今の格差社会は今から四半世紀前には、「子々孫々まで庶民の犠牲の上に特権的地位を持ち続けたい」と願う人たちによって周到に準備されてきたと考えることができる。

またこの新自由主義への幻想が振りまいたマスコミー特に大手メデイアがかなり大きな役割を果たしたことは忘れてはならない。元々、マスコミというのは表面は庶民の味方のふりをしながら実態は庶民を踏みにじる連中である。また証券関係者なら大手新聞や地上波テレビのネットワークが、株や投資に多額の金額で運用していることを知っているだろう。つまり新自由主義による富の集中は大手マスコミにとっても非常に都合のよいことであり、かくして大手マスコミはなぜか小泉純一郎竹中平蔵のような人物を殆ど批判していないのはその辺りにあるようだ。つまり小泉政権というのはマスコミ(あえていうマスゴミ)にとって極めて都合のよい政権だったのだ。

結果的にマスコミはこの新自由主義の幻想を振りまくにあたって権力のチェック機能を殆ど果たさず寧ろマスコミの実態は権力に極めて従順な体質を持っていることをこの事実は露呈したと考えることができる


だからいまだに小泉元首相を支持している人たちへ、特に若者たちにいいたい。
詐欺師、ペテン師は人間の弱さを巧みについてくる。小泉純一郎は歴史に残る稀代のペテン政治家といっていいだろう。あなたたちは極めて巧妙に騙されているのだ。

だからそれに気づいて欲しい。今この「新自由主義の幻想」の蔓延によって日本が極めて悪い方向に進んでいること、この日本がどんどんダメになっていくこと。そのことに気づいてくれ。この状況がまだ続くようだと本当に手遅れになり、取り返しがつかなくなる。