KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

死刑に関する議論と無期懲役の誤解についてふれ

昨日連続幼女殺人事件の犯人、宮崎勤に死刑を執行されたばかりだし、巷では次は誰かなどという議論が一部に出ている。最近猟奇的、なおかつ残忍、残酷な事件が増えており、またこうした折、マスコミの偏向報道もあって、いわゆる人権派の弁護士や死刑反対論者やに対してブログやSNSのようなところでの罵倒が相次いでいる。

死刑に対する論議は人の命を扱うだけに重い。「おまえはどうなんだ?」、と聞かれると正直困ってしまう。心情的には死刑制度というものに賛成はしない、だからといって反対もできない、というのが正直な気持ちだ。いわゆる法を制定する時に、「性善説」を取るか「性悪説」を取るかという問題があり、実は法律は「基本的には」性善説を取っている。しかし人間というものが関っている限りなんでも一義的に論じるのは間違っていると思う。世の中の大多数には「性善説」はあてはまるかもしれないが、やはり例外はどこにでもいるのだ。

昨日死刑執行された宮崎勤からは最後まで被害者に対する謝罪や反省の言葉が出なかったという。
http://mainichi.jp/select/today/news/20080617k0000e040054000c.html

しかしだからといってむやみやたらに死刑を連発する風潮には危惧間を覚えるのも確かだ、来年から裁判員制度がスタートするが、一般の裁判員も判決に加わることを考えると、従来なら懲役で済んだ刑まで死刑判決になってしまうのでは、という危惧感もある。(実際世論やネット等の書き込みを見ると、そうなる可能性が高いと感じる)そういう風潮の高まりが果たして健全なことなのか、という疑問も生じる。

あといわゆる、「死刑」の次の「無期懲役刑」に間がありすぎるという議論があるが、これは私が調べた範囲ではそもそも「無期懲役」というものが世間的にかなり誤解されていることをまず抑えておかねばならない。

そもそも無期懲役刑」という刑罰そのものの性格は、刑の終期の無い、一生の期間にわたる自由刑というものであり、一般に誤解されているような単に刑期の上限を決めていない絶対的不定期の刑罰(不確定刑期)という意味ではない。ただし、現行法は、有期刑の受刑者だけでなく、無期刑の受刑者にも仮釈放(刑期終了前の条件付き釈放)の余地を認めているため現行法上、自由刑について仮釈放の可能性が存在し、年数的な最低要件として有期刑については3分の1、無期刑については10年の経過により仮釈放を許すことができる点に着目すれば、有期刑については、満期の3分の1に相当する期間を下限とし満期を上限とする不定期刑的な要素を有し、無期刑については10年を下限とする上限なしの不定期刑的な要素を有するといえる。

但しこれはあくまで10年の経過により仮釈放が可能、といっているだけで全ての無期懲役の囚人が十年で出られるという意味ではない。

ここを誤解している人がかなりいるようだ。実際には十年で出る無期懲役者など殆どいない、それどころか1990年以降は皆無といってよい。光市母子殺人事件の裁判で無期懲役なら7年や10年で出られるなんていう情報が流れたが全くのデマである。嘘だと思うなら次のデータを見て下さい。だいたい平均20年で最近は長期化している。更に仮釈放される人間も年々減っているのが実情。

無期懲役刑仮釈放者の在所期間(1990年〜)
http://www.geocities.jp/y_20_06/parole2.html

無期懲役刑仮釈放者の平均在所期間(1990年〜)
http://www.geocities.jp/y_20_06/parole-parole.html

あと仮釈放を決定するのは検察であり、当然ながら裁判等で検察の心象を悪くすれば死刑を免れたとしても仮釈放に関するハードルは高くなる。上記のリンクのデータでも50年たってもまだ釈放されない受刑者もいることがそれを証明している。また最近の傾向としてこの仮釈放のハードルを検察側がかなり高くしているのも事実のようである。

さて、以上のことを踏まえると、死刑と無期懲役とは一般に考えられているほど差があるわけではないことがおわかりだろうか。しかし問題は仮釈放を規定した「刑法28条」の改正であろう。要は「仮釈放の項目を削除するのか」あるいは「仮釈放の最低期間を延ばす」のかいずれかを考える必要はあると思う。少なくとも上記のサイトの管理人が述べているように「10年」というのは誤解のもとでもあるし、国民感情的にもそぐわないと思う。

さて、ついでに「死刑廃止論」特にいわゆる「人権は弁護士」に多く、最近はマスコミによってかなり意図的というか、悪意を感じるほどに悪いイメージを植えつけられているが、そもそも根本的な疑問、

死刑廃止論者は本当に「犯人」に優しいのだろうか?


実は私は必ずしもそうは思わないのだ。勿論弁護士として弁護する場合は立場上、全くそういう面がないとはいわないが、例えば「無期懲役」それが20年ー30年の長期に渡った場合どうなるか、そもそも刑務所なるところが「楽しい」ところであるはずがなく、データが公開されないため推測ではあるが毎年相当数の受刑者が獄死、自殺している可能性が高い、そういう環境でいわば「生き地獄」である。寧ろ一思いに殺してくれた方が楽だと思う人間も少なくないだろう。

昨日の宮崎の場合、月刊誌「創」篠田博之編集長に毎月のように手紙を書き、最後は死刑の恐怖にかられたのか自分で恩赦の嘆願書まで出してきたという、最後まで反省すらしなかった人間としては何ともはや、という感じだが実は死刑が確定してから、昨日の執行の日までが一番の苦痛の日々だったに違いない。最後になってやっと「現実」に戻ったのか、それとも「夢の中のまま」死刑になったのか、情報がわかれば聞いて見たい気もする。

しかし、この男の死刑執行によって遺族は癒されたのか、たぶん違うだろうな。それで幼い命を奪われた子供たちが戻ってくるわけじゃない。

いずれにせよ死刑というのは重い問題である。

大事なことは何でも一義的に定義するのではなく、「例外」が出た場合のオプションを用意することだ。
残念ながら 「死刑」というオプションを完全に消すのは難しい。

少なくとも今の社会の背景、状態に関して

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