KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

日本国憲法は押し付け」という改憲論

改正に強い意欲=異例の首相談話−憲法きょう施行60周年 報道を受けて

憲法記念日の今日、以前から憲法改正に強い意欲を示していた安部首相の談話が発表された。
さて、ここでまたネットウヨ君たちを刺激するかもしれないが、熱心に安部首相を始め改憲論や国家主義を支持(しているように見える)人たちに憲法の成り立ちをどこまで知っているのか問うてみたい。

まず日本国憲法の誕生についてかなり詳細に記しているものが国立国会図書館にあるので呼んでみたらいかがだろう。この内容は私はかなり信頼できる内容だと考えています。
http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html

ここで改憲論者の間で信じ込まれている日本国憲法についての事実を検証しよう。

1.日本国憲法は完全な連合国側の押し付けである

これが改憲論者が「自主憲法を制定しよう」と主張している根拠であるが、日本側が「全く自分の意思も示さず」憲法制定作業を行ったというのは以下の記述を見るとあまりに短絡的であることがわかる。少なくとも連合国GHQが「有無を言わさず」この憲法の内容を押し付けたという見解は全くの的外れである。実際にはGHQ側と日本側でかなりのせめぎあいがあったことが記述されているし、特に毎日新聞が日本政府側の作った憲法草案を批判したことがきっかけでGHQと日本政府側のやりとりが激しくなったことが描かれている。最終的にはGHQの草案に基づいた内容で法制局の入江俊郎次長と佐藤達夫第一部長が中心となって現行の憲法に近い日本政府案が作られていたことがわかる。むしろ日本の憲法の内容に干渉しようとした米英ソによる極東委員会(FEC)の影響をマッカーサーが極力排除しようとしたことが描かれている。
http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/03gaisetsu.html

確かに現在の日本国憲法GHQの草案と意向が反映しているのは事実であるが、その受け入れを検討したのは日本政府側と政府案の作成を行った法制局であり、憲法の内容が「連合国側に一方的に押し付けられた」と解釈するのは無理がある。まして連合国極東委員会の影響を最小限にしたのは誰あろうGHQマッカーサー自身である。
 とはいえ、GHQの草案はある程度連合国側の極東委員会の「新憲法採択の諸原則」とほぼ同一のものであったことがわかっている。その内容は、先に米国政府が作成した「日本の統治体制の改革」(SWNCC228)を基礎とするものであった。その後GHQは、極東委員会の意向に沿う形で改正案の修正を日本政府に働きかけ、その結果、主権在民普通選挙制度、文民条項などが明文化されるに至ったことも事実ではある。この点が現行の憲法を「押し付け」とする人たちの根拠かもしれないが、作成作業に日本政府や法制局が全く関与していないと考えるのは誤りである。

2.日本国憲法は日本側の正式な手続きなしに決められた

驚くべきことだが改憲論者の中にこれを本気で信じ込んでいる人たちが少なくない。だがこの憲法は悪名高き枢密院をはじめ帝国議会における審議を通して行われていることが記されている
http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/04gaisetsu.html

またこの憲法に関する審議は当時の帝国議会でもあなり活発に議論が行われた。
http://www.ndl.go.jp/constitution/ronten/01ronten.html

該当場所を以下に引用する

「4 日本政府案の作成と帝国議会の審議
GHQ草案をもとに日本政府が作成した「3月2日案」は、前文を置かず、また、第1条に「国民至高ノ総意」という文言を用いて、主権が国民にあることがあいまいにされていた。GHQとの交渉の結果、前文が復活し、第1条は、ほぼGHQ草案の形に戻されたが、「国民至高ノ総意」の文言は維持された(「憲法改正草案要綱」)。

衆議院での審議では、天皇の地位と国体の変更について、金森徳次郎国務大臣は、変更されたのは「政体」(天皇を中心とする政治機構)であって「国体」(天皇をあこがれの中心として国民が統合していること)ではない、と答弁した。このため、ケーディス民政局次長は、金森の答弁が非常に不明確で判り難いとして説明を求めた。金森は、「国体」について文書で説明した(「金森6原則」)。さらに、ケーディスから前文または第1条で国民主権を明確にするよう要請された結果、衆議院で、前文を「主権が国民に存することを宣言し」、第1条を「主権の存する日本国民の総意に基づく」とする修正が行われた。

貴族院の審議でも、衆議院と同様、国体の変更、主権の所在について論議が集中した。この問題は、憲法改正案を審議した帝国議会だけでなく国民各層の間でも活発に議論され、憲法制定時における最大の争点となった。それはまた、憲法制定後も、「国民主権象徴天皇制」の問題として議論の対象となってきた。 」


確かに当時は(日本国憲法制定以前は)国民の声が政治に反映される場面は殆どなかった。そのため憲法に関する国民投票というのは行われていないし、それを持って「日本人による憲法ではない、という意見もあるかもしれない。しかし現行の日本国憲法を100%押し付けというのはあまりに短絡していると思う。何よりも仮に「主権在民」「戦争放棄」という概念を「押し付けられた」にしてもそれがそんなに苦痛なのだろうか?

日本を「普通に戦争できる国にしたい」と考えている人が増えている。特に若い世代を中心に増えているが、実際の戦争に美しい部分なんか一つもないってことをイラクあたりに行って、自分の目で確かめてみればいかがであろう。 自分のアイデンテイテイを求めるにしても安易な国家主義ではなく自分の能力や個性自身を見つめなおすことに重点をおかれた方がいいように思う。単純明快な思想に走るのは思考停止ではないだろうか

(元Yahoo日記掲載)

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