KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

コラムー高いコストパフォーマンスと安物

■田中元社長ら詐欺で追送検=「利益上げるため」取引先だます−ミートホープ偽装
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2007110700675

ミートホープ程度の会社だけではない。
赤福
御福餅に基準超す細菌消費期限内で検出
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/akafuku_gisou/

船場吉兆
船場吉兆の誤表示、岩田屋指摘せず…「消費期限」を「賞味期限」
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_07110302.htm

といった歴史のあるブランド企業までが事件を起こしている。これ以外にも北海道の白い恋人も記憶に新しい

 実は私は音楽家であると同時にしがない制作会社の経営者でもある。実はここに最近の音楽だけでなく日本の経済の面で大きな問題が介在していると考えるからである。これらの事件の背景にある問題を考えると決して対岸の火事だとは思えない。

 今日本はかつての高度成長時代いざなぎ景気を超える景気回復だと政府はうそぶいている。しかしそれが単に数字上でいかに実態のない、もっとはっきりいえば嘘と一般庶民の多大な犠牲によってその数字が出ているかを説明しよう。

 現在の景気回復は小泉政権時代の竹中金融大臣のいわば「日本経済のグローバルスタンダード化」の政策による肥大化した経済格差とデフレ後に不良債権の引当金が銀行にもどりその金がIT層始め一部のところに集中しそれが見かけ上景気を上げているに過ぎない、と経済評論家の森永卓郎氏は指摘している。そのデフレも竹中元大臣が「わざと」引き起こし格差社会を作ったという。要するに彼は日本をアメリカと全く同じ社会にしたかったようである。金持ちはますます裕福になり貧乏人はますます貧乏になる、高級官僚も退官後は王様のような暮らしをしているアメリカを見て日本もこうあるべきだと考えていたようだ(自分も元官僚だから)

 当時はまだITバブルの雰囲気もあったためか、竹中元大臣はマスコミによって「改革派」の権化のようなレッテルを貼られ竹中氏の政策を批判する人は全て「抵抗勢力(=保守派、守旧派)」という例によってマスコミがよくやる黒でなければ白といった「白黒ジャーナリズム」の報道で国民のかなりの層が「洗脳」されてきた。(同じ頃のちょうど堀エモン=社会の改革派、フジサンケイのH枝氏=守旧派といった単純な図式がかけめぐったのも記憶に新しい)

 その結果、「勝ち組」と「負け組」の大きな格差、大量の「ワーキングプア」の出現、大企業の業績は良くてもその下請けは経営難に喘いでいる状態が出現した。これが「グローバルスタンダード」がよいと考える人たちの理想社会らしい。結局は「グローバルスタンダード」=世界をアメリカと同じ社会にするという意味に過ぎないのだが...

 特にデフレが長く続いたことは日本の産業に実は目に見えない形での深刻な打撃を与えた。いわゆる価格破壊によるデイスカウントチェーンの業績が大きく成長した反面、「コストは際限なく下がる」といった錯覚を生んだ。実際私もCD業界ではなくとある商品をコンシューマー市場で売り出そうとしたことがあるがコスト要求は本当に凄まじい。まず価格の半額から始まり、のっけから凄まじいほどの値段のたたきあいが始まる、最後は一円二円の攻防になる。

 そうした現状から今とくに一般コンシューマーの市場はある程度薄利多売の世界にならざるを得ない、各メーカーコスト的なかなりギリギリの運営をやらざるを得ない状況になっている。そうした中で利益を出すためにミートホープを始め赤福や吉兆といった歴史ある会社までが「市場の状況に対応」という名目で自らの看板を汚すような製品作りに走ってしまったのである。

 別にミートホープ赤福を擁護するつもりは毛頭ないが、最初はコストパフォーマンスを向上するために各会社もかなりの企業努力をしたのだと思う。しかし市場の「際限なきコストダウン要求」によってどこか歯車が狂ってしまい、特にミートホープにようなとんでもない製品作りまでエスカレートしていったというのが実態だと思われる。

 コストパフォーマンスを高くするー無駄をなくし効率化を促進するーこと自体は必要なことである。これは私のいる音楽業界は勿論、どの業界ー特にメーカーーであればやっているはずである。しかしこの場合は「最低限のクオリテイを保つ」というのが条件となる。
 しかし「安物」というのはクオリテイに関係なく「ただ安い」だけである。私は最近の状況を見るにつけ「高いコストパフォーマンス」と「安物」を多くの人間が混同しているような気がしてならない。この両者はいうまでもなく全く違うものである。

 消費者にとっては商品が安いのを好むのは事実であろう。しかし消費者は決して「安物」を望んでいないはずである。そこには「最低限のクオリテイを保つ」のが当然という大前提がある。それが長いデフレが続いた関係で、「コストは際限なく下がる]という幻想に取り付かれた業者(主に流通業者や代理店)の圧力によっていつのまにか両者を混同してしまったのではないだろうか?
 
 勿論下請け業者にも問題がある。結局「仕事欲しさ」に多少むちゃくちゃなコストダウン要求でも受けてしまうのだ。その経済環境の中で利益を出そうとしたら確かにミートホープのような会社も出てきても不思議ではない。そうした業務を発注している会社にも責任の一端はあるといえる。

 私の会社は音楽だけでなくコンテンツ制作、CD製作(パッケージ製作)等さまざまな業務をこなしているがご他聞にもれず現在でも激しいコストダウン要求にさらされている。正直うちとして「市場状況に対応」すべくかなりムチャクチャな内容の「安物路線」の仕事も受けていた時期があったのは事実である。
 しかしうちの会社は結局それをやめてしまった。なぜならそういう「安物」作りは結局自分の会社のレベルを落とすことに他ならないと気づいたからである。そして一度「安物業者」のレッテルが貼られるとそこからレベルを上げるのは至難の業である。私の会社はいかなる業務内容でもあくまでプロの会社として「最低限のクオリテイを保つ]方針でいる。そのためクライアント様にはその「最低限のクオリテイ」を保つための予算をお願いしています。内容をきちんと説明すれば結構理解してくれる場合が多いですよ。
 そしてその「最低限のクオリテイ」を保つための予算がどうしても出ない場合は弊社からお断りをしています。なぜなら自分の会社として、プロとして仕事のクオリテイは落としたくない、落としてはならないと考えているからである。いくら仕事が欲しいとはいってもプロとしてのプライドは捨ててはいけない

  安請負いは一時的には売り上げが上がるかもしれないが長い目でみれば自殺行為である。もし「仕事欲しさ」に安いギャラで仕事をしても、ある時期にギャラや予算を上げることを要求したとたん、おそらく今までの会社から二度と発注が来ないと考えた方がいい。残念ながらそれが現実である。

長いデフレは日本の産業構造を著しく歪めてしまった。大企業は数字的にはリストラ等もありかなりの利益が出ているが、その下にいる業者、「派遣」や「準社員」に甘んじなければならない人たちは逆にデフレ前より苦しい生活を強いられている。特に日本の産業構造を支えてきた中小企業へのしわ寄せは深刻である。(ついでにいえば一部の若手企業家の中に「もの作り」を旧態依然の産業と決め付け、そうしたもの作りに従事する人たちにあまり敬意を払わない人間がいるがそれはとんでもない思い違いである。こういう人間には成功して欲しくないものである)

  繰り返すが消費者もクライアントも決して「安物」を望んではいない。値段を下げることによってクオリテイが下がることを望んではないのだ。コストパフォーマンスはどんなに技術が発展しても限度がある。赤福や吉兆といった伝統ある会社までが結果として「安物」を作っている事実がなによりもコストパフォーマンスの向上にもはや限界を超えていることを証明している。
 それでもまだ「際限なきコストダウン要求」を続けたいのならば「安物」をつかまされるリスクが高くなることを覚悟すべきだろう。

■田中元社長ら詐欺で追送検=「利益上げるため」取引先だます−ミートホープ偽装
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2007110700675

ミートホープ程度の会社だけではない。
赤福
御福餅に基準超す細菌消費期限内で検出
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/akafuku_gisou/

船場吉兆
船場吉兆の誤表示、岩田屋指摘せず…「消費期限」を「賞味期限」
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_07110302.htm

といった歴史のあるブランド企業までが事件を起こしている。これ以外にも北海道の白い恋人も記憶に新しい

 実は私は音楽家であると同時にしがない制作会社の経営者でもある。実はここに最近の音楽だけでなく日本の経済の面で大きな問題が介在していると考えるからである。これらの事件の背景にある問題を考えると決して対岸の火事だとは思えない。

 今日本はかつての高度成長時代いざなぎ景気を超える景気回復だと政府はうそぶいている。しかしそれが単に数字上でいかに実態のない、もっとはっきりいえば嘘と一般庶民の多大な犠牲によってその数字が出ているかを説明しよう。

 現在の景気回復は小泉政権時代の竹中金融大臣のいわば「日本経済のグローバルスタンダード化」の政策による肥大化した経済格差とデフレ後に不良債権の引当金が銀行にもどりその金がIT層始め一部のところに集中しそれが見かけ上景気を上げているに過ぎない、と経済評論家の森永卓郎氏は指摘している。そのデフレも竹中元大臣が「わざと」引き起こし格差社会を作ったという。要するに彼は日本をアメリカと全く同じ社会にしたかったようである。金持ちはますます裕福になり貧乏人はますます貧乏になる、高級官僚も退官後は王様のような暮らしをしているアメリカを見て日本もこうあるべきだと考えていたようだ(自分も元官僚だから)

 当時はまだITバブルの雰囲気もあったためか、竹中元大臣はマスコミによって「改革派」の権化のようなレッテルを貼られ竹中氏の政策を批判する人は全て「抵抗勢力(=保守派、守旧派)」という例によってマスコミがよくやる黒でなければ白といった「白黒ジャーナリズム」の報道で国民のかなりの層が「洗脳」されてきた。(同じ頃のちょうど堀エモン=社会の改革派、フジサンケイのH枝氏=守旧派といった単純な図式がかけめぐったのも記憶に新しい)

 その結果、「勝ち組」と「負け組」の大きな格差、大量の「ワーキングプア」の出現、大企業の業績は良くてもその下請けは経営難に喘いでいる状態が出現した。これが「グローバルスタンダード」がよいと考える人たちの理想社会らしい。結局は「グローバルスタンダード」=世界をアメリカと同じ社会にするという意味に過ぎないのだが...

 特にデフレが長く続いたことは日本の産業に実は目に見えない形での深刻な打撃を与えた。いわゆる価格破壊によるデイスカウントチェーンの業績が大きく成長した反面、「コストは際限なく下がる」といった錯覚を生んだ。実際私もCD業界ではなくとある商品をコンシューマー市場で売り出そうとしたことがあるがコスト要求は本当に凄まじい。まず価格の半額から始まり、のっけから凄まじいほどの値段のたたきあいが始まる、最後は一円二円の攻防になる。

 そうした現状から今とくに一般コンシューマーの市場はある程度薄利多売の世界にならざるを得ない、各メーカーコスト的なかなりギリギリの運営をやらざるを得ない状況になっている。そうした中で利益を出すためにミートホープを始め赤福や吉兆といった歴史ある会社までが「市場の状況に対応」という名目で自らの看板を汚すような製品作りに走ってしまったのである。

 別にミートホープ赤福を擁護するつもりは毛頭ないが、最初はコストパフォーマンスを向上するために各会社もかなりの企業努力をしたのだと思う。しかし市場の「際限なきコストダウン要求」によってどこか歯車が狂ってしまい、特にミートホープにようなとんでもない製品作りまでエスカレートしていったというのが実態だと思われる。

 コストパフォーマンスを高くするー無駄をなくし効率化を促進するーこと自体は必要なことである。これは私のいる音楽業界は勿論、どの業界ー特にメーカーーであればやっているはずである。しかしこの場合は「最低限のクオリテイを保つ」というのが条件となる。
 しかし「安物」というのはクオリテイに関係なく「ただ安い」だけである。私は最近の状況を見るにつけ「高いコストパフォーマンス」と「安物」を多くの人間が混同しているような気がしてならない。この両者はいうまでもなく全く違うものである。

 消費者にとっては商品が安いのを好むのは事実であろう。しかし消費者は決して「安物」を望んでいないはずである。そこには「最低限のクオリテイを保つ」のが当然という大前提がある。それが長いデフレが続いた関係で、「コストは際限なく下がる]という幻想に取り付かれた業者(主に流通業者や代理店)の圧力によっていつのまにか両者を混同してしまったのではないだろうか?
 
 勿論下請け業者にも問題がある。結局「仕事欲しさ」に多少むちゃくちゃなコストダウン要求でも受けてしまうのだ。その経済環境の中で利益を出そうとしたら確かにミートホープのような会社も出てきても不思議ではない。そうした業務を発注している会社にも責任の一端はあるといえる。

 私の会社は音楽だけでなくコンテンツ制作、CD製作(パッケージ製作)等さまざまな業務をこなしているがご他聞にもれず現在でも激しいコストダウン要求にさらされている。正直うちとして「市場状況に対応」すべくかなりムチャクチャな内容の「安物路線」の仕事も受けていた時期があったのは事実である。
 しかしうちの会社は結局それをやめてしまった。なぜならそういう「安物」作りは結局自分の会社のレベルを落とすことに他ならないと気づいたからである。そして一度「安物業者」のレッテルが貼られるとそこからレベルを上げるのは至難の業である。私の会社はいかなる業務内容でもあくまでプロの会社として「最低限のクオリテイを保つ]方針でいる。そのためクライアント様にはその「最低限のクオリテイ」を保つための予算をお願いしています。内容をきちんと説明すれば結構理解してくれる場合が多いですよ。
 そしてその「最低限のクオリテイ」を保つための予算がどうしても出ない場合は弊社からお断りをしています。なぜなら自分の会社として、プロとして仕事のクオリテイは落としたくない、落としてはならないと考えているからである。いくら仕事が欲しいとはいってもプロとしてのプライドは捨ててはいけない

  安請負いは一時的には売り上げが上がるかもしれないが長い目でみれば自殺行為である。もし「仕事欲しさ」に安いギャラで仕事をしても、ある時期にギャラや予算を上げることを要求したとたん、おそらく今までの会社から二度と発注が来ないと考えた方がいい。残念ながらそれが現実である。

長いデフレは日本の産業構造を著しく歪めてしまった。大企業は数字的にはリストラ等もありかなりの利益が出ているが、その下にいる業者、「派遣」や「準社員」に甘んじなければならない人たちは逆にデフレ前より苦しい生活を強いられている。特に日本の産業構造を支えてきた中小企業へのしわ寄せは深刻である。(ついでにいえば一部の若手企業家の中に「もの作り」を旧態依然の産業と決め付け、そうしたもの作りに従事する人たちにあまり敬意を払わない人間がいるがそれはとんでもない思い違いである。こういう人間には成功して欲しくないものである)

  繰り返すが消費者もクライアントも決して「安物」を望んではいない。値段を下げることによってクオリテイが下がることを望んではないのだ。コストパフォーマンスはどんなに技術が発展しても限度がある。赤福や吉兆といった伝統ある会社までが結果として「安物」を作っている事実がなによりもコストパフォーマンスの向上にもはや限界を超えていることを証明している。
 それでもまだ「際限なきコストダウン要求」を続けたいのならば「安物」をつかまされるリスクが高くなることを覚悟すべきだろう。