KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

日本史から見る日本人のブランド観

連休中だし、今割りと落ち着いているので普段とは違った話題をこのブログに書いて見ようと思う
息抜きを兼ねたつぶやきだと思ってください

皆さんは自分のルーツって考えたことがあるだろうか?
日本人って割と家系図とか殿様の末裔がどうしているといった類の話が好きだが。私の大学の先輩にも一人大名の末裔がいる。久留米有馬藩の末裔でおじいさんが有馬頼寧氏で競馬の有馬記念の創設者、お父さんの有馬頼義氏は第31回直木賞作家というサラブレッドである。その先輩、現在はどういういきさつか水天宮権爾宜で神主をされているようで、ご活躍されているようでなによりである。その先輩とは今でも年賀状のやりとりをしている。

まあそういう家柄はそれはそれでいろいろと大変だろうと思う。幸いにして私のルーツなどたいしたことない
どうでもいいことと思う人もいるだろうが、せっかくなので現在わかっている範囲で書こう。

私の父親の実家は新潟市で豆腐業を営んでいた(現在は廃業)代々商家で祖先は茅野屋といった。茅野屋というと長野県諏訪市が本拠だと思うが何らかの関係で新潟市にたどりついたのだろう。ただ事業は必ずしも芳しくなかったようである。
明治時代に入り、越後藩の大倉氏と茅野屋との縁談が成立しその期に茅野屋から双方の姓一文字を取って現在の「大野」となった。したがって和歌山ー奈良方面もしくは東京の板橋、練馬方面に大野という姓が多いがその「大野」さんと私は全く無関係である。 この大倉氏というのがどういう家柄だったのかについてはわからないが、越後藩ではそれなりの家柄だったようだ。どうやら実態は事業が思うように行っていない茅野屋が「ブランド」を手に入れるために大倉氏と結びつき、大倉氏は廃藩置県で食い扶持を失ったため食うために商家と「政略結婚」をした、ということらしい。どうやら明治の中期辺りには割りとそういうことが行われていたらしい。
現在の大野家の宗家はこれから6代目に当る。現在の当主は新潟市で団体職員をしているが、法事等で接触がある程度。父親が他界した今では疎遠になっていく運命にある

ちなみに私の母方についてわかっている範囲でいうと元会津若松藩士戊辰戦争で旧三島郡寺泊町(現在の長岡市寺泊町)に落ち延びてきたらしい。云ってみれば賊軍だったわけだが、詳しい話はわからないが寺泊海戦(もう1つの会津戦争ー寺泊沖海戦:http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20130625参照のこと)で会津藩桑名藩士が搭乗していた順動丸が薩長の軍艦に撃沈され、寺泊に乗り上げた後その地に定住したらしい。

また音楽の血はどうやら母方かららしく祖母は三味線の名手だったし大叔母が月子という民謡歌手としては少しは知られた存在だった。2005年その月子さんは94歳の天寿を全うしたが葬式には出身地の新潟県寺泊市の市長も出席しているくらいの人だった。母も若い頃は三味線をやっていた、私は和の古典楽器ではなくピアノの方にいってしまったが...

そこでこの「賊軍」ということにスポットを当ててみたい。

日本の歴史を振り返ってみると天皇が味方するかどうかで全てが決まっている。平安時代以降この傾向が強い。源氏が鎌倉幕府を開いたのも一応形式上は天皇が味方したからだが、しかし後の承久の乱のように天皇が3人も配流される事件があることを見るとまだ現在のような絶対的な権力、ブランドだったかどうかはわからない。但し天皇のお墨付きという名目は必要だった。天皇が実際に親政したのは奈良飛鳥時代までで平安時代以降は、形式上の認可をするのみに既になっていた。この辺りから天皇が味方すれば「官軍」天皇の敵は「賊軍」というようになったようだ。

鎌倉幕府が滅んだのも後醍醐天皇の綸旨があってこそ、その綸旨が出た瞬間北条氏は「賊軍」となり足利新田連合軍に滅ぼされるきっかけとなった。その後の南北朝などはいずれも自分が「官軍」であることを主張しているというややこしい事態となった。ちなみに南朝をいまだに正統な流れとしているがそれは後の権力機構が南朝後醍醐天皇と楠正成の浪花節的な忠義話が権力にとって都合がよかったための方便に過ぎない。現在の天皇は実は北朝の流れなのだから、こんなまやかしをいまだに押し通しているのは不思議である。

しかしいずれにせよ天皇は「誰の味方か」これによって歴史は決まっていった。江戸時代は勿論、明治維新にせよ薩長同盟天皇を味方にしたことによって「官軍」になれたのだ。戊辰戦争薩長が菊の錦の御旗を掲げただけで幕府に味方した諸藩は戦意を喪失した。それだけの力があったのだ。

現在もテレビ等で皇室に関する関心は高い。これは何故かいろいろ考えてみるとおそらく天皇というのは日本人が殆ど唯一持っている「絶対的なブランド」だからではないだろうか? 日本人のブランド好きは有名だが殆どは海外のもの、Gucci Chanel etc etc、しかし皇室だけはとりあえず日本のものである。しかも確かな所では奈良飛鳥時代からは確実につながっている。(現在の資料では雄略天皇が歴史上確実に存在が確認されている天皇である) ギネスにも載るくらい世界でも稀有な存在であることは確かだ。それが日本人に対して大きな影響を与えているようだ

人によってはそのため天皇のブランドそのものが自らのアイデンテイテイであるかのような意識を持っている人がいる。だから天皇にまつわる話だと感情的になる人がいる。そういう人たちは私の理解の範囲を超えた人たちだがあまりこの点に触れると過激な反応やテロ行動などを起こしかねない人間もいるのでこの辺にしておく。

ただ私が危惧するのは海外でブランド品を買いあさる人たちも天皇をいまだに神のようにあがめ、天皇の存在自体を自らのアイデンテイテイであるかのように考える人たちも自分以外の他人に脳みそを預けているという点では同じではないかという点である。それは思考停止そのものであり、権力機構にいとも簡単に操られてしまう危険性がある。最近の関西テレビの納豆の捏造問題で納豆が店から消えたなんていう現象も、「単純明快(に見える)答え」を鵜呑みにしてしまい、脳みそをメデイアに預け、実質的に思考停止が行われている点では同じである。これらは非常に危険なことであり世の中を間違った方向に導く可能性がある。

いずれにせよ皇室が日本が古来から持っているブランドであることは事実である。しかし以前ほどではないにしろ先ほどの有馬家の話ではないが、日本に昔からある名家もある種ブランドであろう。

話を戦国時代に戻すと下克上が盛んだった戦国時代では自らの家系を「ブランド化」するために家系図のでっちあげが盛んに行われた。だいたい源氏、平氏藤原氏のいずれかだがその大半は怪しいものである。特に藤原氏でもいわゆる魚名流の藤原氏は不明な部分が多いだけによく利用された

ちなみに藤原魚名藤原北家藤原房前の五男で謀反に連座したとかで配流され、地方に子孫が散らばったという、その子孫が平将門の乱を平定した藤原秀郷といわれそこからいくつかの家が分立したというが実際どのくらい分立したのかまだよくわかっていない。伊達氏、上杉氏などはこの流れのようだがこれも実際のところどうなんだろうか?

もっとすごいのは徳川家康だ。一応新田氏の流れを組む世良田親氏を祖としていて、この親氏の流れは得河を名乗っていたというが、家康は何回か「藤原家康」とも称している。新田氏の子孫と認められたのは幕府を開く頃だというからかなり怪しい。実際この世良田親氏なる人物の実在がまだ確かめられた訳ではないし、仮に実在していたにしても源氏とは名ばかりの乞食坊主だったろう。いずれにせよ戦国のように下克上が激しい時代はそうした方法で自らの「ブランデイング」を行うしかなかったのである。

ちなみに現在の企業社会もある意味戦国時代に似ている。名家のような「ブランド」とて下克上で滅ぼされる可能性はある。実際私たちは既に大手有名企業の倒産を数多く見てきた。現代ではIT系や新興のベンチャーがいわば自らを「ブランデイング」するためにさまざまなことをやろうとしているが、しかしあざとい方法だけはしないようにして欲しいものだが...

結局特に日本の場合はそうなのかもしれないが「ブランデイング」をいかにするかということでしのぎを削らなくてはならないということだろう。自分のルーツの話から結局「ブランド」という話に発展してしまった。結局いつの時代の日本人の考えることは同じなのだろうか。だが「ブランド」というもので過剰に判断するのは先ほども言ったとおりある種思考停止になるのではないだろうか? もう少し自分で自分なりに価値を判断するという習慣を日本人は身につけてもよいのではないだろうか? 今日は建国記念日ということもありこんなことも考えてみました