KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

「空気を読む」日本人の習慣が「サラリーマンロボット」を量産ーいずれAI時代に駆逐される運命

[空気をよむ」ことの危険

日本人の会話の中によく出てくるのが「空気読めよ」という言葉

「あいつは空気よまない奴だ」とひとたび思われると一般的にはその人間の所属もしくは参加している集団から疎外されいずれ追放されてしまう。

「空気を読む」というのはその場の雰囲気やその場にいる人たちの考え方をくみ取るということだが、これは日本人独特の言い回しで正直これを翻訳や通訳する時には非常に困る。これを適切に表現した言葉が見当たらないのである。というよりそもそも欧米には日本人のように「空気を読む」なんて風習はない。だからこれを説明しても欧米人には理解できないものなのだ。

「空気を読む」というのは周囲の雰囲気に同調する、その場にいる人たちの考えを読み取りそれに従う、ということで平たくいえば同調圧力を加えられているということである。

元々日本人はそういった同調圧力付和雷同する傾向はあった。戦前の軍国主義の時代はまさにそれが顕著に表れた時代だった。

そして今、まさにその時代に今の日本人は極めて近くなっている。

戦後の日本人は「同調圧力」の極めて強かった戦前を嫌い、各々が反発心をもって行動した。そして第二次大戦の瓦礫から復興のために死にもの狂いで働いた。

そうした海外からは「ひたすら働く国民=エコノミックアニマル」などと揶揄されていた。

エコノミックアニマルからサラリーマンロボットへ

だが今思うと「エコノミックアニマル」の方がまだマシだったかもしれない。なぜならアニマル=動物でも自分の意思の表示はきちんとしていたからである。

今は違う、「自分の意思表示」を行うと「空気を読め」という同調圧力が起き、結果最近の日本人はこうなった、

1.自分の意見をいわない、もたない

誰一人発言せず、上司から部下への指示しだ出さない意味のない「会議」や一部の企業では部下が上司に意見や見解を述べるのは半ばタブー化している

2.「思考停止」で」ただ上司のいうことを盲目的に従う

考えるのが「面倒くさい」と考える日本人がふえている。上司のいうことを例え間違っていても盲目的に従う

3,他人から命令されないと何もできない、問題が起きても他人事で自分で解決策を考えることができない(思考停止だから)

自分で自発的に企画したりものごとを作る、という発想がない(寧ろ「空気を読まない奴」として忌み嫌われる。問題が起きても自分の問題であるとすら理解できなくなっている

 

つまりこれはあたかもプログラムされたロボットと同じだ。自分の意思すら満足に表明できない それが今の日本人だ

これは今 サラリーマンロボット という風にいわれている。そう自分の意思すら満足に表示できない、動物以下の存在である。

参考記事

cinemacinema.blog.so-net.ne.jp

とりわけ今安倍政権の支持層の主流となっているといわれる「ミレ二アル」「さとり世代」には以下の傾向があるといわれる

1.強いものにひかれ、今ある現実を受動的に肯定する。変化を極端なほどに忌み嫌う

2.異論や反対することを極端に嫌う。他人と違う意見を述べることはよくないことだと考える

*(とりわけ「さとり世代」に顕著)他人からいわれないと、命令されないと何もしない、自分で自発的に企画したりものごとを作る、という発想がない

4.極端なほどの没個性。「他人と違う」ということを嫌う、自分と異質な人間を受け入れない。同調圧力に極端に弱い

*(とりわけ「さとり世代」に顕著)何か問題が起きても自分が当事者なのに他人事のようにふるまう。自分のやったことに責任を持とうとしない

勿論20-30代前半の全てがこれに当てはまるとは思わないし、そうでないことを心から祈っている。だが残念ながらこの傾向は20-30代前半だけでなく日本人全般にこの傾向が出てきているような気がする。

勿論今のサラリーマン全員がサラリーマンロボットだというつもりはないし、心の底からそうでないことを祈るが、私がみたところ現在のサラリーマンのかなりの割合の人がサラリーマンロボットとなっている可能性が高いとみている

はっきりいえば日本中にサラリーマンロボットがあふれ、思考停止の人間がふえたから日本は先進国から後進国に転落したのだ。(もっともそのことすら気が付かない人が多いようだが)

ITの時代からAI(人工知能)の時代になればサラリーマンロボットはどうなるか

結論からいって人間の「サラリーマンロボット」はもはや無用の長物になる。給料を支払うだけコストがかかるが、AI(人口知能)で全てそれが代用できるのなら普通の経営者ならAIを選ぶであろう、

つまり自分で自分の意思を表明できない、自分でものごとを考えない「思考停止」-他人と違うことを極端に嫌うような没個性的なサラリーマンロボット君はいずれ、「今までご苦労さん。これからこのAIロボットが君の変わりに仕事してくれるから、明日から会社来なくていいよ」といわれる運命にある。

これは10年後か、20年後かわからないが、必ずそういう時代が来る

その時に「サラリーマンロボット」としての生き方を選んだあなた。あくまでもその生き方に固執しますか?

生き残れればラッキーだが、その可能性はかなり低いといっていいだろう。組合だってかつてのように守ってなどくれない。

非常にきついいい方をするが、職場の空気ばっかり読んで、周囲の眼ばかり気にして自分の意見も考えることもしない人は自分の意思がないだけ動物以下であり機械であるAIにも劣る存在なのだ。

空気読むことを放棄することを推奨

 それを防ぐのはただ1つ

先程述べた5つの傾向の真逆をすればいい。

 1.現実を受動的に肯定し、変化を忌み嫌う × 

→ 絶えず「これでいいのか」と考える、新しいことに果敢に挑戦する

2.他人と違う意見を述べることはよくないことだと考える  ×

→ 他人と意見交換して多様な意見や見解を受け入れる、そのことによって視野も広がり、自分の意見というものを構築できるようになる。

3.他人からいわれないと、命令されないと何もしない  ×

→ 企業もバカではない。自分から企画したり仕事を積極的に引っ張る人に仕事をどんどん任せ、組織の重要な存在にあなた自身がなっているはずである。逆にあなたのそういう行為を非難したり咎めたり、妨害するような会社は10年後会社として生き残っている可能性は極めて低いのであなたの方から見放した方がいい

4.他人と違うことを極端に嫌う。没個性でいること  ×

→ 人はそれぞれ違った環境で育ち、志向性や考え方が違う方が当たり前なのだ。よくネットで自分と意見が違うというだけで激昂するような人がいるが、そういう人は可哀相な人なので相手にせずスルーすべきである。

5.何をやっても他人事  ×

→ よく会社で「そんなことして君は責任取れるのか?」などという上司がいるがそれはダメな会社である証拠だそもそも上司や経営者は責任を取るのが仕事なのだから。それをしたくない人間が幹部の多数の会社に将来性などない、そんな会社なら逆に見捨てよう。

どんな仕事を自分で責任をもって仕事することで信用を勝ち取ることができる。これさえあればAI時代でも恐れるに足りない

つまり ひとことでいえば

空気を読む ということをやめる 

そして自分の意思をきちんと持つ  ということである。

ロボットでもない、動物でもない

私達は人間なのだから

 

近日中に複数あるブログをどれかを閉鎖します。全部閉鎖するかもしれません

かつて私は熱心なブロガーだった。

今4つのブログをやってる

■音楽ブログ 
 

kyojiohno.cocolog-nifty.com

■一般社会ブログ(音楽以外の社会ブログー当ブログ)
http://kyojiohno.hatenadiary.com/

それと経営している会社の新着情報

■ハイブリッドミュージックビジネスダイアリー
 

kyojiohno.cocolog-nifty.com

 

管理しているFacebookグループのブログ
Facebookグループ「エンタテインメント業界キャステイング」公式ブログ
 

kyojiohno.cocolog-nifty.com

さすがにやりすぎだと自分でも思う。

下の2つのブログー「■ハイブリッドミュージックビジネスダイアリー」と「Facebookグループ『エンタテインメント業界キャステイング』公式ブログ」は業務告知を目的としているのと、更新頻度も少ないし宣伝ツールとしての機能もあるのでやめなくてもいいが、問題は私の音楽ブログ と当ブログだ。どちらのブログも記事数は1000を超えている、いらなくなっている記事もあるが、とにかくさすがに更新がくたびれてきた。どちらかもしくは両方やめるかを現在検討中

社会一般についてのブログは安倍政権が倒れるまで続けようと思ってたがあの頭の悪い首相の政権をいまだに倒せないのが情けない。その前に私が息切れしそうだ。日本人の劣化、無関心、政治民度の呆れるほどの低さのなせるわざである。

またブログを始めたのは2006年辺り。
あの頃と比べたらSNSも社会的影響力が強くなってきた。
一方「ブログ」と名のつくサイトは星の数ほどありかつてのような情報拡散力が低くなった。今更新しても影響力は低い。
そろそろ潮時なんだろうと思う。


SNSもそうだが、何よりも仕事が忙しいと更新ができない

やはりネットは暇人のもの、ということを実感する。

ということでブログ更新がしんどくなってきたのでtwitterの方に軸を移そうかなとも思っている。Facebookの方は変わらないですよ
twitterは私のフォロワー数見ればわかるようにインフルエンス力など0に等しい。
まあだから気楽につぶやけるんだけどね。
実はいいたいことを140文字にまとめるのにいつも苦労するんだが、ブログ更新よりはエネルギーが少なくて済むのでツイートが増えるでしょう

というわけでFacebookの友達で私のtwitterフォローしていない人が大多数だと思うのでよろしければフォローして下さい

よろしくです.

twitter.com

 

千葉の災害で「小泉進次郎の応援団」と化し、報道の責務を殆ど果たしていない日本のマスコミ

ネットでは既に大騒ぎになっているが、千葉の台風被害は私達の想像をはるかに超える深刻なもののようだ。それに対してマスコミの千葉災害(といっていいはずだ)に対する報道が殆どないことが批判を読んでいる。

matome.naver.jp

さてさる人からこれに関して地上波テレビの報道があったという指摘があった。私はふだんテレビを見ない人間だがその私が見た6時の民放ニュースと7時のNHKに関しては千葉の停電の状況には触れていたものの、あの伝え方では今ようやく明らかになってきた被害の深刻さはとうてい伝わらないだろう。少なくとも今回の千葉が「甚大災害指定」するレベルのものであるという風に感じた人は私が見た6時に民放ニュースと7時のNHKニュースの報道を見て殆どいなかった、といっていいだろう。

この状況は一度や二度どこかの番組で報道したから報道の責務を果たしている、などといえる内容のものだろうか?

実際本腰入れて報道し始めているように見えたのは災害発生から3日後の12日の木曜日である。マスコミは本来情報伝達のプロのはずである。それ以前に何度この件に関して報道したのか知らんが一般庶民に千葉県の惨状が殆ど伝わっていない状況をみればこれは「報道していない」のと実質的に同じである。

 

johosokuhou.com

その代りマスコミがやったのは安倍内閣改造で小泉進次郎の入閣でまるでマスコミ全体がまるで自民党小泉進次郎の応援団と化した異常ぶりを見せたことだ。これだけ政府と小泉ヨイショのプロパガンダを見せつけられると本当に見ている方もうんざりする。その間千葉の惨状は殆ど伝えられていた印象はない。マスコミの劣化が本当に酷い。

実際この小泉進次郎が今まで政治家としてどれほどの実績を残していたのか?何をもってこの男を「将来の首相の器」などとヨイショしているのか?ただ小泉元首相の息子のボンボン育ちのバカ息子にしか私には見えない。実際今までやってきたのを見ても日本の農業を実質的につぶる「種子法」の廃止に熱心に活動したこと。それと安倍首相の「党内野党のフリ」だけしても今までのこの男の行動をみても口先だけのええかっこC男に過ぎない。何をそんなに熱狂しているのか全く私には理解できない

だいたい千葉のこれだけ酷い状況は内閣改造どころの話ではない。古い話だが阪神淡路大震災が発生した時に当時の野中弘務官房長官内閣改造を先送りした例があるが、今回の安倍内閣ではそういう判断をした人物がいなかった。驚くべきことはそれを批判する向きがマスメデイアにほぼ皆無である、という点である。

ネットでは高橋洋一、有本香などはこの時期の内閣改造を擁護するツイートとかしているが、彼らは政府や官僚の事務手続き云々とか、一般市民にとってはどうでもいい点ばかり話して災害に苦しむ千葉県民の視点が全く欠けている。そしてそれを「そうだ、そうだ」などと追認するバカユーザーも多かった。最近の日本は「権力サイドにいる」人達につくのが「自分が正しい側にいる」などという勘違いする愚か者が多いことがこの国の著しい劣化を示している。

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今回もこの千葉の対応の遅れに関して千葉県の森田知事は勿論政府の対策も大きく後れをとっている、電気の完全復旧に二週間以上もかかる千葉県館山市を始め政府や各方面の全面的な支援が必要である。

この対策の遅れにかんしてもそれを批判する向きが少ないのは驚くべきことである、マスコミも自分たちの報道が遅れてしまったのでどの面下げて批判するのか、という面もあるだろうが、とにかく最近のマスコミは本当に政府批判をしなくなった。

 この千葉災害の報道ぶりと、安倍改造内閣小泉進次郎のヨイショぶりを見てそろそろ地上波テレビ視聴ボイコット運動を国民レベルで真剣に考える時じゃないかとすら思ってしまう。 報道の社会的責務放棄と政権広報の洗脳機関という有害な存在にすらなっている。

さて今のテレビ局は政府官邸の圧力と視聴者の完全視聴ボイコットとどちらが怖いと感じているだろうか?

自分が絶えず「正しい方にいたい」という渇望が社会の「正義の暴走」を許す危険な風潮。現代日本の諸悪の根源になっている

現在社会を騒がしている「煽り運転」による傷害事件

勿論犯人の行動は論外で断罪されて当然だが、ここでは別の観点からこの事件を見てみたい。非常に的確に分析した記事があるのでここで紹介したい

president.jpこの記事を読んでいると現代日本の病巣が見えてくる。実はこの件だけではない、昨今の日本社会のさまざまな風潮とこの煽り運転の犯人に対するバッシングには共通項がある。

自分が絶えず「正しい方にいたい」という危険な渇望が日本を極めて不健全にしている

世の中にはたえず右で無ければ左、白黒どちらかの判断をしないと気が済まない人がいる。だが実際には世の中のことはグレーゾーンに入ることの方が圧倒的に多い。そういう状況が不安と感じている人が少なくないらしく、「自分がただしい側にいることを相対的に保障してくれる存在で安心したい」と考える人が多いようだ。

そこで誰もが無遠慮に罵倒し、石を投げてもよい存在が求められている。なぜなら「正しくない」存在を規定し、これを糾弾・非難することによって、自分の「正しさ」が保証されるからだ。自分の「正しさ」を確認してくれる証人は多ければ多いほどよい。世間のだれもが糾弾する「悪」を、みんなで一斉に制裁することによって、その場に参加する全員が「自分はちゃんとして正しい側なのだ」という肯定や安心を手にすることができる。

そのため芸能人が不祥事を起こせばまさに格好のターゲットになる。先日のピエール瀧のコカイン所持事件などは、普段電気グルーブなど見向きもしない連中が「我こそは正義の味方である」といわんばかりに徹底的にバッシングする側に回った。これは先日の吉本の闇営業問題を始め、特に芸能人の不祥事はだれもが糾弾する「悪」としてバッシングの対象になりやすい。

今回の煽り運転の犯人はまさしく人相からしていかにも「悪い奴」に見える。というのも、「あおり運転をするような奴は、自分勝手で、乱暴で、他人の生命を危険にさらすことを何とも思っていない悪人に違いない」というイメージにぴったりの男だったからだ。その結果巻き起こったのは「厳罰に処すべき」という圧倒的な声だがあくまで刑罰は犯した罪によって法律で定められたものが適用されるだけだ。「メディアで注目され、世間のより多くの怒りを集めた事件なのだから、厳罰に処するべき」という論理は、法治国家の行動ではない。

「正義の暴走」は感情の赴くままで理性の入り込む余地がなくなる危険なものに発展していく

「政治権力=正しい側」という思い込み(勘違い)が日本社会を極めて不健全なものにしている

最近気になるのは「権力に不都合」、「権力を批判的」な発言をする芸能人不祥事のような激しいバッシングが沸き起こることだ。それが必ずしもネトウヨ、といわれている人に限らないことが日本社会を危険な方向に誘導している。

先日の「あいちトリエンナーレ」の慰安婦少女像において主催した愛知県に対して1日だけで約200件苦情電話があり、なかには「ガソリンもっていく」とテロ予告した者(後に逮捕)したケースは名古屋市長の批判コメントから「あいちトリエンナーレ」が糾弾する「悪」にされてしまった結果であり、苦情コメントはおそらく右翼やネトウヨだけではあるまい。ご丁寧に名古屋市長が批判=これは「悪」と短絡して日頃からバッシングの対象を血眼で探しているような輩が格好のターゲットとしてバッシングをした結果がこうなった。結果としてこの日本という国にはもはや表現の自由というものが存在しないことが明らかになってしまった。

日本人には昔から「お上」意識があり、「お上のいうことは全て正しい」かのような暗黙の了解があったりする。何よりも「権力側に寄り添う」ことで自分が「正しい」側にいると実感しやすい状況が起きる。それゆえ「安倍政権批判」に対して過剰反応する輩もいるし、今回の名古屋市長の「あいちトリエンナーレ」への批判も「取りあえず政治権力側を支持する」ことが自分の「正しさ」を保証してくれるものだ、という勘違いが蔓延った結果がこうなったのだ。

不思議なことに自分が「正しい側」にいるのかどうか不安が強まり、その不安を打ち消すためにますます「悪」とされる存在を追い求めていくのだが、そのわりには「権力側にいる人間の犯罪」には今回の煽り運転犯人に対するようなバッシングは起きない。

現政権が文書改竄、統計不正、さらに司法やメデイアの圧力を強め、本来なら逮捕されて有罪になるべき犯人(伊藤詩織さんレイプ犯の山口、池袋で親子をひき殺した飯塚)を実質無罪放免させても、安倍政権に対する批判、バッシングは起きない。

それは「政治権力=正しい側」という思い込み、勘違いが世間に蔓延しているためではないのか?その結果権力側がどんなにメチャクチャなことをしても「権力側を批判するのは正しいことではない」などという勘違いが蔓延っているためではないのか?

だとしたらこの「正しい方にいたい」という渇望は極めて日本社会を不健全で危険な方向に追いやっていることになる。政治権力の暴走や悪行にたいしても批判を許さないという実態

以前も当ブログの記事に書いたが今社会はあらゆるところで「正義の暴走」が行われている。

kyojiohno.hatenadiary.com

ten-navi.com

日本社会の劣化、「正義の暴走」という病巣はかなり深刻といわざるを得ない

本日立憲と国民民主党が統一会派で合意、異論は出なかったようだが...

先日より報じられている立憲民主党と国民民主党統一会派構想

一時は停滞するのではないかとも思われたが、本日統一会派構成に合意した模様

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本日8/2012時30分より、立憲民主党の枝野代表と国民民主党の玉木代表が国会内で会談して合意

驚いたことに政策合意書で、原発0の方針に国民民主党の一部の議員から異論は出なかったようだ。安倍政権の改憲発議にも同意しないということになる。

これで一次降ってわいたような維新との統一会派の話とか、安倍政権から送られた秋波も結果としては無駄となり、参議院が3分の2切っている以上改憲の話もうすっ飛んだことになるはずだ。

だが、国民民主党、本当に全員がこの統一会派の覚え書きに納得しているのか正直疑問ではある

 
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 一応基本政策で合意して統一会派を形成した以上は単なる野合とは言えないと思うが、国民民主党から脱落者が出ないとは言い切れないのが気がかりだ。何せ国民民主党には連合の電機労連と密接な議員もいる。彼らが素直に原発0を受け入れるとは思えないのだが..

いずれにせよ衆議院でも109人の大きな野党が存在することになり、統一会派になったことで選挙調整もやりやすくなるだろうと思う。これで今度はれいわ新選組共産党との野党共闘体制を一刻も早く作ってもらいたい

たぶん8割以上の確率で年内に解散総選挙があると思われる。

今度こそ勝たねばならない

NHKスぺシャルの「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~ 」を見て

さて明日は終戦記念日、12日の月曜日にオンエアされたNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~ 」が興味深い番組だったのでそれについて述べる

www6.nhk.or.jp

日本は戦前「大正デモクラシー」という民主主義が一時定着したものの、それが崩壊して軍国主義から破滅の道を進んで行った経緯についてのドキュメントである。 現代日本にも共通する点が多く、ある意味背筋が寒くなった。

そこには民主主義を徹底否定する「日本新聞」という存在があり、発行部数は少なかったものの、様々な社会運動を通して結果として日本社会を一変させるような影響力を持った。「日本新聞」の論説委員の中谷武世は国粋主義的風潮をさまざまな場所に顔を出すことで広げて行ったし、事実上暗殺等のテロも肯定していた人物、その中谷は岸元首相ー安倍晋三の祖父ーと懇意にしており思想的にもずいぶん共感していたという。

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中谷武世と岸信介

安部晋三は「日本新聞」の危険な国粋主義的エッセンスをかなり受け継いでいると考えて間違いない。 

その中で「日本新聞」が特に激しく批判していた長野県飯田市のリベラルな音楽教師が当時の社会的風潮に流され変貌してしまう様が取り上げられていた。欧米のリベラル、民主主義、というか、ヒューマニズムを実践していた当人までもが、深刻な貧困と飢餓の蔓延を目の当たりにして、あっさりファシズムに転向する怖さを描いていた。そう昭和の初期の大恐慌が民主主義からファシズム軍国主義に社会全体が転換する様をこの番組は描いていた。実に恐ろしいと思った。

今この時期の日本に現代の日本はあまりに酷似していると感じる。

20年近いデフレにより日本人の多くが貧困に陥り、「日本新聞」は現代ではあそこまで酷くないかもしれないが、産経新聞に近いといっていい。阿比留みたいな記者もいるし(もっとも阿比留とを比べたらいくらなんでも中谷武世に失礼か、あそこまで知能は高くないしな)そして何よりも「政府にとって不都合な表現」「ネトウヨが気に入らない情報」を流すとヒステリックに叩く風潮など、戦前のこの時代とあまりに共通し過ぎている。

今日本は戦前と同じ過ちを犯そうとしていることがはっきりわかる番組だった。

今のNHKの報道局は実質的に安倍政権の広報だが番組制作はまだ健全なところを残しているのが一連の終戦をテーマとした番組でもわかるのがまだ救いである。

思ったのは早く安倍政権を倒さないと本当にこの国は取り返しのつかない。戦前のような破滅に向かってしまうという危機感を新たにした。次の選挙では何がなんでも野党に勝ってもらいこの政権を倒さないといけない。もうあまり時間は残されていないかもしれない

立憲+国民+社保統一会派構想に関する考察

既にご存じの通り、参院選後、立憲民主党+国民民主党社会保障の明日を考える会の統一会派の動きがでていますが..
 
以下は私個人の単なる考察です。勿論間違っているかもしれません。しかし今まで国民その他で党の合流をあれほど嫌がっていた枝野氏がなぜ急に態度を変えたのか?その理由をずーっと考えていました。そして思ったのですが、一見これは「旧民主勢力の再結集」のように見えますが、たぶんそう単純な考え方ではないような気がします。
 
元々衆参ともに立憲民主党が数的に第一党になっているわけでここで立憲から無理して統一会派を作って大きくする理由は普通に考えればありません。それを考えると枝野氏はある明確な目的があって今回の行動をとっていると考えた方が自然です。
 
その目的とは
 
(1) 安倍改憲の流れを収束させる
 今回の参院選参議院では自公維の改憲勢力が3分の2を切りました。そのため国民民主党に対する秋波が激しくなり、維新との統一会派構想まで飛び出ました。立憲と国民が統一会派になることによってそれを阻止することができます。これで安倍の改憲再度の環境作りをそれだけで妨害することができます。ちょうど都合よく玉木氏は「衆参で統一会派を協議したい」といってきています。たぶん枝野氏はそれを飲むでしょう、
 
(2) 国民、社保で立憲と活動できる人を飲み込む
国民民主党との統一会派を作るのには政策協議が欠かせません。特に原発0」「消費税」は3党で大きな違いがあります。私は枝野氏が国民民主、社保の全員が立憲と統一会派に加わるとは思っていないと思います。特に国民民主党には電力労連に近い議員も多いので彼らは「原発0」は到底受け入れないでしょう。消費税も野田を始め存続論者がいますので5%に下げるのも反対するでしょう。
 たぶんそういう人たちは自然と統一会派から離れて行く可能性が大きいと思います。枝野氏もたぶん去る人を追うことはしないでしょう。それをやった上で立憲が国民や社保でいっしょにやっていける人を飲み込むのが目的のような気がします。
 
(3) 来たるべき衆院選で候補調整をしやすくするため
 そして最終的には政策協議を終えてある程度まとまった段階で立憲とれいわ、共産との候補調整を含め野党共闘の体制を整えやすくする、という目的があるかもしれません。参院選では立憲と国民の候補調整が難航したケースが少なくなかったのでその手間はなくなるかもしれません。それだけでも大きいです。

 

つまりおそらく年内に間違いなくあるだろうと思われる衆議院解散をにらんで選挙に勝つ体制を枝野氏は整え始めた、と考えでいいのではないかと思います。

今回で野党の中心が立憲かられいわに移りました。そのれいわと共闘体制を作りやすくするための第一段階、という風に考えられないでしょうか?

尚、衆議院は選挙区は289もあります。その各選挙区に野党の単独候補を入れるのは大変です。おそらくは国民民主党社会保障を考える会で立憲と統一会派に加わらなかった議員とも「選挙区の住み替え」は行うと考えられますが

まあそんな風に愚考しますが、皆さんのお考えはいかがでしょうか?

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