KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

千葉の災害で「小泉進次郎の応援団」と化し、報道の責務を殆ど果たしていない日本のマスコミ

ネットでは既に大騒ぎになっているが、千葉の台風被害は私達の想像をはるかに超える深刻なもののようだ。それに対してマスコミの千葉災害(といっていいはずだ)に対する報道が殆どないことが批判を読んでいる。

matome.naver.jp

さてさる人からこれに関して地上波テレビの報道があったという指摘があった。私はふだんテレビを見ない人間だがその私が見た6時の民放ニュースと7時のNHKに関しては千葉の停電の状況には触れていたものの、あの伝え方では今ようやく明らかになってきた被害の深刻さはとうてい伝わらないだろう。少なくとも今回の千葉が「甚大災害指定」するレベルのものであるという風に感じた人は私が見た6時に民放ニュースと7時のNHKニュースの報道を見て殆どいなかった、といっていいだろう。

この状況は一度や二度どこかの番組で報道したから報道の責務を果たしている、などといえる内容のものだろうか?

実際本腰入れて報道し始めているように見えたのは災害発生から3日後の12日の木曜日である。マスコミは本来情報伝達のプロのはずである。それ以前に何度この件に関して報道したのか知らんが一般庶民に千葉県の惨状が殆ど伝わっていない状況をみればこれは「報道していない」のと実質的に同じである。

 

johosokuhou.com

その代りマスコミがやったのは安倍内閣改造で小泉進次郎の入閣でまるでマスコミ全体がまるで自民党小泉進次郎の応援団と化した異常ぶりを見せたことだ。これだけ政府と小泉ヨイショのプロパガンダを見せつけられると本当に見ている方もうんざりする。その間千葉の惨状は殆ど伝えられていた印象はない。マスコミの劣化が本当に酷い。

実際この小泉進次郎が今まで政治家としてどれほどの実績を残していたのか?何をもってこの男を「将来の首相の器」などとヨイショしているのか?ただ小泉元首相の息子のボンボン育ちのバカ息子にしか私には見えない。実際今までやってきたのを見ても日本の農業を実質的につぶる「種子法」の廃止に熱心に活動したこと。それと安倍首相の「党内野党のフリ」だけしても今までのこの男の行動をみても口先だけのええかっこC男に過ぎない。何をそんなに熱狂しているのか全く私には理解できない

だいたい千葉のこれだけ酷い状況は内閣改造どころの話ではない。古い話だが阪神淡路大震災が発生した時に当時の野中弘務官房長官内閣改造を先送りした例があるが、今回の安倍内閣ではそういう判断をした人物がいなかった。驚くべきことはそれを批判する向きがマスメデイアにほぼ皆無である、という点である。

ネットでは高橋洋一、有本香などはこの時期の内閣改造を擁護するツイートとかしているが、彼らは政府や官僚の事務手続き云々とか、一般市民にとってはどうでもいい点ばかり話して災害に苦しむ千葉県民の視点が全く欠けている。そしてそれを「そうだ、そうだ」などと追認するバカユーザーも多かった。最近の日本は「権力サイドにいる」人達につくのが「自分が正しい側にいる」などという勘違いする愚か者が多いことがこの国の著しい劣化を示している。

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今回もこの千葉の対応の遅れに関して千葉県の森田知事は勿論政府の対策も大きく後れをとっている、電気の完全復旧に二週間以上もかかる千葉県館山市を始め政府や各方面の全面的な支援が必要である。

この対策の遅れにかんしてもそれを批判する向きが少ないのは驚くべきことである、マスコミも自分たちの報道が遅れてしまったのでどの面下げて批判するのか、という面もあるだろうが、とにかく最近のマスコミは本当に政府批判をしなくなった。

 この千葉災害の報道ぶりと、安倍改造内閣小泉進次郎のヨイショぶりを見てそろそろ地上波テレビ視聴ボイコット運動を国民レベルで真剣に考える時じゃないかとすら思ってしまう。 報道の社会的責務放棄と政権広報の洗脳機関という有害な存在にすらなっている。

さて今のテレビ局は政府官邸の圧力と視聴者の完全視聴ボイコットとどちらが怖いと感じているだろうか?

自分が絶えず「正しい方にいたい」という渇望が社会の「正義の暴走」を許す危険な風潮。現代日本の諸悪の根源になっている

現在社会を騒がしている「煽り運転」による傷害事件

勿論犯人の行動は論外で断罪されて当然だが、ここでは別の観点からこの事件を見てみたい。非常に的確に分析した記事があるのでここで紹介したい

president.jpこの記事を読んでいると現代日本の病巣が見えてくる。実はこの件だけではない、昨今の日本社会のさまざまな風潮とこの煽り運転の犯人に対するバッシングには共通項がある。

自分が絶えず「正しい方にいたい」という危険な渇望が日本を極めて不健全にしている

世の中にはたえず右で無ければ左、白黒どちらかの判断をしないと気が済まない人がいる。だが実際には世の中のことはグレーゾーンに入ることの方が圧倒的に多い。そういう状況が不安と感じている人が少なくないらしく、「自分がただしい側にいることを相対的に保障してくれる存在で安心したい」と考える人が多いようだ。

そこで誰もが無遠慮に罵倒し、石を投げてもよい存在が求められている。なぜなら「正しくない」存在を規定し、これを糾弾・非難することによって、自分の「正しさ」が保証されるからだ。自分の「正しさ」を確認してくれる証人は多ければ多いほどよい。世間のだれもが糾弾する「悪」を、みんなで一斉に制裁することによって、その場に参加する全員が「自分はちゃんとして正しい側なのだ」という肯定や安心を手にすることができる。

そのため芸能人が不祥事を起こせばまさに格好のターゲットになる。先日のピエール瀧のコカイン所持事件などは、普段電気グルーブなど見向きもしない連中が「我こそは正義の味方である」といわんばかりに徹底的にバッシングする側に回った。これは先日の吉本の闇営業問題を始め、特に芸能人の不祥事はだれもが糾弾する「悪」としてバッシングの対象になりやすい。

今回の煽り運転の犯人はまさしく人相からしていかにも「悪い奴」に見える。というのも、「あおり運転をするような奴は、自分勝手で、乱暴で、他人の生命を危険にさらすことを何とも思っていない悪人に違いない」というイメージにぴったりの男だったからだ。その結果巻き起こったのは「厳罰に処すべき」という圧倒的な声だがあくまで刑罰は犯した罪によって法律で定められたものが適用されるだけだ。「メディアで注目され、世間のより多くの怒りを集めた事件なのだから、厳罰に処するべき」という論理は、法治国家の行動ではない。

「正義の暴走」は感情の赴くままで理性の入り込む余地がなくなる危険なものに発展していく

「政治権力=正しい側」という思い込み(勘違い)が日本社会を極めて不健全なものにしている

最近気になるのは「権力に不都合」、「権力を批判的」な発言をする芸能人不祥事のような激しいバッシングが沸き起こることだ。それが必ずしもネトウヨ、といわれている人に限らないことが日本社会を危険な方向に誘導している。

先日の「あいちトリエンナーレ」の慰安婦少女像において主催した愛知県に対して1日だけで約200件苦情電話があり、なかには「ガソリンもっていく」とテロ予告した者(後に逮捕)したケースは名古屋市長の批判コメントから「あいちトリエンナーレ」が糾弾する「悪」にされてしまった結果であり、苦情コメントはおそらく右翼やネトウヨだけではあるまい。ご丁寧に名古屋市長が批判=これは「悪」と短絡して日頃からバッシングの対象を血眼で探しているような輩が格好のターゲットとしてバッシングをした結果がこうなった。結果としてこの日本という国にはもはや表現の自由というものが存在しないことが明らかになってしまった。

日本人には昔から「お上」意識があり、「お上のいうことは全て正しい」かのような暗黙の了解があったりする。何よりも「権力側に寄り添う」ことで自分が「正しい」側にいると実感しやすい状況が起きる。それゆえ「安倍政権批判」に対して過剰反応する輩もいるし、今回の名古屋市長の「あいちトリエンナーレ」への批判も「取りあえず政治権力側を支持する」ことが自分の「正しさ」を保証してくれるものだ、という勘違いが蔓延った結果がこうなったのだ。

不思議なことに自分が「正しい側」にいるのかどうか不安が強まり、その不安を打ち消すためにますます「悪」とされる存在を追い求めていくのだが、そのわりには「権力側にいる人間の犯罪」には今回の煽り運転犯人に対するようなバッシングは起きない。

現政権が文書改竄、統計不正、さらに司法やメデイアの圧力を強め、本来なら逮捕されて有罪になるべき犯人(伊藤詩織さんレイプ犯の山口、池袋で親子をひき殺した飯塚)を実質無罪放免させても、安倍政権に対する批判、バッシングは起きない。

それは「政治権力=正しい側」という思い込み、勘違いが世間に蔓延しているためではないのか?その結果権力側がどんなにメチャクチャなことをしても「権力側を批判するのは正しいことではない」などという勘違いが蔓延っているためではないのか?

だとしたらこの「正しい方にいたい」という渇望は極めて日本社会を不健全で危険な方向に追いやっていることになる。政治権力の暴走や悪行にたいしても批判を許さないという実態

以前も当ブログの記事に書いたが今社会はあらゆるところで「正義の暴走」が行われている。

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日本社会の劣化、「正義の暴走」という病巣はかなり深刻といわざるを得ない

本日立憲と国民民主党が統一会派で合意、異論は出なかったようだが...

先日より報じられている立憲民主党と国民民主党統一会派構想

一時は停滞するのではないかとも思われたが、本日統一会派構成に合意した模様

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本日8/2012時30分より、立憲民主党の枝野代表と国民民主党の玉木代表が国会内で会談して合意

驚いたことに政策合意書で、原発0の方針に国民民主党の一部の議員から異論は出なかったようだ。安倍政権の改憲発議にも同意しないということになる。

これで一次降ってわいたような維新との統一会派の話とか、安倍政権から送られた秋波も結果としては無駄となり、参議院が3分の2切っている以上改憲の話もうすっ飛んだことになるはずだ。

だが、国民民主党、本当に全員がこの統一会派の覚え書きに納得しているのか正直疑問ではある

 
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 一応基本政策で合意して統一会派を形成した以上は単なる野合とは言えないと思うが、国民民主党から脱落者が出ないとは言い切れないのが気がかりだ。何せ国民民主党には連合の電機労連と密接な議員もいる。彼らが素直に原発0を受け入れるとは思えないのだが..

いずれにせよ衆議院でも109人の大きな野党が存在することになり、統一会派になったことで選挙調整もやりやすくなるだろうと思う。これで今度はれいわ新選組共産党との野党共闘体制を一刻も早く作ってもらいたい

たぶん8割以上の確率で年内に解散総選挙があると思われる。

今度こそ勝たねばならない

NHKスぺシャルの「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~ 」を見て

さて明日は終戦記念日、12日の月曜日にオンエアされたNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~ 」が興味深い番組だったのでそれについて述べる

www6.nhk.or.jp

日本は戦前「大正デモクラシー」という民主主義が一時定着したものの、それが崩壊して軍国主義から破滅の道を進んで行った経緯についてのドキュメントである。 現代日本にも共通する点が多く、ある意味背筋が寒くなった。

そこには民主主義を徹底否定する「日本新聞」という存在があり、発行部数は少なかったものの、様々な社会運動を通して結果として日本社会を一変させるような影響力を持った。「日本新聞」の論説委員の中谷武世は国粋主義的風潮をさまざまな場所に顔を出すことで広げて行ったし、事実上暗殺等のテロも肯定していた人物、その中谷は岸元首相ー安倍晋三の祖父ーと懇意にしており思想的にもずいぶん共感していたという。

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中谷武世と岸信介

安部晋三は「日本新聞」の危険な国粋主義的エッセンスをかなり受け継いでいると考えて間違いない。 

その中で「日本新聞」が特に激しく批判していた長野県飯田市のリベラルな音楽教師が当時の社会的風潮に流され変貌してしまう様が取り上げられていた。欧米のリベラル、民主主義、というか、ヒューマニズムを実践していた当人までもが、深刻な貧困と飢餓の蔓延を目の当たりにして、あっさりファシズムに転向する怖さを描いていた。そう昭和の初期の大恐慌が民主主義からファシズム軍国主義に社会全体が転換する様をこの番組は描いていた。実に恐ろしいと思った。

今この時期の日本に現代の日本はあまりに酷似していると感じる。

20年近いデフレにより日本人の多くが貧困に陥り、「日本新聞」は現代ではあそこまで酷くないかもしれないが、産経新聞に近いといっていい。阿比留みたいな記者もいるし(もっとも阿比留とを比べたらいくらなんでも中谷武世に失礼か、あそこまで知能は高くないしな)そして何よりも「政府にとって不都合な表現」「ネトウヨが気に入らない情報」を流すとヒステリックに叩く風潮など、戦前のこの時代とあまりに共通し過ぎている。

今日本は戦前と同じ過ちを犯そうとしていることがはっきりわかる番組だった。

今のNHKの報道局は実質的に安倍政権の広報だが番組制作はまだ健全なところを残しているのが一連の終戦をテーマとした番組でもわかるのがまだ救いである。

思ったのは早く安倍政権を倒さないと本当にこの国は取り返しのつかない。戦前のような破滅に向かってしまうという危機感を新たにした。次の選挙では何がなんでも野党に勝ってもらいこの政権を倒さないといけない。もうあまり時間は残されていないかもしれない

立憲+国民+社保統一会派構想に関する考察

既にご存じの通り、参院選後、立憲民主党+国民民主党社会保障の明日を考える会の統一会派の動きがでていますが..
 
以下は私個人の単なる考察です。勿論間違っているかもしれません。しかし今まで国民その他で党の合流をあれほど嫌がっていた枝野氏がなぜ急に態度を変えたのか?その理由をずーっと考えていました。そして思ったのですが、一見これは「旧民主勢力の再結集」のように見えますが、たぶんそう単純な考え方ではないような気がします。
 
元々衆参ともに立憲民主党が数的に第一党になっているわけでここで立憲から無理して統一会派を作って大きくする理由は普通に考えればありません。それを考えると枝野氏はある明確な目的があって今回の行動をとっていると考えた方が自然です。
 
その目的とは
 
(1) 安倍改憲の流れを収束させる
 今回の参院選参議院では自公維の改憲勢力が3分の2を切りました。そのため国民民主党に対する秋波が激しくなり、維新との統一会派構想まで飛び出ました。立憲と国民が統一会派になることによってそれを阻止することができます。これで安倍の改憲再度の環境作りをそれだけで妨害することができます。ちょうど都合よく玉木氏は「衆参で統一会派を協議したい」といってきています。たぶん枝野氏はそれを飲むでしょう、
 
(2) 国民、社保で立憲と活動できる人を飲み込む
国民民主党との統一会派を作るのには政策協議が欠かせません。特に原発0」「消費税」は3党で大きな違いがあります。私は枝野氏が国民民主、社保の全員が立憲と統一会派に加わるとは思っていないと思います。特に国民民主党には電力労連に近い議員も多いので彼らは「原発0」は到底受け入れないでしょう。消費税も野田を始め存続論者がいますので5%に下げるのも反対するでしょう。
 たぶんそういう人たちは自然と統一会派から離れて行く可能性が大きいと思います。枝野氏もたぶん去る人を追うことはしないでしょう。それをやった上で立憲が国民や社保でいっしょにやっていける人を飲み込むのが目的のような気がします。
 
(3) 来たるべき衆院選で候補調整をしやすくするため
 そして最終的には政策協議を終えてある程度まとまった段階で立憲とれいわ、共産との候補調整を含め野党共闘の体制を整えやすくする、という目的があるかもしれません。参院選では立憲と国民の候補調整が難航したケースが少なくなかったのでその手間はなくなるかもしれません。それだけでも大きいです。

 

つまりおそらく年内に間違いなくあるだろうと思われる衆議院解散をにらんで選挙に勝つ体制を枝野氏は整え始めた、と考えでいいのではないかと思います。

今回で野党の中心が立憲かられいわに移りました。そのれいわと共闘体制を作りやすくするための第一段階、という風に考えられないでしょうか?

尚、衆議院は選挙区は289もあります。その各選挙区に野党の単独候補を入れるのは大変です。おそらくは国民民主党社会保障を考える会で立憲と統一会派に加わらなかった議員とも「選挙区の住み替え」は行うと考えられますが

まあそんな風に愚考しますが、皆さんのお考えはいかがでしょうか?

避暑地ー白馬の栂池に行ってきました

残暑お見舞い申し上げます。

ということで酷暑の東京を離れ長野県の栂池高原に行ってきました。

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宿から少し見える北アルプス

北アルプスは個人的に高校時代、大学時代ともに合宿で過ごした思い出があり、北アルプスのパノラマを見たいなと思ったのですが、山脈はガスっており期待したほどは見れませんでした。

それでも僅かに雪渓をみることはできました。

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北アルプスしろうま岳の雪渓

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栂池からゴンドラ→ロープウエイに乗って栂池の自然園に行きました。

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自然園の湿地

尾瀬を思わせる自然園でした。

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風穴

風穴、ここから頂上からの冷たい風が吹いてきます。さながら天然の冷蔵庫です

せせらぎもありました。綺麗な水でヤマメも泳いでいました。

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展望の湿原、本来なら北アルプスのパノラマが見えるはずなんですが...

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栂池自然園の展望湿原

残念ながら全て隠れてしまいました。本来はこう見えるはずなんですが

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栂池自然園の展望湿原ー本来はこうなるはずでした(>_<)

久々に自然を満喫、リラックスできました。

「日本病」が日本を後進国にした元凶である。周囲にイエスマンしかおかず「異質な人間を排除」する「日本病」ー早く治癒させないと手遅れになる

既に当ブログでも何回も書いたように残念ながら日本は完全に「後進国」の仲間入りになってしまった。それはシステムとかハードウエアの問題ではない。AIでは後れを取っているが、日本が後進国になった原因はそれではない

kyojiohno.hatenadiary.com

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ひとことでいって「日本人の意識の低さ」が原因である。だからこそ問題の解決は容易ではなくやっかいである。

そして最大な問題は今特に日本の経営者や日本の組織に蔓延する「日本病」である。

■日産、吉本興業東芝、国会議員……「卑しいリーダー」が増殖するわけ

https://news.yahoo.co.jp/byline/inouehisao/20190731-00136438/

該当部分を引用する

<前略>

「粗にして野だが卑ではない」の意味は、身なりや言葉遣いは粗削りだが、私利私欲はなくて志が高く、言動は明快で出処進退も潔いということだろう。

 しかし、最近の企業トップや政治家など社会のリーダーと言われている人たちは、その真逆のタイプが増えたように筆者は感じる。身なりや言葉遣いは何となく洗練されているが、自分や自分の派閥・側近だけが栄達すればよいと考える「卑しいリーダー」が増えたように思えてならない。直近の事例では、「闇営業問題」で世間を騒がしている吉本興業の大崎洋会長や岡本昭彦社長はその典型ではないか。

《中略>

産は今年6月の株主総会での決議を経て社外取締役が中心となる指名委員会等設置会社へ移行した。その移行を提言したのが、昨年12月に設立された外部有識者で構成される「ガバナンス改善特別委員会」だ。そこで共同委員長を務めたのが、東レで社長・会長を務めた前経団連会長の榊原定征氏だ。

 氏の評判は財界や官庁ではよくない。榊原氏をよく知る霞が関の官僚は「自分の考えがなく、記者会見の前に事務方が作った想定問答集を完璧に丸暗記するのが得意。逆にこれは事務方のシナリオ通りに動いてくれるということなので、これほど扱いやすい経営者はいない。西川氏の意向を受けた日産事務局に操られていたのではないか」と言う。

 さらに東レの内情に詳しい関係者が明かす。「榊原氏は東レ社内の一部では『ミニゴーン』と呼ばれるほどの疑惑があったため、東レとは絶縁状態。移動用のクルマも東レが面倒を見ないので、榊原氏と親しい別の会社が提供している」。こんな人物が主導した日産のガバナンス改革を信じていいものだろうか。

組織内が「オール与党」の弊害

 少し前になるが、世間を騒がした東芝粉飾決算では、嘘でもいいから好業績を上げ、経営トップとしての名誉にこだわった結果、投資家、社員らあらゆるステークホルダーに迷惑をかけた。さらに社長と会長の間にあった確執も要因の一つと見られる。当時の社長が、前社長の会長に負けまいと無理をした結果、粉飾につながったとされる。

 その確執が尾を引き、後継社長には無能で害がない人物が選ばれたのも衆目の一致するところだ。東芝粉飾決算は、経営者の見栄や私利私欲によって招いたものと言えるだろう。メディアなどの前では紳士的に振舞いながら、見えないところではどろどろの醜態をさらしていたのだ。

 コンプライアンス強化と言われながら、日産や東芝のように有名大企業の不祥事が絶えない。その根底には、卑しい経営者が増えたと同時に、組織内が「オール与党」になってしまい、非主流派や異端児と呼ばれる人が組織から追い出されてしまったことがある、と筆者は感じる。組織内に健全な牽制勢力がいなくなった結果、トップの無謀な独裁や不正がいとも簡単に行われ、見過ごされるようになったのではないか。

 政治の世界にも似たようなことを感じる。野党の力は弱まり、与党である自民党の中は「安倍一強」。それをいいことに国会での丁寧な議論が行われていない。それとは次元は変わるが、そもそも国会議員にその資質を疑うような人が増えた。セクハラ、パワハラ、暴力行為、失言・暴言のスキャンダルで毎週のように週刊誌をにぎわしている。

外見だけ取り繕い「中身がない」リーダー

 有権者に分かりやすく訴えようと思ってついつい政治家は「失言」することがある。それを言葉狩りのようにメディアが追及することに筆者は違和感をおぼえるが、最近の政治家の失言は破廉恥、下劣なものがあり、笑うに笑えない。

 筆者は企業経営の取材を長らくしてきた。インタビューなどをしていて最近よく「言葉遣いや身なりは洗練されているが、本質を分かりやすく、ずばりと語る経営者が減った」と感じる。だからインタビューしていても面白くない。各方面に忖度や配慮をした結果、その発言の内容が、言語明瞭・意味不明瞭のことも多々ある。

 その要因は大きく2つあると思う。ひとつは、多くの経営者が「メディアトレーニング」を受けていることだ。専門のコンサルタントに発言内容などを事前にチェックしてもらい、決して本音を漏らして失言につながらないようにする訓練のことだ。カメラ写りのよい姿勢などまでアドバイスを受ける。このトレーニングで一応、中身はなくても外見だけは洗練される。

 メディアトレーニング自体は否定しないが、中身のない人がいくら外見だけ取り繕っても本質を見透かされてしまうのではないか。吉本興業の岡本社長の記者会見はその典型的なパターンと言えるだろう。

バカの再生産の連鎖

 もうひとつは、自分の在任期間だけ可もなく不可もなくやり過ごせばいいと考えているサラリーマン経営者が増えているからだ。こういうタイプは、摩擦を避けて言うべきことを言わない。しかし、仕事とは何かを突き詰めていくと、「摩擦」である。取引や交渉ではお互いの言い分は違う。時には争いにもなる。その落としどころを探り、両者にとって納得できる成果を得ることが「仕事」である。この「摩擦」を通じて新しい価値が見つかることもある。

 これまで述べてきたことをまとめると、日本には外見や体裁だけ整った中身のない、せこい経営者が増えたということである。そして、その経営者らが、自分を超えない器の小さい後継者を選んで、もっとせこい経営者が生まれている。言ってしまえば「バカの再生産」が繰り返されているということだ。

異端、非主流派を排除する弊害

 これは企業だけではなく、政治、官僚、大学、マスコミといった本来ならば知的リーダーとして社会を牽引して行く組織のトップ層にも共通しているかもしれない。日本社会から活力が失われ、「やってられないぜ」といった気持ちを抱く人が増えているのも、「リーダー人材の危機」が背景にあるからではないか。

 こうした現実がなぜ起こるのかを考えると、日本社会全体に異端を排除する流れが強まり、かつ、「あえて自分は異端でいよう」と考える人材も減ったからだ。みな主流派になろうとしているのである。かつての日本企業は多くの異端児を抱えていて、それが非主流派として経営層にも残り、主流派が会社を傾けると、非主流派が立て直しに動いた。政治でも自民党は主流派と非主流派が競い合ったから党勢が拡大したと言えるだろう。

「異端妄説」という言葉もある。福沢諭吉の言葉だ。この言葉の意味は、今は主流の考え方ではないが、いずれそれが主流になるという意味合いをもつ。古くはガリレオ・ガリレイの「地動説」がそれに当たる。ローマカトリック教会が唱える「天動説」が信じられていた時代に、異を唱えていたからだ。しかし、今の組織の中では異を唱える人が減った。というよりも、意識的に異端者をとことん排除している。

新たな「日本病」とは

 日本メーカーからヒット商品が出ないのも、異端的なエンジニアを排除してきたからではないか。皆が主流派になろうと、手っ取り早く儲かりそうなものに開発リソースを集中させ、長期的な視野が失われつつある。

 問題は経営者層、リーダー層だけでもない。中間管理職にも、自分さえ良ければいい人が増え、愛情をもって部下を育てない。自分の成績向上のために部下をしごく。だからパワハラがあちこちで起こる。一方でコミュニケーション能力が低い若い社員は、上司が本人のためを思って厳しく指導してくれても、それをパワハラだと騒ぐ。だから真面目に指導するのが馬鹿らしくなる。上司と部下の関係に「負の連鎖」が起こっているのも、結局は、「自分がかわいい病」がはびこっているからだ。

 これに、「コンプライアンス地獄」が加わり、自分の頭で考えて行動することに制約がかかる。結局、本質的なことは何も実行せず、上手に組織内評論家に徹していれば、出世のチャンスが巡っている。内部統制、コンプライアンス社外取締役といったコーポレートガバナンスに関する体裁だけは整えたが、組織は頭(経営陣)から腐っており、それが現場にも伝播し、皆見て見ぬふりで実態は悪い方向に向かう。実は、これは新たな「日本病」なのかもしれない。

 まあ今までこのブログでも何回も書いてきたことと重複することになるが、とにかく最近の日本の経営者の「サラリーマン化」が今の日本経済の閉塞状況の大きな原因になっていることは間違いない

つまり

1.周囲にイエスマンしか置かない。非主流派や異端児を組織から追い出す、そのため「差し障りのない」言動、行動しかしない人間で組織があふれてくる

2.外見だけ取り繕い「中身がない」リーダー 頭から組織が腐り現場にまで波及する

3.自分さえ良ければいい人が増えている。長期的なビジョンがなくなり「自分がかわいい病」がはびこる。

4、「自分の頭で考える」ことがなくなっていく。業務の上で「おかしな点」「異常な点」があっても見て見ぬふりをする

5.目先のことしか考えない。

この「日本病」
治癒させるのは至難の業かもしれない。

しかし誰かがこの風潮を止めないと取り返しがつかなくなる

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