KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

経済格差は「グローバル政策」や外国人労働者によってもたらされたものではない。復活のカギは「スキル」習得と旧態依然の社会の仕組みの改革

いささか長いタイトルになってしまったが、要は昨今の風潮が大きく誤った情報に基づいて動いていることに気づいたためである。

次の記事

言ってはいけない!「日本人の3分の1は日本語が読めない」

bunshun.jpタイトルだけだと日本人を必要以上に卑下した記事を受け取られそうだが実はそうではない。これはOECDによる国際調査に基づくもので日本人だけでなく他の国民についても調査している。実は他の国民と比べても少なくとも基礎学力の面では日本人はかなりマシな方である。

確かにネットをみてもテキストをきちんと読んでいない人間が多いのを感じる。また仮に読んだ(らしい)と思われている状態でもこちらの云っていることを理解しているとは思えないケースも少なくない

実は「読まない」のではなく「読めない」らしい。

「国際成人力調査」の結果概要

(1)日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。

(2)日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。

(3)パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。

(4)65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。

 ほとんどのひとは、これをなにかの冗談だと思うだろう。だが、これは事実(ファクト)だ。

 という衝撃的な結果が出た。

これは先進国の大人の学習到達度調査PIAAC(ピアック)による調査によるもの

だがご安心なされ、

ほぼすべての分野で日本が24カ国中1位

 実はこんな悲惨な成績なのに、日本はOECDに加盟する先進諸国のなかで、ほぼすべての分野で1位なのだ。だとすれば、他の国はいったいどうなっているのだろうか。

 OECDの平均をもとに、PIAACの結果を要約してみよう。

 

1)先進国の成人の約半分(48.8%)はかんたんな文章が読めない。

(2)先進国の成人の半分以上(52%)は小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。

(3)先進国の成人のうち、パソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人(5.8%)しかいない。

 

 だがこれを見て喜べないのは、ITスキルの面で日本は非常に深刻な状況だという点だ、

上記のPIAACパソコンを使えず紙で解答した者を加えた総合順位ではOECD平均をわずかに上回る10位、16~24歳では平均をはるかに下回る14位まで落ちてしまうという。

実際40-50代の働き盛りの人間でもWord Excell というPCの基本機能も使いこなせず、会社では「部下にまかせている」ため基本的なITスキルですら会得していないことが多いことに驚愕することがある。

特に日本国内のITスキルの低水準は予想以上に深刻だ。(だからいまだに請求書や見積り書とかをPDFでの提出を拒否されるケースが少なくない)

このスキルの向上は今後どんどん進むと思われるグローバル化、ボーダーレス化あるいあユニバーサル化の世の中に対応するためには絶対不可欠なものである。

そのグローバル化を真っ向から否定し、経済格差を全て移民のせいにしようという愚を犯しているのがアメリカのトランプ大統領だ。こんな記事がある

■経済格差をめぐる誤解、原因は移民や安い輸入品ではなかったーデジタル経済の嘘とホント
https://diamond.jp/articles/-/190362 

diamond.jp

この記事はトランプのように経済格差が広がっているのを移民や外国(主に日本や中国)のせいにしているが、実際には移民の流入や中国・日本からの輸入の増加は、経済格差とはほとんど関係ない。経済格差を解消するのは富裕層から貧困層への富の分配をすればよい。ドイツのように強力な所得再分配策を実施すれば、国内の経済格差はかなりの程度、緩和されるが、トランプ政権は全くそれをやろうとしていない、という内容の記事だ。大事なことはIT化、IoT、AIなどデジタル化の流れの中で時代に生き残るためには社会が求める「スキル」を会得する必要がある、という点だ。

要は「誰かのせいにする」というのは一番安易な方法論である。

経済状況が悪くなったのは移民のせいだ、ネトウヨ風にいえば朝鮮人や中国人のせいだ、などというのは自己のスキルアップを怠ったの棚に上げ、自らの状況悪化を他人や他国人のせいにしているにすぎないのである。

但し、スキルアップだけでなく社会のしくみも経済状況の悪化に寄与することがある、先程の「言ってはいけない!「日本人の3分の1は日本語が読めない」」の記事にも次のように書いてある。

日本人はたしかに知的には優秀かもしれないが、その能力を無駄にしているという残念な現実だ。それは日本人の働き方が間違っているからであり、さらにいえば、日本社会の仕組みに大きな欠陥があるからだろう。――私はこれを、日本が先進国のふりをした身分制社会だからだと考えている。

 知識社会というのは、定義上、言語運用能力や数学・論理的能力に秀でた者が大きなアドバンテージを持つ社会のことだ。

 

 高度な知的作業ができるスキルをレベル5とするならば、その割合は読解力でOECDの0.7%(日本は1.2%)、数的思考力で1.1%(同1.5%)しかいない。「ウォール街を占拠せよ」の運動では、1%の富裕層に富が独占されているとして「We are 99%」と叫んだが、PIAACによれば、これは経済格差ではなく職業スキル≒知能の格差のことだ。

つまり日本社会の仕組みに大きな欠陥があるという事実

だからせっかく世界最高水準の技術を有していても、マネージメントや経営者がそれを有効に利用する術を知らないというのは、実際私も感じている。世界トップの技術を持っていてもおいしいところは外国にさらわれていくのだ。

要は今の日本の状況を脱却するには「今までの日本社会の慣習、しくみ」を大胆にメスを入れるしかないだろうな。だがそれはものすごい抵抗が起きるだろうな。政治行政、マスコミ、企業、全部「当たり前の慣習」を変えないといけなくなる、

そのためにはこのグローバル、ボーダーレス時代を生き抜くには

1.職業スキル(特にIT関係の)を上げ、知能格差をあげる努力をせよ。特に労働市場で要求される知能のハードルが上がっている。

2.今までの日本の慣習にとらわれず、より効率的な社会の仕組みを再構築する

これしかないだろう。

もっともその前に文書読解力を身につ「問題文が読めない」などという事態を回避すべきだが..

 

大河ドラマの「いだてん」どころではなくなった東京オリンピックの危機的状況

実は私は宮藤官九郎は脚本家として個人的には買っているのだが、数年前から1964年の「東京オリンピック」をテーマとした大河ドラマ、というのは何か政治的な意図のようなものを感じないわけではなかった。

とはいえまあ宮藤官九郎だからおそらくはかつての大河ドラマと違い「コメデイ」のように仕上げるのは確実だし、おそらくは視聴率事態は残念ながら「西郷どん」やその前の「真田丸」よりよくなるだろうとは思ってはいた。

 

www.nhk.or.jp

しかし

再来年の東京オリンピック開催に対し間違いなく暗雲がたれこむ事態が発生している。

mainichi.jp

例の「カルロスゴーン逮捕」に対する報復だ、などというバカバカしい話がまことしやかに広がっているようだが、この東京オリンピックの買収疑惑、実はそもそも2016年から存在していた。そもそもの“震源地”は2016年大会の開催国・ブラジルからである。

www.news-postseven.com

■「東京オリンピック招致委、IOC実力者に2億4800万円」 フランス検察当局認める
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/12/tokyo-orympic-bid-2m_n_9943260.html

フランス警察当局は金銭授受を確認したと認めており、日本では相も変わらず危機感が低いが、ヨーロッパでは日本の2020年オリンピック開催権は剥奪される可能性が高いとの論調がもっぱらである。

東京五輪招致「疑いあるなら容赦なく対応」IOC会長
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000075130.html

 

事件自体はゴーン逮捕の遙か前にー捜査が本格化している。たまたま日本オリンピック委員会JOC)の竹田恒和会長(71)についての収賄容疑が浮上した時期が偶然、ゴーン逮捕と時期的に一致したに過ぎない

勿論今後の捜査の行方は現段階では全くわからないが、これで不正が証明されれば「東京五輪」の招致の正当性自体が崩れ、マジに東京五輪中止ーロンドンに会場が代替えーという事態になりかねない。

そうなると「東京オリンピック」が開催なんて浮かれている場合ではなくなる。

そもそも例の新国立競技場の異常な費用の計上等、この東京オリンピック 胡散臭い件が多い。

いずれにせよ今後の捜査の進展次第だが、東京オリンピックを「景気回復の切り札」などと藁をもつかむ思いで期待していた経済界はいい加減「夢」から冷めた方がいいのではないか、とも思う

 

ちなみに「いだてん」は今回の内容からして歴史ドラマとはちょっといえないので、今年は大河ドラマに関する記事はおそらく書かないと思います。あしからず

明治維新ー変化がドラステイックすぎてあまりにも大きな代償、犠牲によって成し遂げられた「革命」

西郷どんー最終回が終わりましたが明治維新150年にあたる今年、結局「明治維新とは日本人にとって何だったのか」について考える機会にしたいと以前述べました。

日本の歴史上「価値観」が大きく変わった時期がいくつかありました。その中で特に大きなものとして

時期 主要人物 概要 カテゴリー
保元の乱から鎌倉時代承久の乱まで 平清盛
源頼朝
北条義時
北条泰時
古代貴族の支配から武士の時代の移行 古代→中世
戦国時代(応仁の乱から大阪夏の陣まで) 織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
中世の争乱の時代から確固とした封建体制の確立 中世→近世
幕末から明治(ペリー来航から西南戦争まで) 坂本龍馬
西郷隆盛
木戸孝允
大久保利通
伊藤博文
封建制度から近代国家の建設 近世→近代
第二次大戦及びそれ以前(満州事変から太平洋戦争終結まで) 吉田茂
ダグラスマッカーサー
専制国家から現代的な民主国家の建設 近代→現代

この中で印の幕末から明治が特にドラステイックな変化が起きた時期で、どれだけ大きな変化が起きたかについては拙ブログの以下の記事に書いてあります

kyojiohno.hatenadiary.com西郷どんは予想通り西南戦争のシーンで終わりましたが、西南戦争は「武士の時代」の終わりを象徴するできごとで、封建制度によって禄と特権を守られていた士族が、明治政府の「四民平等」政策で全ての特権を奪われ、その価値観に取り残された人たちが明治政府の近代化政策に反発して起こしたのが西南戦争だと思います。

明治は身分制度による封建制度から誰しもが平等な近代社会の価値観であまりにもドラステイックに変化しました。司馬遼太郎が「明治維新は革命というしかない」と評していましたが、「革命」であるがゆえに価値観の変化が激しく、当然その変化についていけない層が多かったわけです。しかも大久保利通は日本を一刻も早く欧米社会に肩を並ぶべく急激な近代化を推し進めます。近代化を急げば急ぐほど変化についていけなくなる人が出て行きます。

明治政府が幕末から明治までの士族の価値観の変化に伴い「ソフトランデイング」を試みなかったといえば嘘になります。明治政府は軍隊の創設や警察(ポリス)を創設して闘いの専門家でもある武士をそちらに就職させるように奨励しました。実際それが一番手っ取り早い生活の手段でした。しかし一方では志願したのは武士だけでなく農民等もいました。士農工商封建制度の価値観で育てられた武士の中ではかつて自分たちより下の身分の人間と「同等に」軍隊や警察で仕事をすることに我慢ならなかった士族が大勢いました。西郷下野とともに大勢の武士が下野したのもそうした背景があったからです。

その結果士族の反乱という西南戦争が起きてしまいます。私はあらゆる資料から西郷隆盛は最初から負けるつもりで臨んだと思います。

「内乱は二度と起きもはん。     

  おいが抱いていき申す  」

不平士族の憎しみ、悲しみを自分が一手に引き受け人柱になる、自分が立って敗れれば士族は自分で自分の生き方を選ぶしかなくなる。それで日本の内乱は集結する。

それが西郷の意図だったようです。

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つまり明治維新というのは確かに革命です。上記の拙ブログの記事のように政治制度だけでなく庶民の暮らし(衣食住まで)何もかもが劇的に変わりました。

しかし革命ではあっても変化がドラステイックすぎてあまりにも大きな代償、大きな犠牲によって成し遂げられた「革命」ということができます。西郷隆盛大久保利通もその革命を推進したと同時に犠牲にもなりました。それ以外に久坂玄随に始まり高杉晋作(病死)、坂本龍馬吉田稔麿江藤新平等俘虜の死を遂げなければおそらくは明治の歴史も変わったかもしれない多くの人物の犠牲の上成り立っていることは認識しておくべきことではないかと思います。

明治維新がなかったら現代の日本はなかった。このことに異を唱える人はいないでしょう、現代に住む我々にできることはそれの代償、犠牲となった人たちに敬意を払い感謝をする、ということではないかと思います。

今日本はいろんな意味で厳しい時代に入っています。貧富の格差は広がり賃金その他の実態は実質的に後進国になってきています。

150年前の多大な犠牲を払って成し遂げた革命を無駄にしない意味でも何とかこの厳しい状況を打開したいと考えながら明治維新150周年を締めくくりたいと考えます

西郷どん最終回にあたりーあえて大久保利通について考える

西郷どん いよいよ最終回で西南戦争が終わり、西郷隆盛は自刃します。明治維新150年に当たる今年で明治維新というのは日本人にとってなんだったのかについては次回の記事に関して考察しようと思います。

 その西南戦争西郷隆盛を結果的に自刃に追い込んだ大久保利通についてあえてここで考えたいと思います。なぜかつて西郷とあれほど強い友情で結ばれた二人が対立し戦争という悲劇にまで発展してしまったのか

 鹿児島県内では未だ大久保に対する反感も根強くありこの西郷どんでまた大久保に対する反感も盛り上がってくるかもしれません。ではなぜ西郷が人気があって大久保が人気はないのかについて考えると単に西南戦争だけの問題ではないような気がします

 

ひとことで言えば政治手法が両者の人気を分けたような気がします

そもそも大久保と西郷は薩摩藩士時代から明治維新後まで盟友として共に活動し対立することは殆どありませんでした。その流れが変わったのは私は岩倉使節団の副使として外遊した後からではないかと思います。

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大久保利通(1830-1878)

元々岩倉使節団江戸幕府が結んだ不平等条約問題を解決するための派遣だったわけですがその目的も達成できずに失意の帰国したのですが、その際外国の視察である強烈な指導者の存在を知ることになります。弱小国の集まりだったドイツを統一しイギリス、フランスに比べて遅れていた地域を近代化したオットー・フォン・ビスマルクです。大久保はこの時、ヨーロッパの後進地域だったドイツと当事の日本をある意味重ね合わせたのだと思います。

そしてその事が大久保の手法に変化をもたらしたような気がします。事実大久保と西郷の対立はこの岩倉使節団帰国の直後から始まります。朝鮮で日本国民保護(これが「征韓論」という解釈になっていますが、少なくとも西郷は朝鮮半島を武力攻撃したり征服したりなどということは一度も主張しておりません)に関して完全に対立。西郷も帰国した後の大久保が今までと違うということを感じたのだと思います。(そもそも明治に入り、いったん鹿児島に帰郷したのを呼び戻したのは他ならぬ大久保でした)

ビスマルクドイツ統一のために戦争を繰り返し文化闘争や社会主義者鎮圧法などで反体制分子を厳しく取り締まる一方、諸制度の近代化改革を行いヨーロッパに「ビスマルク体制」と呼ばれる国際関係を構築。後進地域だったドイツに強大な国家を作り上げました。

 一方ではかなり強権的な手法で押し進め反対派を抑圧しました。大久保はこの手法もそのまま取り入れ、実質独裁的な権力を握ります。何よりも国家を近代化しないと悲願の条約改正は不可能であることを肌身で感じた大久保はビスマルク的手法で国家の近代化を急ぐようになります。それが西郷にはある意味、大久保の豹変のように映ったのかもしれません。(実際大久保はビスマルクに謁見して大きな影響を受けたようです)

一方もともと西郷は話し合いを元に政治を進める手法であり、大久保もそれは重々知っていたはずなのですが、ビスマルク的手法に固執する大久保と決定的な対立を呼ぶことになってしまいました。

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オットー・フォン・ビスマルク(1815-1898)

理由はやはり近代化、富国強兵と殖産興業を急ぐ大久保の胸中があったのだと思われます。岩倉使節団の時に条約改正で全く相手にされなかったことがよほど精神的に答えたんでしょう。しかし焦りはやはり禁物

西南戦争を始め地方での士族の反乱、そしてその実質的な独裁政治から結局志半ばで暗殺されることになります。ドラマにも描かれたように「まだ何も成し遂げていない」という思いは強かったでしょう。

このように独裁政治で故郷鹿児島は勿論、一般的にも決して人気が高くない大久保ですが..

昨今の政治家と違い銭には潔白で私財を蓄えることをせず、それどころか必要だが予算のつかなかった公共事業には私財を投じてまで行い、国の借金を個人で埋めていた。そのために死後の財産が現金140円に対して8,000円もの借金が残り、所有財産も全て抵当に入っていたそうです。独裁的な権力を手にした大久保ですが私腹を肥やすことは一切していません。

そして勿論かつての盟友の西郷隆盛の死を聞いた時、ドラマの泣き方とは違いますが号泣し、時鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた(この際、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」と呟いたという記録が残っているそうです)

版籍奉還廃藩置県から廃刀令、地租改正、学令といった改革を打ち出し、結果的に憲法や議会を作ることも視野にいれていたといわれ、その作業は伊藤博文が引き継ぐことになります。しかし明治の元勲といわれながら生きて条約改正や憲法発布をみることはできませんでした。

明治維新ーそれはあまりにも大きな代償、犠牲によって成し遂げられた革命である、と考えます。明日の記事でいよいよ明治維新についての私なりの総括を書こうと思っています

ヨーロッパ取材旅行ー決して「セレブ」のためではなかった客船の旅

業務上でドタバタしてしまい更新が遅れてしまいましたが.

今回のポルトガルからスペインの旅には2つのプロジェクトが背景にありました。

1.BSテレビ朝日「世界の船旅」の取材、撮影

2.番組のスポンサーが計画する客船ツアーのVP(商業映像)の撮影

その関係で情報を可能な限り正確に把握する意味で多少語学ができる私が取材旅行に同行することになりました。スポンサーが売り出したいのは再来年、日本に来航するオーシャニアクルーズの「マリーナ号」です

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オーシャニア クルーズのマリーナ クルーズ船 | マリーナのデッキ見取り図 | オーシャニアクルーズ

私も客船に乗船するというのは初めての経験でしたが、おそらく大多数の人が豪華客船に乗る人は「超セレブ」「ハイソ」な人、というイメージを持っていると思います。

正直私も今回の取材をする前はそう思っておりました。そして実際なかにはそういう人たちしか参加できない客船クルーズも少なくないのだと思います。ところがこのオーシャニアクルーズに関して言えば全くそういった先入観はあてはまらない、ということが実際取材してわかりました。

客船に関しては私は詳しいわけではないので、あくまでオーシャニアクルーズに限った話ととらえていただいて結構です。

客船の乗客の殆どがリタイアした老夫婦でした。主にアメリカ、カナダ、ヨーロッパでリタイアした人たちがのんびり客船で楽しく旅をしようという人たちで、他の客船はわかりませんが、このオーシャニアクルーズの特徴としては「リピーター」が多いという点で、多い人は12回もこの客船に乗っている人がいました。皆さん表情が明るく船の旅自身を楽しんでいることがわかります。やはり船から大海原を見ると心が広くなるんでしょうか?

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マリーナ号からの海原、地平線上に見えるのがアフリカ大陸と思われます


今までのイメージだと「セレブ」や選民意識に凝り固まった人しかいないのではないか、と勝手にイメージしていましたが、少なくともこのマリーナ号の乗客にはそういう人たちは一人もいませんでした。

結構取材班や一般のインタビューなどを見ると日本だと、眉をひそめたり「ウザったい奴ら」であるかのようにテレビ取材班を見る向きが少なくないのですが、マリーナ号の乗客は皆気さくに私達に語りかけて、インタビューにも驚くほど協力的でした。

またマリーナ号のクルーも全世界のあらゆる国出身のインターナショナルなクルーで主な会話は英語でしたが、非常に訓練されたクルーでした。今回の取材に関しても非常に協力的になってくれておかげで取材は極めて順調に進みました。

乗客のリピーターが多い理由の1つに優秀でフレンドリーなクルーを揚げている乗客も少なくありませんでした。かれらを見るとよくわかります。

マリーナ号の売りの一つが高いクオリティの料理です。実際我々も賞味させていただきましたが、どの料理も一級品といっていいでしょう。グランドシェフ(料理長)はホテルの料理長も努めたフランス人シェフであることからも料理のクオリティがわかります。

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左はスズキのロースト(フレンチ)右は東洋創作料理でマグロのタタキと鮨
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こちらは筆者の個人的趣味、トムヤムクングリーンカレー(ご飯が茶碗で来るのが面白い) 

今回の取材 で感じたのはリタイアしてのんびりしたいと考えている主に欧米の乗客を見て、彼らは経済的ゆとりというよりは「心のゆとり」のようなものを感じた点です。

客船の乗船費用というと1000万くらいあるのでは、というイメージがありますがこのマリーナ号はなんとレギュラーでしたら一人頭2510ドル(約30万円)、スイートにも何種類かありますが、だいたい120-200万円ですがそんなにべらぼうな価格ではありません。そして船内の食べ物は全て無料(アルコールドリンクは別途費用がかかります)で当然場所の移動もできるわけですから決して「手が届かない」価格ではないわけです。寧ろコスパという観点でいえばかなりいいと考えていいでしょうね

ですから「セレブのゆとり」ではなく「心のゆとり」のようなものを乗客に感じるわけです。

最近の日本人見ると、いつも気が立っている人がいたり、電車等でもしょっちゅうケンカが起きる等、今の日本人はすっかり「心のゆとり」というものを失っている気がします。余裕がないと思考も発想も硬直しがちで柔軟な発想が日本社会全体ができなくなっている印象があります。

それを考えると今の日本人が失った「心のゆとり」というものをこの「マリーナ号」で感じることができたのはなにかよかったような気がします。仕事で撮影は分刻みで大変でしたが、ちょっとしたバカンス気分を味わうことができました。正直テネリフェで下船する時は寂しかったですね。このままリオデジャニイロまで乗っていたいと本気で思いました。

最後に船でしか撮れない写真を二つ

大海原での夕焼け

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そして朝焼けです。まるでクロードモネの絵のようです

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心の余裕を失い、思考も硬直化、他人に対するフレンドリーな気持ち

そういうものを現代の日本人は失ってしまったように思います。先進国から後進国に転落している国の実態をこういう観点からも見ることができます

ヨーロッパ取材旅行4ーカナリア諸島 テネリフェ島

客船マリーナ号の旅、本来はリオデイジャニイロまで行くんですが、我々テレビ取材班はここで下船いたします。
 
カナリア諸島テネリフェ、先日のアレシフェと違い結構都会です

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温泉はありませんが見かけは何となく日本の熱海に似ています

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このテネリフェには町全体が世界遺産というラグーナがあり、今回の主な取材活動はこの街を中心に行われました。
正式名称はサン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナで特にこのラグーナの歴史地区はスペインが新世界で築いた最初の非要塞型都市であり、それ以降のラテンアメリカの大都市の建築のモデルにもなりました。ラ・ラグーナには18世紀までに築かれた山の手地区と下町地区の美しい町並みが保存されていることから1999年 街全体が世界遺産に登録されました。
ラ・ラグーナには18世紀までに築かれた山の手地区と下町地区の美しい町並みが保存されていることから、世界遺産に登録されています。
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世界遺産に登録されているラグーナの街並み。右写真中央がレルカリオ宮殿
そこには、木製のバルコニーと建物の中心を木々の茂る中庭が占めることに特徴付けられる、典型的なカナリア様式の多くの建造物群が存在しています
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サンクリスタル デラ ラグーナ 大聖堂(外から)

ステンドガラスが綺麗です。まさに別世界

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正式名称ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・レメディオス大聖堂。1823年ですから以外に新しい教会ですね
ステンドグラスです

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このテネリフェで我々は下船します。
明日の記事では今回の船旅の概要とその所感について述べます。

ヨーロッパ取材旅行3ーカナリア諸島 アレシフェ島

マリーナ号の第二の寄港地はカナリア諸島アレシフェです

カナリア諸島スペイン領でアフリカ大陸のモロッコから100-500Kmくらいの距離にあります。このカナリア諸島は二か所寄港しますが、最初はアレシフェ島です。火山でできた島でここに示されている山の殆どは元火山です

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カナリア諸島アレシフェの山

土地も痩せていて、住民が悪戦苦闘しながら生活していたようです。何せ土地の表面の殆どが火山灰で覆われていて、それをさらに掘って農耕用の土地を耕すため、かなり大変だったようです。

雨もあまり降らないため水でもかなり苦労していたようです。家の殆どには貯水用のタンクがあって生活用水に使っていたようですが、基本的に足りず1960年になってようやく海水を生活用水に変える装置ができて島に水が普及したようです。但し飲み水はやはり輸入にたよっており、この島で水が貴重な事情は今も昔も変わらないようです。

実質的に砂漠に近い状態なのでサボテンが生えています

サボテン園です、

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サボテン園

なんとこのサボテンを食べるそうです。
おいしいんですかね? 苦いと思いますが...

カナリア諸島はモロッコに近いということもあり、映画「カサブランカ」のような白い家が多いです。法律で決められているわけではないんですが、島の家は白にしなければならないという不文律があるようです。

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資源の乏しいカナリア諸島アレシフェ

火力発電所もありますが風力発電所も多いです。スペインだけでなくヨーロッパ全体が再生可能エネルギーに転換しています。
日本だけですね。原発再稼働論が強いのは。それだけ日本は遅れているといえます。

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アレシフェに多数ある風力発電

あとアレシフェ島が生んだ世界的芸術家のセサール マンリケの家が美術館としてオープンしていました。前衛芸術家としてピカソ岡本太郎とも親交があった芸術家です

残念ながら自宅近くの交差点で自動車事故により1992年に亡くなりました

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セザール マンリケ美術館
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小さな島ながら見どころはいっぱいだったアレシフェ島でした、

10時間の停泊のあと島を後にしました

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