ヨーロッパ取材旅行3ーカナリア諸島 アレシフェ島
カナリア諸島スペイン領でアフリカ大陸のモロッコから100-500Kmくらいの距離にあります。このカナリア諸島は二か所寄港しますが、最初はアレシフェ島です。火山でできた島でここに示されている山の殆どは元火山です
土地も痩せていて、住民が悪戦苦闘しながら生活していたようです。何せ土地の表面の殆どが火山灰で覆われていて、それをさらに掘って農耕用の土地を耕すため、かなり大変だったようです。
雨もあまり降らないため水でもかなり苦労していたようです。家の殆どには貯水用のタンクがあって生活用水に使っていたようですが、基本的に足りず1960年になってようやく海水を生活用水に変える装置ができて島に水が普及したようです。但し飲み水はやはり輸入にたよっており、この島で水が貴重な事情は今も昔も変わらないようです。
実質的に砂漠に近い状態なのでサボテンが生えています
サボテン園です、
なんとこのサボテンを食べるそうです。
おいしいんですかね? 苦いと思いますが...
カナリア諸島はモロッコに近いということもあり、映画「カサブランカ」のような白い家が多いです。法律で決められているわけではないんですが、島の家は白にしなければならないという不文律があるようです。
火力発電所もありますが風力発電所も多いです。スペインだけでなくヨーロッパ全体が再生可能エネルギーに転換しています。
日本だけですね。原発再稼働論が強いのは。それだけ日本は遅れているといえます。
あとアレシフェ島が生んだ世界的芸術家のセサール マンリケの家が美術館としてオープンしていました。前衛芸術家としてピカソ、岡本太郎とも親交があった芸術家です
残念ながら自宅近くの交差点で自動車事故により1992年に亡くなりました
小さな島ながら見どころはいっぱいだったアレシフェ島でした、
10時間の停泊のあと島を後にしました
ヨーロッパ取材旅行2ー西ヨーロッパ最古の街 カデイス
今回はBS朝日の「世界の船旅」の撮影の仕事でこの「マリーナ号」に乗り込んで各地の寄港地のレポートを書いています。
船はポルトガルのリスボンを出発して南米のリオデジャニイロまで行く予定ですが私達は都合により途中下船します
リスボンを発って翌日、第一寄港地としてスペインだけでなく西ヨーロッパ最古の街のカデイスに到着しました
カデイスは日本人にはあまりなじみのない街ですが、紀元前10世紀頃、地中海交易で活躍していたフェニキア人が築いた拠点がカディスの起源とされ、コロンブスがカディスより第2回目と第4回目の航海に出た街としても知られています。
今回は街の取材なのですが、コロンブスにゆかりの深い街でありながらあまりコロンブスにちなんだ史跡というのは見つかりませんでした。
まず先程のカデイス大聖堂
何でも建設だけで100年近い歳月がかかったそうです。残念ながら中は撮影不可でした。
カデイスはヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てるジブラルタル海峡の近くにあり、貿易としても重要拠点でしたので、絶えずイギリスによる侵攻による脅威にさらされていました。その防衛拠点だったのがサンカタローニャ城です。
カデイスの町並み、ヨーロッパ最古の街の1つだけあって風情があります
一台やっと通れる道幅に通る自動車
なんと街路樹がオレンジ
実がなっています。そうカデイスはオレンジで有名なアンダルシア地方なんですね
停泊時間が短かったのでカデイスの訪問はここまでですが、番組では地元で有名なケーキ屋さんとかレポートしています。まだオンエア時期は決まっていませんが、是非お楽しみに。
ヨーロッパ取材旅行ーポルトガル リスボンレポート
某BS番組の仕事でTVクルーに主に通訳として同行した関係で10日間のヨーロッパの旅をしてきました。
具体的な内容は番組やスポンサーの意向とバッテイングするためここでは触れることができませんが、立ち寄った街に関して番組に差し支えない範囲で記します。
今まで北ヨーロッパは行ったことがあるんですが、今回はポルトガル→スペイン→カナリア諸島 と南ヨーロッパに初めて行きます。
日本から飛行機で乗り継ぎ含め16時間と遠いですが観光地として非常に人気があるリスボン、その理由は町並みを見れば明らかです
石畳みの道はいかにも古いヨーロッパの街並みらしいです。
結構いい感じです。
エコの関係から世界的に路面電車見直されてますね。東京でも荒川線以外に旧路線の復活が検討されているそうです。
ここでリスボンのグルメ情報。リスボンに行けば必ずこのお菓子を食べてください
卵白ベースのカスタードクリームをタルトに入れオープンで焼いた焼き菓子
かつては特権階級のものだったのが市民革命で広がったためポルトガル国民にとっては自由の象徴です。写真にはありませんが、これにシナモンをふりかけます。大航海時代にリードしたポルトガルらしいですね
あとなぜかポルトガルですがお隣のスペイン料理で有名なパエリアとサングリア。スペインとポルトガルはいわば兄弟のような間柄でもありますからやはり近いんですね。実際私は英語と比べるとスペイン語はやや落ちるんですが、私のスペイン語でも十分通じました。
シーフードの「マリスコ」と実は麺のパエリアもあるんですね。イタリアのパスタも無数の種類(家庭のマンマミーアパスタがあるように) パエリアにも無数の種類があります。サフランの香りが香ばしい。地元のムール貝も身が大きく絶品。嬉しいのはオリーブの実は缶詰ではなく天然の種入りオリーブ。最高に美味でした。
街並み撮影とはいえ真昼間からサングリアを飲める幸せ。勿論お店の自家製。リスボンの旧市街を見ながらの最古に贅沢なランチでした。
リスボン市内は多数の観光名所があるんですが、滞在期間が限られるので思ったほど撮影は限られました。今回は世界最古のエレベーターといわれる「サンタ・ジュスタのリフト 」も取材したんですが、残念ながら番組とバッテイングしてしまうのでその姿はお見せできません、リフトの頂上での記念写真だけで勘弁して下さい。
実はこのBS番組は世界の客船をレポートする番組なんですが、リスボン滞在2日目の夕方に出航してリスボンを離れます。2日しかいれませんでしたが実にいい街でした。間違いなくまた来たい街の中に入ります。古い町並みを残してる景観は素晴らしいです
ちなみに都合により出航が遅れ、一時間近く遅れてしまい出航の映像だけ思うように撮れませんでした。まあこういうこともあります
オリンピック→万博 あまりに違いすぎる高度成長期と現代ー歴史は繰り返さない
既にご存じの通り「大阪万博」開催が昨日決定した。大阪の誘致委員会は大はしゃぎしているが、
2020年の東京オリンピックの後の大阪万博、いうまでもないが高度成長期の時のパターン
1964 東京オリンピック
1970 大阪万博
⇣
2020 東京オリンピック
2025 大阪万博
だが高度成長期の成長を指せた1960年代とバブルの後の経済低迷からいまだ立ち上がることができない現代では同じ取り合わせでも全く状況が違う。松井知事を始め誘致委員会は「60年代、70年代の夢よもう一度」などと考えているかもしれないが、もしそうだとしたらあまりに能天気をいわざるを得ない
そもそもオリンピックでも万博でもそんなに経済の波及効果が期待できるだろうか?既に東京オリンピックでも異常なほど膨らんだ新国立競技場の金が国民の税金への膨大なツケとなるのはこのままいけばほぼ確実だ。オリンピック委員会のメンバーは額の家賃が必要な建物にオフィスを構え、高額な報酬を取っている。
そして今回の万博、たぶん同じやりかたで運営されるのであろうと推測される。こんなことでは「夢がもう一度来る」どころか、大変な後遺症をもたらしたり、無意味な浪費と、負債を残ス可能性が高いといわざるを得ない。
実際万博に沸いて喜んでいるのは政府系か保守系のメデイアだけでそれ以外の私が良識があると考える人たちの見解はみな批判的だ
もうだいぶ前だが当ブログでもこういう記事を書いた
2年後のオリンピックそして2025年の大阪万博、高度成長期と違い経済の発展力がもはや世界でも最低レベルとなった日本でのこの動きは「後進国」に転落まっしぐらの日本が悪あがきしながら、更に奈落の底に落ちていく
なんかそんな状況を見るような気がする。
次の世代では返しきれない膨大な借金を残し、ハイパーインフレを引き起こしかつて後進国で見たような悲惨な生活ぶりに日本人の大多数が陥る。
そうならないで欲しいが、その可能性が少なくないのを感じるのは私だけであろうか?
高度成長時代の「夢」の繰り返しを期待するのは愚の骨頂、歴史は繰り返さないのだ
ノイジーマイノリテイーを増幅するネットーネットのヒマ人やネトウヨの影響力を削ぐためにも彼らをスルーしましょう
もうだいぶ前の話だけどネットに 大阪大学大学院の辻大介・人間科学研究科准教授らが2008年に発表した『インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究』についての記事を見た。大手ネットリサーチ会社・マクロミルのモニター会員約1000人を対象に実施した調査でかなり的確に分析した調査と考える
「1000人のモニターはインターネットのヘビーユーザーが多いという偏りが考えられるため、実際のネット利用者におけるネット右翼的な層は、1%を下回ると推測されます。ただし、少し条件を緩和すると、その割合は3.1%となりました。いずれも全体からすれば小さな数字ですが、この人たちが様々な場面で活動し、目立っているものと考えられます」(辻氏)
詳細はこちら
http://d-tsuji.com/paper/r04/report04.pdf
実はこれを見て別のネットにもよくいる「悪質クレーマー」の調査を思い出した
http://クレーム実態調査.com/%e5%ae%9f%e6%85%8b/
このクレーム層もいろんな調査がありますが、ネットユーザーに限って言うとせいぜい全体のユーザーの1-2%程度に過ぎないということだ
だが
ネットを見るとあたかもネトウヨやこのようなクレーマーの主張があたかもネットでは多数派、とまでいかなくとも社会の中の割合の相当数の意見であるかのような印象を持ってしまう
いわゆるネトウヨに関するいろんな研究があるがネトウヨ研究家としても知られる古谷経衡氏によるとネトウヨ層は主に30-40代の中間層の男性が主だという。いわゆる「バブル後」の世代でバブル世代のような「オイシイ思い」をすることができなかったことがトラウマとなり、その原因を短絡的に在日の外国人と決めつけヘイトスピーチをまき散らすという。
だがそのような人間は30-40代の男性でもせいぜい数パーセントに過ぎない
ではなぜ、ネトウヨやナンセンスクレーム層、ネットに炎上を弾き起そうとするヒマ人がせいぜい全ユーザーの数パーセントにすぎないのに、彼らはネットのみならず社会に対してもかなりの影響を及ぼすことができるのだろうか?
それはネットは本質的にノイジーマイノリテイーを増幅する力があるからである。
これはある意味ネットのマイナスな面と私は考える。なぜならインターネットはパーソナルなメデイアであり、それは爆発中和機能と感情的包摂機能を持つ地域共同体の空洞化をもたらしている。と宮台真司は分析している。そしてそれがノイジー・マイノリティであるクレージー・クレーマーやネット右翼の暴発の背景となるとしている
行政を問題にする連中を僕は<クレージー・クレーマー>(<CC>と略称)と呼びます。彼らはラウド・マイノリティ(声だけデカイ少数者)に過ぎません。でも行政が彼らを恐れるのは、「子どもの目が潰れたらどうするんだ!」「子どもが骨折したらどうするんだ!」というクレームが〝それなりに正論〟で、訴訟に負けかねないからです。<CC>出現の背景は地域共同体の空洞化です。二つの側面があります。第一に、地域共同体がしっかりしていれば、隣人訴訟がそうであるように地域住民が<CC>の暴発を食い止めますが、それができなくなります。第二に、丸山眞男の末端ファシズム分析に従えば、社会的に恵まれず、知的ネットワークから排除された「孤独な人」が、専ら<CC>として吹き上がります。
後者について言うと、<CC>と「ネトウヨ (ネット右翼)」や「ネット釣られ層」は、(1)暴発中和機能と (2)感情的包摂機能を持つ地域共同体の、空洞化という背景を共有します。 — 宮台真司「新住民が生み出した、<行政過剰依存>の時代」、磯部涼 編『踊ってはいけない国、日本』
ネトウヨもクレージー・クレーマーも宮台氏のいうように社会的に恵まれず(平均年収より上の人であっても社会面で恵まれていない人)、知的ネットワークから排除された「孤独な人」であり、はっきりいえば本来なら相手にする価値もない層である。
ではなぜネットがこういったノイジーマイノリテイ―の声を増幅してしまうのか、
私が思うにそういうノイジーマイノリテイーの主張をネットのインフルエンサー(有名人)や大手企業といったエスタブリッシュメントが取り上げるからだと考える。
ノイジーマイノリテイ―は一見、「それなりの正論」「正義」のオブラートにかぶさった主張をすることがある(勿論ネトウヨにはそういう「オブラート」にくるまれていないケースも多い)。そのためインフルエンサーやエスタブリッシュメントが「それなりの」対応をしてしまうのだ。
インフルエンサー(有名人)や大手企業といったエスタブリッシュメントはtwitterを始めソーシャルネットではフォロワーや友人がかなりの数に上ることから彼らの主張は必然的に多くの人間にさらされることになる。またインフルエンサーは別のインフルエンサーとつながっていることもあり、ノイジーマイノリテイーの言動が連鎖反応的に拡散されてしまうことになる。
その結果本来は相手にする価値のない、スルーするしかないノイジーマイノリテイ―の主張が急激な勢いで拡散されてしまうのだ。
ネトウヨもクレージー・クレーマーも普段のリアルな世界では全く相手にされないが、ネットだと自分の意見が拡散され、一定の社会的影響力まで手にしてしまう。それは麻薬のようにノイジー・マイノリティの発言を活発にし、結果的にクレージー・クレーマーやネット右翼の暴発につながってしまう。それが社会、世論を誤った方向に誘導し、右傾化だけでなく日本社会そのものの昨今の機能停止、崩壊を誘発している可能性がある。大きなネガテイブなスパイラルが現代の日本を襲っているといっても過言ではない。そのためにはネトウヨ、ノイジー・マイノリティのネットの影響力を削ぐ必要性が急務である。
だからネットのインフルエンサー、有名人、その他のエスタブリッシュメントの関係者にいいたいのは、
彼らのメチャクチャなロジック、主張に対してひとこといいたくなる気持ちはわかるが、結果的に数千人ー数万人のフォロワーをもつ人間が反応すればそれだけでノイジーマイノリテイーに影響力を与えることになってしまう
はっきりいって彼らは「相手にしてくれる」から発言を繰り返すのである。逆に「相手にされなくなれば」ネトウヨ、ノイジーマイノリテイーのネットや世論への影響は急速に低下することになる。
そしてそれこそが安倍政権に対する最大の痛手でもある。なにせネトウヨは安倍政権の最大のサポーターだからだ。
日本を「後進国」にしたのは経団連? 経団連会長「PCでメールを使い始めた」という読売新聞の記事から
まあ事実だとすれば本当に呆れる記事だ。財界トップがパソコンを導入せず、メールで指示を出していなかったということが判明した
元々は読売新聞10月24日朝刊に「経団連会館の会長室に初めてPCが設置された」の発言が発端だということだが、「こんな時代に」「平成も終わるというのに」とネットを中心に驚きと呆れかえった反応が湧きあがった。
正直私自身も耳を疑ったが、一方ではさもありなんという印象も持っている。
実際大手企業の重役もメールや各方面の連絡の作業を「部下に任せている」というのが実態で、私とそれほど年代が違わない人間でもワードやエクセル、そしてメール等の作業を自分では行わずに「全て部下に任せている」人間が多いことを知って愕然とした
この中西宏明会長は元々技術屋なのでパソコンを全く使えないということはありえないが、歴代経団連会長が少なくともその職務中に殆どパソコンを使っていなかったというのは事実のようである
それは実際にさまざなところに影響を及ぼす。特に文書関係の会社同士のやりとりでペーパーレスがなかなか進んでいない点である。
実際海外での取引では請求書(INVOICE)をpdfで送付するのは当たり前である。わざわざ聞かなくてもそのINVOICEをメールでやりとりする。
ところが日本ではわざわざ請求書をPDFで受け付けるかどうかをいちいち聞かないといけない。印鑑云々が時代遅れというのもあるが、印鑑などはJPG化して貼り付けてしまえばいい話なのでたいした問題だとは思っていない。しかしその対応を行っても「紙の請求書」を要求されることは少なくない。(経験上、大企業や創業が古い会社、とかでPDF送信をNGといわれることが多い)
そんなこともあって先日の当ブログの記事にも書いたが「日本の後進国化」というのはかなり深刻な状況になっているといえるのだ。
そして上記の記事にも書いてあるように日本人の平均収入が著しく落ちている。以前は日本人に貧困など無縁だと思われた時代があったがもはやそれは昔話。
安倍政権が押し進めている非正規労働者の増加と先日の「日本型新裁量労働制」(通称残業代0法案)も経団連を中心とした財界の強い要望によって安倍政権が強行に押し進めたものである。
そして上記記事の以下の画像にもあるように、もはや日本人の平均収入は先進国のレベルとは到底言えないレベルまで落ち込んでいる
つまりどういうことか? ひとことでいえば
といういいかたもできるのだ
IT化で欧米諸国に大きく後れを取り、日本人の平均収入を大きく押し下げている経団連、それで日本は最先端の国と思っている人もいるようだが、それに対してこんな皮肉をいっている人もいる
困ったことにこれを真に受けた人も少なくないようなんだが、勿論これはメールを始めITツールを全く使っていないことを皮肉ったものだ。それにしても日本はネットリテラシーが低い(^^;;)
せめて請求書、見積り書くらいはPDFを日本の会社の標準くらいに規定してもらわないと、日本の事務作業のペーパーレス化はなかなか進まない。日本の後進国化はますます推進されてしまうのである。
西郷どんー幕末から明治に起きた日本史上最も劇的な変化とそれによって「捨てられた人」たちへの思い
西郷どんー今週から最終章ということで明治時代に入り西郷隆盛の長男(庶長子)の西郷菊次郎が西郷の人生について語るという形式に変わっています。この西郷菊次郎は結果として西郷の子供(5人いますが)で最も出世した人物で台北県支庁長や初代宜蘭(ぎらん)庁長を歴任後京都市長となります。台湾でも京都でもインフラ整備に辣腕を発揮した人物で非常に高い評価を得た人物です。おそらく西郷隆盛の愛用した「敬天愛人」を最も仕事の中で実践した人物として考えられたためでしょう。
さて、私はこの「西郷どん」が今年が明治維新150年周年に当たるという事もあり、日本のみならず世界でも稀といわれるこの明治維新というのは一体何なのか、について考えるよい機会だと思いました。
というのも日本の歴史を振り返っても幕末から明治ほどあらゆることがドラステイックに変化した時代は他に見当たらないと考えるからです。単に政権が平家から源氏に移ったとか、そういうレベルの変化ではないからです。
以下にリストとして江戸時代以前と明治で何が大きく変わったかについて思いつくまま羅列していこうと思います。尚、項目によっては若干時期のズレが生じたり等、わりとざっくりした部分もありますがご了承ください
・政治、行政制度の明治における変化
江戸時代 | 明治以降 | |
政権 | 徳川氏を頂点とする幕藩制度 | 初期は薩長を中心とする藩閥から明治憲法制定後は天皇を中心とする立憲君主制 |
政治制度 | 幕藩制度による封建体制 | 立憲君主から明治憲法制定後は議会制 |
統治者、地方自治 | 封建領主、名主等の世襲制 | 初期は明治政府の指名だが、そののち選挙による選出 |
政治行政の体制 | 藩を単位とする封建制度(実質連邦制) | 版籍奉還、廃藩置県による46都道府県体制。 中央集権化 |
統治の内容 | 封建領主による裁量 | 法治国家 |
官位制度 | 律令制による官位制度 | 初期は太政官制度、叙位条件制度に移行 |
身分制度、庶民 | 士農工商による身分制度(但し最近の研究では武士階級を買う等割と緩かったこともわかっている) | 華族を除けば原則4民平等 |
職業 | 身分制度による原則固定(農民は農民、商人は商人等) | 職業選択は自由 |
武士の身分 | 浪人でない限り幕府もしくは領主の支給する禄 | 武士階級の実質全員解雇(※注1)帯刀、仇討の廃止 |
経済制度 | 石高制 | 貨幣経済(円を単位とする) |
(※注1)廃藩置県、版籍奉還により各藩の藩士は事実上「全員解雇」と同じ状態になり、さらに金禄公債証書発行条例(従来の武士の禄高を債権に変えて何年越しで償還する、しかし一辺に支払うのは無理なので何年かに分けて支払うというもの)が最終的な西南戦争の引き金になったと考えます
政治、行政の面でこれだけドラステイックに変われば当然、その変化によって「捨てられる人たち」「変化についていけなくなる人たち」も大勢出てくるわけで、上記の表でわかるのはその「捨てられた人たち」の大半は既得権益を持っていた武士たちだったのです。
武士の魂の刀を取り上げられ、給料も取り上げられた状況、そりゃ反乱が起きるのも無理はない、ということで1876年に熊本県で「神風連の乱」、27日に福岡県で「秋月の乱」、28日に山口県で「萩の乱」と立て続けに起きるわけです。
西南戦争はその関係でいえば起きるべくして起きた反乱ということになります。ここの部分を今後西郷どんでどのように描かれるか興味がありますが、おそらく既得権益を失った武士たちの思いを理解した上で負けることを百も承知で乱の中に自らを委ねた、というのがたぶん実態ではないかと思います。あくまで「弱者からの眼差し」を失わなかった人間として..
不平士族の憎しみ、悲しみを自分が一手に引き受け人柱になる、それが西郷の意図だったように思います。
「明治維新は革命というしかない」、と言っていたのは司馬遼太郎でした。しかしその革命は幕末から明治の初期にかけての莫大な犠牲の上で成り立ってきたということは忘れてはならないと思います。
さらに明治時代に入って現代の我々の生活の基礎となるあらゆるものが明治で導入されていたことを記しておきましょう。先ほどと同じ表にします。
髪型 | 男性は髷、女性は日本髪 | ザンギリ頭、西洋風のヘアスタイル |
服装 | 和服 | 洋服と和服が混在 |
イノベーション | 徒歩、駕籠、馬 | 鉄道、電信、明治末期には自動車も出現 |
武器/strong> | 刀、槍、火縄銃 | 軍艦、新式の大砲、銃 |
食文化 | 米を主食とする和食 | 洋食、海外の料理の影響を受けたメニュー出現 (※注2) |
(※注2)現在我々が「国民食」と位置付けているカレーライスやラーメンを始め、いわゆる日本的な「洋食」といわれるハヤシライス、とんかつ、ポークジンジャーといった料理は全て明治に生まれている。
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明治維新の影には多大な犠牲、そしてその変革に乗り遅れ捨てられてしまった人たちがいます。その人たちの存在を忘れてはならないと思います。
しかしその「革命」といわれる明治維新ができたからこそ今の日本があったということ、そしてこれだけのドラステイックな変化を現代の我々が果たして成し遂げられるかというと、やはり難しいといわざるを得ないと思います。明治維新を成し遂げた大久保、西郷、木戸だけでなくその周囲の多くの偉人たちの功績にはやはり敬意を表さざるを得ないと考えます